コントラバスの本 中級 上級(~28巻)及び別巻 著者 内海芳宏
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なぜにMP3やム-ビ-で私は演奏を提示しているか!!?? それは・・・ 以下文末の「別巻」より抜粋
「なぜかというと、私の演奏技術水準は「無償アドバイスしかできないという「技術レベルの指標」といえるからである。 よって、私程度に弾ける人があなたの先生ならアドバイスには絶対的に「無償」となるだろう。 私の下手な演奏と比べるのも失礼なほど上手いあなたの先生(音大を出られたような方?)に 『弾いてもらって』 私の演奏技術とその先生の技術に 『格段の差を確認され』 たら、その先生には有償で教えてもらえばよい のである!そんなあなたの先生の素晴らしい演奏を、 私(無償アドバイスをするレベル)の演奏音源や動画でもって『比して判断すればよい』のだ。 何度も書くが「その技術程度ゆえに私は基本的に個人には無償」でアドバイスしている。私のMP3やムービーで私のレベルの演奏を聴いて、これくらいの演奏をする人なら「タダ」、教えてもらうあの「せんせい?」はやっぱ『凄い上手い』、だからお金を払う! というように「比較対照」という明瞭な基準をもつべきであろう。 今までハイポジションでの「あなたのせんせい?」のソロを聴かれていなかった方は、これ(私の演奏技術との比較)によって、常識的技術レベル対比による価値決定などから「高額な謝礼の価値」があるかないかを、私の(無償指導レベルの演奏)と比較判断すればよいのである。」 内海芳宏
「提示派演奏の終焉と印象派演奏の将来」
Cbを弾くことは「簡単で」「難しい」という2面性をもっている。弓で
押さえすぎれば、表板は鳴らないが弦は鳴るし、軽く押さえて弾くなら
表板は鳴っても、弦は鳴らない。そして、何が重くて、何が軽いかなど 指標すら表現が難しい「曖昧な」状態となる。しかし、近代の名手と現代の名手では、決定的に音へのアプロ-チが 異なって(進化して)いると思う。
録音条件も異なるが、CDをもって喩えることにする。(実際はそう弾いていないのであろうが、リスナ-的意見である点要留意) ニュアンス表現上の「ニュアンス幅」という言葉を利用する場合、
今までの名手はその「幅」が狭く、悪く言えば「同じような音での表現」で
全ての曲が表現されていた。(後述提示型に属する表現のこと) 声では喩えられないかもしれないが、それらの名手のCDの曲の一部分で、
奏者がわかるくらい音色変化・ニュアンス幅が狭いといえる。
そして、なにより、そういったマエストロたちは一般的に「共通点」が あるようにきこえた。 つまり、コントラバスの提示を前提にした「コントラバスじゃ-!」という感じの(?)提示型演奏という点である。
ゲリ-カ-、シュトライヒャ-、ギュットラ-、シュト-ル
などなどの世界を制した近代名手の音を「提示型」と言うなら、 次世代のマエストロは「印象派的演奏」と言える。つまり、提示型=「これがコントラバスじゃ-!」的演奏の時代ではなく、 印象派=「こういう風景です、きれいでしょ-」そして事後判明(コントラバ
スであるかないかは後でわかる意味)的演奏とは、前述の
全面に出した演奏とは全くカラ-が異なっている。
ニュアンス幅も大きい ので、そうなる。 コントラバス奏者にとって、今までの「コントラバスすごいでしょ」的な提示の時期は過ぎ、聴衆にとっての「きれいね。これって何?
