女帝マリア・テレジアのこどもたち

3枚の絵
マリア・テレジアとフランツ・シュテファンと子供たちを描いた絵は、私の知る所で3枚ある。

9人が描かれたウィーン美術史美術館収蔵 
11人が描かれたシェーンブルン宮殿収蔵
13人が描かれたフィレンツェ、ピッティ宮殿収蔵

以上である。もっとも図版や資料でお目にかかっているのは2か1である。
世界史の教科書に載っていたのにたしかキャプションは「マリア・テレジアと子供たち、マリー・アントワネットはまだ生まれていない」。フランス革命で有名になったマリー・アントワネットを引き合いに出しているのがおもしろい。子供の中では一番名が知られているからか?
やがて、ハプスブルグ家に興味を持つにつれ、いろいろな本を読むうちに描かれている子供の数が微妙に違った絵があるのに気づいた。そしてやっと3枚の絵を見つけた。
(これらの絵をご紹介したいところですが、言っての通りフラットベッドのいスキャナーの無い私ですので・・・。ふふふ・・実は某所で借りれる事となり、やっとこの企画は、第ニの日の目をみることになりました。)

なぜ、遠く離れたフィレンツェにあったかと言えば、フィレンツェはメディチ家によって栄えた都ですが、フランツ・シュテファンがマリア・テレジアを得るが為、故郷ロートリンゲン(ロレーヌ)公国を捨て、変わりに領地が与えられたのがメディチ家の絶えたトスカーナ大公国だった。メディチ家の衰亡とともにフィレンツェもかつても輝きを失っていたが、フランツ・シュテファンの手腕で持って立てなおしされてゆく。2人の次男レオポルドによって継がれていくので
ハプスブルグ家の絵画がフィレンツェにあっても不思議でない。
ちなみに3の絵を垣間見れるのは「ハプスブルグ家の人々」菊池良生著(新人物往来社)か「フランス革命の女たち」池田理代子著(新潮社)くらいです。

しかし、この絵についてNETで探すのは難しく(ドロボーしようとしていた・・(^^ゞ)、世界のサイトで「pitti」だの「Martin van Meytens」「Maria Theresia」「Hapsburg」と検索しても出てこず、上記2冊がない場合、実地検証しかないのか?と思っております。
ピッティ宮殿のカタログ集をもってらっしゃる方是非ひもといてあけて見てください。
(私のできる範囲でチャレンジしてみましたが、イタリアルネサンスの名画がたくさん載ってはいますが、ハプスブルグ家の肖像は・・なかった)

肖像画ともなると名画として残ると言うよりも、王家の記録としてなので、人物を見事に表現しきらなくては芸術性としては高くないようですね。この絵の構図は左のフランツ、右にマリア・テレジア、大きな子どもたちはその同じで、まんなかで小さな子どもが描き足されているようなものですから。しかし系図フェチにとっては価値の高いものでないでしょうか。

子どもたち

続柄

名前

生没年

その人生
長女 マリア・エリザベト(1人目) 1737-1740 幼くして死亡。
次女 マリア・アンナ 1738-1789 体の不自由のため独身で通す。音楽や絵画の才能に恵まれている。母の死後クラーゲンフルトの修道院へ入った。
三女 マリア・カロリーナ(1人目) 1739-1741 幼くして死亡。
長男 ヨーゼフ 1741-1790 父親のあとを継ぎ、1765年神聖ローマ帝国ヨーゼフ2世となる。急に多くの改革を行おうとしたが必ずしもうまく行かなかった。
四女 マリー・クリスティーネ 1742-1798 愛称は「ミミ」。母親にもっとも可愛がられた娘。ただ一人、相愛のザクセン公子アルベルトと幸福な結婚生活を送る。絵画の才能にも恵まれていた。
五女 マリア・エリザベト(2人目) 1743-1808 愛称は「リースル」とびきりの美人で、縁談も数多くあったが様々な事情でまとまらず母の死後はインスブルックの修道院に入った。天然痘に罹病して美貌が損なわれてしまった。
次男 カール・ヨーゼフ 1745-1761 両親から一番かわいがられていたが、幼くして死亡。
六女 マリア・アマリア 1746-1804 初恋のバイエルン公子との仲を割かれ、政略結婚でパルマ公国フルディナンドに嫁ぐ。夫は博嬢で、不幸な結婚生活を送った。いやいやの結婚で好き放題して女帝より勘当されてしまう。
三男 レオポルド 1747-1792 父親の遺領をついでトスカナ大公になる。兄の死後本家を継いでレオポルト2世となる。トスカナ大公国を立て直した手腕で、本家も期待されたが在位わずか2年で没する。
10 七女 マリア・カロリーナ(2人目) 1748 生まれて数時間で死亡。
11 八女 マリア・ヨハンナ 1750-1762 少女時代に死亡。
12 九女 マリア・ヨゼファ 1751-1767 ナポリ王国への輿入れが決まった矢先に天然痘で死亡。
13 十女 マリア・カロリーナ(3人目) 1752-1814 急逝した姉に代わり、ナポリ王国フェルナンド4世と政略結婚。夫は粗暴で無教養で結婚生活は不幸であったがじっと耐え忍んで16人の子をもうけた。
14 四男 フェルディナント 1754-1806 モデナ公女マリア・ベアトリクスと結婚しモデナ公国の殿様になる。
15 11女 マリア・アントニア 1755-1806 フランス王ルイ16世の王妃となる。フランス革命の渦中でギロチンの露と消える。
16 五男 マキシミリアン 1759-1801 ケルン大司教(選帝公)になる。宮廷はボンにあり、若き日のベートーベンの才能を理解し、ウィーンに行けるよう取り計らう。

偉大なる女帝で母としての尊敬も篤いマリア・テレジアですが、ひいきとか
またヨーゼフの嫁イザベラと姉妹(小姑)のイジメ・姉妹間の確執、意地悪なお兄ちゃんもあったようで、橋田壽賀子的「渡る世間は鬼ばかり」人間ぽくって面白いですね。


参考文献
SERVUS臨時(1992/1)増刊号
ハプスブルグ家の女たち 江村洋(講談社現代新書)
マリア・テレジアとその時代 江村洋(東京書籍)
ウィーンの街の物語 松井隆夫 小学館 Shotor Museumシリーズ
フランス革命の女たち 池田理代子 新朝社 とんぼの本シリーズ
ハプスブルグ家の人々 菊池良生 新人物往来社
ほかたくさん


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