コントラバスだったの」的な演奏表現が将来を握っているように思う。 携帯電話の普及し始めのころ、お金持ちのおっさんが、道をあるきながら「あ-もしもし、」と見せびらかして、悦にいっていたような提示的行動は
今のように、携帯もってて普通の状態での中では、異様にさえ映る。
コントラバスが近代の名手によって常識化され、そのあとを弾く
人達が、まだ「提示」しつづけることは、進化を感じない。
その次は提示不要の上での活用による表現(印象派)といったところであろう。
コントラバスの音を知らない人が少ないという現状に背を向けて、「知らない人が多いはずだから」という自己暗示とともに、提示的表現をいまだにやっているソリストは「いない」。
コントラバス奏者のたどるステップとしては、
1、 低音への魅了
2、 鳴りの魅了
3、 驚きの魅了
4、 響きの魅了
5、 楽器を忘れた「音楽への魅了」
となるだろう。
しかし、その「音楽の魅了」があってこそ、コントラバスをはじめた人は逆方向に向かうという摩訶不思議なケ-スすらあることは否めない。一度、ステファノ・シャシャ(ルイジ・ボッケリ-ニ財団公式コントラバス教育担当者) 氏の กษQuella fiammaกษというイタリアアリア集のアルバムから、 N.A.ポルポラ/Sei mio ben を聴けばよく分かると思う。(LINKにある氏の公式HP http://www.stefanosciascia.it
をご覧ください)
スタインウェイのごく限られた古いモデルの甘い響きとどれくらい
シャシャの響きが融合できるかを知ることができるからである。 もちろん、伴奏されている方は、デイビッド・レオナルディ-氏で、
いかに響きや、貴重なメロディ-がわすれさられようとしている問題を シャシャのアルバムにも書き記している。
そのQuella Fiammaというアルバムであるが、録音上、最も美しいミックス
バランスである。これが音楽だと言い切れる。甘味を特に活かせている。 「楽器がどうだ」といったようには決して聞こえない。多分そのアルバムを聴かれた耳の肥えた日本のコントラバス奏者は
その自然な響きがコントラバスと思えないのではなかろうかと思う。
残念ではあるが日本に現在も存在する「提示型先生」は、
そのお弟子さんたちにも、その「コントラバスらしい素晴らしさ」を今だに、強要しているシ-ンを見受けることがある。世界的に(日本の有名奏者と新進CD発表奏者も含めて)
「進化や新しさ」をも尊重し、自由度の高い生徒を育てるといった(前向きかつ、
ふところの大きい)傾向がある。 一方、上記の「提示型先生」は依然保守的で
「その先生の演奏方法を厳密に伝授?され、それを守らせる」といった土壌が存在するようでは、進化は無いのではないだろうか? つまり、提示型の先生からの音の厳密な奏法伝授と音色の志向強制により生まれる生徒は、やはり「提示型奏者」となり、喩えて言うなら、「コピ-の繰り返しで
色あせてゆく」かのごとく、先生を上回る奏者は(その先生には絶賛されはしても)現れないのではと普通に思う。かたや、世界的規模で教育現場においての自由性を求める風潮が常識的に存在し、さらには、先生のやり方を「自分なりに噛み砕いて利用できる部分のみ吸収し、さらに提示型ではない「美しさの追及、音楽性の追及、バイオリンと同様なまでの正確なピッチ奏法を用いたような演奏」を求め、先生は強要しないというスタイルで行われるヨ-ロッパの現在の音楽教育から生まれた「新進気鋭のコントラバシスト」との(提示型奏者との)差は著しく開いてくるように思う。
私のような超アマチュアが、かく語るより、新発売されるイタリアや、
フランス、ドイツ等々の進化したユ-ロパワ-を悟るCDや、 新進アメリカン奏者の歌い方などに感銘を受けるCDなどを聴けば、
日本の提示型奏者も「こんなに綺麗に弾ける」ということに気付き、 そこから、やっと日本も進化し、「印象派への風潮」を悟ると思う。今 ステファノ・シャシャや、マッシモ・ギオルギ-のような表現力
を持った世代が今コントラバスの世界を広げている。 師匠とそっくりの音?は良いか悪いか? ふと考えるネタにでもなればいいと思って書いてみた(笑)
「コントラバスだけの音」に染まってはいけないという重要な常識
コントラバス愛好家は、自分のコントラバスの音にも、人のコントラバスの
音にも、染まり切ってはいけないと思う。惚れ切るにはいいが、染まっては
意味が無い。他の楽器(たとえば、バイオリン等々)の快い音は、「快い音」 として好きになるくらいでないといけないと思う。自分の「声」に染まって、他人の声を聴く時間が短くなればなるだけ「常識 ばなれ」してゆく。コントラバスにおいても自閉的な音作りは、「会話での共感ができない状態」
にちかく、会話法での怠り同様孤立してしまう。たとえば、コントラバスの音作りやカラ-リングにおいて、「ホルンへの憧れ」
なり、「フル-トの美しさ」なり、「ケ-ナの哀愁」なり、「フラメンコギタ- の躍動」なりを取り入れて、「快音」へのポイント的理想をもつことで、
抽象的な音作りから、やっと、殻を割って具体的なニュアンス表現の道が 開けて行くわけである。つまり、「隣人を愛せ」的な無差別攻撃ではないにしても「
快い音の全ての受け入れ」をしながら、コントラバスに染まり切らないように 心がけるべきであると思う。
「神戸から出て、東京へ行き、コントラバスを購入する」という事
ニッチマ-ケットであり、専門性を高く求められるコントラバス専門店は首都に あって当然であろう。それゆえ、神戸の私から考えると、「長い高い旅」になる。今の「激安航空券市場動向」からそのレ-トを考えても、「新幹線で東京へ行く」
というのは、外国(主にアジア主要大都市)への往復並の交通費料金支払いと、
さらに、「おのぼりさん」的な感覚を携え、方言による笑いを提供しつつ、
環境に対して(帰り道は)特にナ-バスになるという「興行的疲労覚悟の旅行」と なるわけである。そのうえ、ようやく辿り着いた「専門店」に長く居たいが、
迷惑にならないように、と考え、「せっかくだからこれをしたい」といった 到着まで抱いていた「集約した希望」を興奮や、遠慮で削ってしまう。箇条書きにしてでも、やりたいことをしてくるというくらいの意気込みで
東京の専門店に赴くのは「神経も磨り減る」くらいの大イベントである。移動距離的に考えても、多くの方々は新幹線の駅や、航空バス乗り場の 近くに住んでいない。いざ、東京から意気揚揚と楽器をかついで自分の街に帰って来たのに
それでも、まだまだ遠い道のりが待っているわけである。
例 : 前私が住んでいたところから、弦楽器の山本へ行って
楽器を購入し、持ちかえる場合の「大旅行」試算表
行き: 家からバス停(徒歩10分、0円)
バス停からJR舞子駅(バス25分、200円)
JR舞子駅からJR三ノ宮駅(電車25分、約300円)
JR三ノ宮駅から地下鉄三ノ宮駅(徒歩3分、0円)
地下鉄三ノ宮駅から地下鉄新神戸駅(地下鉄5分、約250円)
地下鉄新神戸駅からJR 新神戸駅(徒歩3分、0円)
新神戸から、東京駅経由(山手線で)新大久保 駅まで(新幹線、山手線約3時間半、14,000円)
*行き 片道小計 約5時間、約15000円なり**
帰り:
JR新大久保駅から、山手線で東京駅経由、新神戸駅まで(約3時間半、14000 円)
JR新神戸駅からタクシ-乗り場(徒歩5分*楽器を担いで*0円)
予約していたワゴンタクシ-で自宅前まで(約1時間、約6000円)
* 往復でなんと、9時間半!! 交通費で35000円!!!
35,000円あれば、欲しかった弦のセットも買えるんだがとも考えられる。しかし、「あえて、東京の弦楽器の山本の木本さん、山本社長さん」であるわけが
楽器調整(音色等)問題であり、「木の箱を楽器にするため」の調整費と 考えると、「まだまだ安い買い物」である。
喜びも、情報も、出会いも、その東京の1箇所でコントラバスは事足りる わけである。身近な「無知な店」で「木の箱」を買って、「調整の必要」に気付き、
調整を別個に行ない、搬送を再度するといった無駄が完全に省ける。最も大切なことは、そうまでして購入した楽器が まさに「楽器」の音がする!から弦楽器の山本。という点。神戸の私が現環境で不平を言うのも気が引ける。もっと遠方からも
その弦楽器の山本への「長い旅」をしている方ばかりなわけだから。
ただ、そういう理由がある限り、東京へ皆無理をしてでも行く必要がある事を勧める。
私がコントラバスの研究、等々を私なりにマニアック?に少なくとも「ん10店」以上のコントラバスを胸張ってすすめる店(笑)に赴いた。 もちろん、私が20年ハマって調べた情報から、絶対的な情報を持ってその店主なり調整者にたずね、その方々の知識等を把握収集し、実奏し、比較した。 結論、コントラバスを楽器のコントラバスとして提供している店は世界中に本当に少ない。 東京にある弦楽器の山本の木本さんや山本社長の技術、知識を抜く人にまだ私は会ったことがないことは私のそれらの経験上で胸を張って言える事でもある。同じ楽器(例えばオリエンテのHO-30等)であっても、弦楽器の山本で調整されたものを購入するのと、楽器取扱店に取り寄せてもらって購入するのでは「全く違う」結論が待っている。前者は「コントラバスの音がするコントラバスという楽器の購入」となり、後者は「コントラバスの音がしないコントラバスっぽい箱」の購入になることは間違いないと私は思う。 こんなにガンガンと弦楽器の山本を賞賛しているが、別に私は弦楽器の山本の回し者ではない(笑&事実) 多くのプロ奏者がそうであるように、弦楽器の山本の調整を知った限り、なるだけ多くのコントラバス所持者、あるいは購入予定者に弦楽器の山本の存在を知らせてあげるのが当然の親切だとおもう。 ま、一度行ってみると判る。 弦楽器の山本 → http://www.yamamoto-bass.com/
「超個人的見解(調整関係)の追記」
「コントラバスは歌ってなんぼ」である。歌わないと、他の楽器が合奏では
乗れないし、歌うために作られた「楽器」である。折角バイオリンや、ビオラ、チェロが素晴らしい調整を施してい
たとしても、コントラバスが歌わないと、「全体を悪く変える」ことは リスナ-としても痛感できるはずである。
また、逆に、コントラバスが絶対的なすばらしい調整を受けている場合、
他の楽器が乗れないのは、それらの楽器が調整されていないと自信をもって言い切れる。 大音量で弾けということではない。演奏音量ダイナミックレンジ(演奏音量のffffからppppまでの音の幅)を広く使いながら「遠慮することなく」歌うことをさす。そのまえに、それら、他の3大弦楽器(バイオリン、ビオラ、チェロ)についての最低限の知識をもっていたほうがい。 知識的情報等々のこれらがお互いに理解され、その主張を分かち合えたあと
での音楽表現をコントラバスに乗っかって表現するならまだしも、
それらの知識不足の問題点の提示があってしかるべきであると思う。
バイオリンの音の表面化率とでもいうか表に突き抜ける音の通り方なコントラバスのそれと比して、レベルが異なる、同様にチェロもそうであり、陽陰つけたがる日本人にはバイオリン、チェロは陽ビオラ、コントラバスは陰とあつかわれそうであるが、それぞれが陽の楽器であることでの調和が無い限り、喩えるならば全てが陽な「オ-ディオセット」といくつかが陽で陰も存在する「ラジカセ」との違いのごとく、結果現れる音も「そんなもん程度」になることは明らかではないだろうか。知識不足状態で音量的指導や、ブリリアンスへの文句等々の幼稚な指示を
受けた場合は、「商業的発想で演奏すればいい」
「響き」の重要性を押す場合、自然に「楽器のデリケ-トさ」を知り、
扱い方への配慮、クリ-ニング等への感心、も勝手についてくる。
いわば、注心が「音程」「音量」の興味的目標ハ-ドルをクリアした奏者は 自然に「響き」にたどりつく。 この、過去数百年続いてきた自然の流れを
受けとめて「先取り」するならいつからでも「響き重視」のスタ-トラインに並ぶことができるであろう。陽のコントラバスでこそ陰を表現できるのである。 響きというものが無い限り、自動車でたとえるなら小型軽トラック と 大型サル-ン の違いを知らずに「走行できるから良い」と言い聞かせている状態の「とりあえず車」になるということでもある。
「楽器を改造しろ」とは絶対言わないが、「楽器が必要としている事」くらいは奏者が感じていなければならない。
「痛んでいるが、弾いている」なんてそういう響きへの注心から考えても普通じゃない。そりゃおかしい事だ。駒、松脂、弦、弓、弓毛、奏法等々、数々の要因があり、そのすべてにそれぞれの「思いやり」を注いでやって、やっと、「自分の音の準備」ができると思う。
なんでもそうだが、いろいろな実質的情報があつまって、「学」となり、「知識」として取り入れた人達が集まって、「方針」を生み、それが、結果として「共感」として承認され、やがて「常識」となる。コントラバスという楽器で、よく聞く「常識」は、それを作り上げてきた「方針」自体あやしいし、最初の「情報」自体がどこかで抽象化されて部分的に誤って伝達され、集まってバラバラだったので、最大公約数をとって、「幼稚な共感部分」を生かし、単純な「常識」に残されてしまっていたように感じることが多い。少なくとも、CD等々でのイタリア、フランス、アメリカの新進気鋭の奏者たちの音色と、我々日本の一般的な奏者の意図する重低音!?とは別世界のように感じることがあったから、こう書いてみた。もちろん、私のHPは断っているように、私アマチュアの個人的な知識をもとにしている。わたしは譜盲であるし、楽器も数千台見たわけでもない正直な感覚で正直に書いてみただけである。
だから、この私の文章も経験情報であっても「常識」ではないのかもしれない。
これはまだ、上のフロ-に当てはめると単なる「情報」にすぎない点はいちいち書くまでもない(笑) まだ、楽器についての記述が1/3にも満たない同HPも、のぞき対策でよかれと思って書いたことが「陰口のネタ」になるのもいやになってきた。時間と、国際化がこの問題に終止符をつけてくれるのであろうが、保守派(提示型演奏を絶賛する方々)はもしかすると、断固として「鎖国」による「自己防衛」でプチ長生きするのかもしれない(笑) コントラバスの常識は変わったことを痛感してもらわないと今年もコントラバスは「テキト-に重く」「暗い」ベタな基礎でいくんでしょうか? なんて、書いたら、また怒られそうである。(笑)
「演奏室内環境」に於いての「六畳」の間
マイ楽器を弾く場所が自宅である方が最も多く、かつ、その環境に耳が 完全に「慣れ、親しむ」わけである。それゆえに、その練習環境へのアプロ-チも「音作り」の一環として、
その把握はとても重要だと思う。(下記本文後ろのほうに、「環境について」の節
のテストケ-スがあるが、本節とは切り離してご考慮いただきたい)
一般的日本人の一般的自室は六畳の間であろう。コントラバス演奏に必要なスペ-スは床面積で3平方メ-トルあれば 事足りる。しかしながら、天井をみてもらうと、その部屋(六畳)の
最大床面積を簡単に知ることが出来、さらに、そのコントラバス 演奏に適した場所を割り出すことも出切る。
木造の家の2階に六畳の間があるとすると、その部屋の中央で弾くことは 避けた方がいいとおもう。つまり、家じゅうコントラバスの音が響き渡り、
迷惑となる場合もあるからである。簡単に言葉で理想的な位置を書くなら、窓から離れた角にそのスペ-スを
もってこれるようにするのが一番であろう。
鉄筋の家の場合、逆に部屋中央近くで弾くことを勧める。高域周波数の反射音 を避け、プレ-ンな音を楽しむ場合で、かつ、自分の耳に入る
主音が最も大きい場所であるからである。また、この場合(鉄筋のケ-ス)
はカ-テンやラッグ等々での高域周波数の吸音を検討することも大切である。 ちなみに、コントラバスに必要な環境は「高い天井」ということも上げられる。木造住宅での2階からの遮音を床材で考える場合より、安価な方法として
インシュレ-タ-にもなる硬質なチップ集積材(コンポジションウッド等)を
演奏場所の床に敷き、その上で演奏してみると分かるし、さらに、その
チップ集積材の上にカ-ペットを敷く方法で低層階への高域音の遮音もできる。
あくまでご参考に。
「弦組み合わせ」の新発想より抜粋:1弦のみの独立発想による弦組み合わせ応用とその理由・考え方
オ-ケストラの4大弦楽器のなかで、やはりずば抜けて聴者需要が高いのは バイオリンである。そのVnの弦を考えてコントラバスの現代化ならびに その音のコントロ-ルによる自由度を考慮する。バイオリンの各弦の喩えでもっとも平均的なものは、「おのおのの弦の音色を
差別化し、固有の音源と解釈している点である。
この点ではコントラバス奏者は「慣れてきていない」状態でもある。バイオリンの名手たちは1弦の透明感と4弦のうなるような訴えを同じ楽器の
おとでありながら、別個に表現し、たくみにポジショニングし、その歌声を 表現してきた。コントラバスの場合なら、不思議と、セット弦でやっている人が殆どを占め、
その異様さは日本独自もしくは、ドイツと日本独自かもしれない。バイオリン弦についてさらに述べるなら、オリ-ブなど最高峰とうたわれる
弦はかならず、「1弦=ゴ-ルドスチ-ルThin2弦及び3弦は ガット芯アルミ巻き、4弦はガット芯のシルバ-巻き」である。
コントラバスでこの特性とその個性を表現するなら、下記の例のような
おとの違いが想像できやすいものになるのではと思う。
D、 A、 E 弦 に対し G 弦
オイドクサ オブリガ-ト
オリジナルフレクソコア オリジナルフラット
ドミナント オブリガ-ト
コレルリタングステンTX ヤ-ガ-ドルチェ
スピロコア コレルリタングステンThin
オリジナルフラットクロム ド-ガル(イタリア)
コルダ ベルベット(スイス)
というような、1弦独立明音式の組み合わせが考えられる。これにより、1弦でのハイト-ンは個性が強くなり、楽器音の平凡性が 改善される。
さらに、バイオリンの1弦と4弦が「2弦と3弦の同色性」に対して
それぞれ固有の特色をもつ存在である点を考えると、コントラバスでは 次のようになる。
スチ-ル弦基調である場合
2,3(DA) に対して
G弦は E弦は
オリジナルフレク、 フラットクロ-ム、 フレクソコア(Thin)
フラットクロ-ム、 ヤ-ガ-フォルテ、 ド-ガル
ガット弦基調である場合
2,3(D A) に対して
G弦は E弦は
オイドクサThin 、 フラットクロ-ムソロをGで、 オリ-ブ
オリ-ブ 、 オリジナルフラット、 オイドクサThick
シンセティックコア弦基調である場合
2,3(D A) に対して
G弦は E弦は
ドミナント、 スピロコアス-パ-フレキシ、 オブリガ-ト
オブリガ-ト カプランゴ-ルデン オイドクサ
以上上記は個人的な「ヴァイオリン基調」からのコントラバス弦(ソロ対応)
アンバランスに思えるが、ト-ネ-ションと独立的単弦主張の組み合わせの例である。ご参考まで。
「名器」の木材
表板の素材である木材の特性などを無視し、見た目である程度理解 しておくべきことがある。この節は本当に「信じるべきもの」ではないとおもう「アヤシイ」
ものであることを先に記しておく。木目というが、専門用語を無視して、その部分を見てみると、堅い詰まった線にはさまれた「すの多い」ドライな部分のリピ-トとなっている。 バイオリンの名器とうたわれているものを色々見せてもらい、そのときに目だった点であるが、表板おでこ部分の中心の木目の均等性は特筆できる。
ただし、「バイオリンで1-2ミリ程度」である。さて、バイオリンのその幅を用いてそれを正比例化するとして、例えば、バイオリンのロウア-バウツ間に何本の木目が走っているのかを数えた。あくまで例としてバイオリンでその幅が200ミリだったとしよう。
仮に130本木目が走っていたとすると平均の木目幅は1.53ミリとなる。 コントラバスに拡大して、ロウア-バウツ間が65センチの場合、130本走らす木目の幅の平均が4.97ミリ(ほとんど5ミリ)となる。耐圧発想による「表板厚さでの問題解決」がすんでいるなら、その比率を勘案し、コントラバスの表板の木目幅として「平均5ミリの木目幅」を考えても「普通」であるということである。先ほどの比率に合わせると、バイオリンでよく見られる2.5ミリ程の広めの木目間はコントラバスではなんと「8.1ミリ」にもなる。
私が過去所持していたコントラバスでは表板の中の最大木目幅が6ミリであった。今持っているコントラバスでは、最大で8ミリの部分もある。
木目という着眼点はきっと、製作者にとっても大切な部分であると思われたが「板目取り」をしている名器の存在とその音の結論を聴くと、木目の重要性という点を取り上げたことは「失敗なのかもしれない」とも感じる。駒についても木目という発想が必要になってくるはずであり、同比6ミリ間の出来るだけ平均な分布のコマは素晴らし「そうな」気がする。
「弓メ-カ-名一覧」
(日本では(私が)あまり見てない国際的に有名なもの)
流通モノの高級・要チェック・名作家もの
R.Dotschkail
Ulf Johansson
B.Tunnicliffe
Roland G. Penzel
Heinz Dolling
Klaus W. Uebel
Bernd Dolling
Gottfried Sturm
C.Hans Karl Schmidt
Benoit Rolland
Otto Hoyer
Malcolm M.Taylor
R.Dotschkail
比較的安価で素晴らしいもの
K. Schaffer
Alfred Knoll
M. Monnig
Gerald Knoll
Roger F.Lotte
J.S.Finkel
Garner Wilson
K. Gerh. Penzel
上記ご参考まで
「スクロ-ル(楽器のヘッドの渦巻き部分)で遊ぶ」
よく、スクロ-ルは音に多大な影響を与えているという人の文献を読んだ。私はそう思わないし、そう思えない。そう思いたくもない。逆に名工の高い木彫技術表現部分であることはみとめるが、価値的にもさほど大きな影響を及ぼさない部分でもあると私は個人的に思っている。フランスの楽器や、イタリアの古い楽器、イギリスの楽器やスウェ-デンの楽器などには本当におもしろいスクロ-ルが多い。
ライオンヘッドと呼ばれるものは渦巻きのかわりにライオンが彫ってある。ライオンには見えない「こま犬」みたいなものや、おっさんの顔、年配女性の顔、わらけてしまうようなぶっさいくな顔、ト-テムポ-ルのような超荒削りの人かなにかわからないような顔、拝みたくなるような綺麗な女性の顔などなど、数えられないようなレパ-トリ-に気付かれることだろう。そして、そのライオン(?)はいつも舌を巻いている。
さて、モンゴルの馬頭琴はその名のごとく、ヘッドが馬の頭になっている。 私の持っていた馬頭琴では、金属細工も施され、本当に綺麗な馬の頭であった。お国変われば・・で、ライオンになるのもいいが、鷲、象、イルカ、クジラ、貝、など色々あったら楽しいだろう。日本は仏顔ヘッドとか侍顔はいかがだろうか?個人的にはやめてほしいが。今お手持ちの楽器のスクロ-ルを油粘土で型を取って、スクロ-ルを覆うような装飾スクロ-ルを木彫で作るのも手であろうが、いっそ、スクロ-ルを替えて楽しむのも手かもしれない。(と書くが、私は絶対切りたくないという人でもある) ガスパロ・ダ・サロ(ガスパ-ロ・ディ・ベルトロッティ イタリア・ブレシア)の名器で、ノルウェ-のベルゲン?オスロ?博物館に飾られている通称「チェリ-ニのバイオリン」は、この「スクロ-ルの改造」が早かった。有名なスト-リ-なので書く必要もないが、出来てすぐくらいにはスクロ-ルが改造され、ガスパロ自身も改造の後に聞き、見てさらに、絶賛したそうである。(楽器作者がスクロ-ル改造に文句言ってない!!)いっそのこと、C装置付き装飾ものの「C装置一体化スクロ-ルカバ-」なんてどうだろう。
「芸術の秋(抽象的キ-ワ-ド集)」
ト-タルでの考え方:
空間= 屋根が高い、教会、大聖堂、中ホ-ル
イメ-ジ:
イギリスのオックスフォ-ドの図書館、イタリアのドゥオモ、
フランスのベルサイユ宮殿の小部屋
身近なイメ-ジ:
ア-ト・オブ・ノイズ(イギリスのテクノグル-プ)の「モ-メンツ・イン・ラブ」、
ジョ-ジ・ウインストン(ピアニスト)のAutumn より「カラ-/ダンス」、
映画「炎のランナ-」、 うろこ雲の午後6時の空、 お月見、
ぶどうと葉、東山魁夷の日本画、セザンヌの静物画、
ゴロワ-ズ(たばこ)、ブラントン(ウイスキ-)、
カルボナ-ラ(パスタ料理)、チネリ(自転車)、
チュ-ドルのマ-ク(腕時計)、紅葉の向こうに流れ落ちる滝、
ウイリアムス(梨(洋ナシ)の名前)、 アストン・マ-チン・ラゴンタ(車)、
ホ-ガナ-ズのマグ(スウェ-デンの名陶器)、タ-コイスブル-(絵の具)、
インフィニティ-の初期のポリプロピレンスピ-カ-、
秋の曲のイメ-ジ:
ステファノ・シャシャの Sei mio ben / N.A.Porpora
ル-ドビッヒ・シュトライヒャ-の アリオ-ソ/J.S.Bach
ゲリ-・カ-の 羊は安らかに草を喰み/J.S.Bach
クラウス・トゥルンプの Elegia / G.Bottesini
「コントラバス移送・運搬関係」
基本的には非常に強靭であり、同時に非常にデリケ-トな楽器でもある。本当に精密機器以上の精密さで音が保てるのであるが壊れにくい。ケ-スに入れていても つぶれるし、ケ-スから出しっぱなし(私はケ-スを使うことは移送以外では
無い)では、湿度変化等での破損も起る可能性すらある。こういった不動産的な場合の事故回避ではなく、運送・移送時のことを この節で述べる。
在来線電車では、オセロ同様にカド取り(車内の四隅部分)が安全である場合が多い
ただし、この場合は常識的に、混雑時などは搬入しない。
新幹線の場合、2階建てグリ-ン車の階段左上に超大型の楽器でもらくらくと乗る 「棚」スペ-スがある。 ここが素晴らしい。それか、グリ-ン車両には、セバスチャン
ごとき車掌さんがいて、その人の待機室隅で預かってもらう方法もある。グリ-ンでない指定席を利用する場合は、特急指定乗車券をみどりの窓口で発行してもらう際、(発行者は画面での確認ができるので)四隅のいづれかの席でかつ二人がけの部分で、かつ、(2席とも独占するために)となりの席が乗車駅から降車駅までだれも使わない席をみどりの窓口でブッキングするとよい。また、この場合、席を回転させて、車両接続部方向(前にむかって前の席なら前側)(前に向って後ろ端の席なら後ろ側)に向け、通路側に座り、窓側に楽器を立てて椅子にもたれかけさせる方法がある。しかし、裏面に手すり部分が当たって、損傷を起こさないために、圧手のクッション材(コ-トでもいいし、グリ-ン車から「つかっていない毛布を拝借してきて」つかうのも手)が必要になる。さらに、荒い手では、自由席利用の場合であるが、トイレ付きでない車両のピロティ-部分で、立ち乗りする方法もある。 ただ、他の乗客の「迷惑になるようなことをしてはベ-シストのハジ」であるので、特に気を付ける。最も荒い方法では食堂車手前の売店コ-ナ-で売店のおねえさんとしゃべりつづけ(というのも、売店の部分が最も幅があるので)て目的地までコントラバスを運ぶ方法も見逃せない。補足するまでもないが、楽器に運賃は絶対不用である!!バスの場合であるが、基本的に運転手がそのバスの法律のようになっているので運転手に許可を取り、乗降場所の指示も乞い、料金関係(手回り品料金の要・不要)などを聞いてから、もっとも車内床幅がひろいところで立ってもつのが基本であろう。常識を改めて書く必要もないだろうが、「混雑時の回避」はあたりまえであり、「大きな楽器で仕方ない」が、それで「他人に迷惑をかける楽器」ということにはいかない。大きな楽器を管理できてこそ、オ-ナ-の意義がある。
「5弦の音は小さい?」
私はヤマハの12弦アコ-スティックギタ-をしょっちゅう弾いていた。 もちろん、ロック、ポップスで、歌いながら弾くのだが、声量にも 増して、その12弦の音量は気持ちいいものである。 6弦楽器とさほど
変わりが無いということである。 弦は低い方から4本の弦にはオクタ-ブ
上の弦が沿って走っており、上2本には同じオクタ-ブの弦が張ってある。 テンションは計る気もないが、6弦より高いのは当然であろう。コントラバスでは3弦楽器、4弦楽器、5弦楽器とあるが、だからといって 極端な音量低下が起るとは思えない。ただ、「響き」は異なるといえる。すばらしい調整を受けた5弦は、ソロすらひけるのではないかという
響きもともないながら、すばらしい4弦のような音量を出す。
私が5弦のルブナ-を弾いていた頃、5弦の「ビッグさ」に憧れたものの
4弦の響きがなつかしくなり、「極端な変化」を求めながら、 4弦に「セット」して弾いてみた。 結果、「おんなじような」音であった。残響と自由度がましたようにも思えたが、簡単に言うと、「おんなじような」 音しかでなかったのである。つまり、5弦で鳴らない楽器は4弦に改造しても鳴らないのである。
逆に、4弦で素晴らしく鳴る楽器はC装置をつけようが、5弦に改造しようが 「鳴るはず」である。もちろん、数値的には極端ではないにしろ、本当に若干の
音量低下はあるのであろうが、響き等々でのくすみは殆どかわらないと 私は思う。
「弓毛調整関係に関して」
上手い毛替えは「秋」か「春」の晴れの日にすることを勧める。トリックを使うには夏であろうし、冬にすると夏に弛み過ぎる。 毛替えトリックとはやや強めに最初に張ることで、バランス位置が手許に移り
先が軽くなったように感じるが、冬になると希望値まで緩められない。スウェ-デンの店では毛を完全に緩めてフロッグ(フロッシュ)を
抜き、客に適度な位置で毛を張ったことを知らせてから弓を売っていた。 デンマ-クの老舗「エミル・ヨ-ス」ではそういった調整済みの弓を買うときは、客は出されたコ-ヒ-を飲みながら、かつ、2つの異なった試奏室で数十分弾かせ
てもらって、納得してから買うという人が多かった。 (ちなみに、この店は
王宮の入口の近くにあって、店員は皆、白衣をまとい、パティシエの様である)
そういった有名楽器店が勧める弓への理由がおもしろい。
私の経験であったが、ビオラの弓を買う時である。予算的に選択枝もゆとりが あったのであるが、店主(友人)が一本選んでくれた。その理由は 「ビオラの音が出したいんだろ?」である。バランス云々や銘云々の話をもすばらしい知識と経験から提示されたその弓に は「理由」があった。コントラバスの弓を選ぶ人達から聞く言葉で多いのが、「バランス」と 「銘」であろう。しかし、コントラバスの音を追求して弓を選ぶ人は どれくらいいるのであろうか?一番肝心なことだとおもうが。自信過剰的に「自分の奏法に合った弓」は正しいのであろうか?その「弓にあわせた演奏法」になるほうが、「コントラバスの音」を追求 するには自然ではないかと思う。
コントラバスの本(上級知識編2)著者:内海芳宏
(Almaさんにご協力頂きました)
トレンドを解釈する必要性
1600年代にイタリアで生まれたビオロ-ネという楽器があった。これは、「通奏低音」(コンティニュオ)というパ-トを受け持つ楽器でもあり、やはりあなたのように、大きな楽器の低い音への喜びとさらに、音楽の厚さを求めていたころにできたと考えられる。初期の大型ビオロ-ネは、弦が5ないし6本あったようである。時代の変化にともない、呼び方もコントラバッソとなってから、弦数に変化がおきる。たとえば、ドラゴネッティ-の世代では、メジャ-な弦の数は、3本であった。近年では、コントラバス人口の増加にともない、音圧の低い5弦の楽器も多く製造され、基本が4弦になっている。弦長は最も標準的なもので105センチで、現在でのレアケ-スとして、オ-ルド楽器にみられる100センチのものや、120センチのものなどいわば、本来のコントラバスの「不確定さを残した」姿は、多種多様のサイズのものが混在した中を経て、ビオロ-ネの時代を消していっている。弦の数が多いなら、表板裏にある力木の位置も、中央からは縁側に離れているわけであり、F穴の上の○ 部分のすぐ横に一面が見える位置であろうから、弦数が減ったあとに立てた駒の足は力木のすぐ裏の場所には立っていないわけである。しかしながら、弦数が減少したのち(1700年以降の3弦の楽器としてつくられたもの)の場合、逆に、駒足がF穴の上の○同士の間の距離より、外にはみ出てしまうものすらある。
今は4弦、もしくは5弦が普通という現在にあわせて、すべてのオ-ルドを4弦や5弦に改造することも、いささか乱暴に思える。トレンドを追うのはファッション程度にしておいてもいいのかもしれない。つまり、力木の位置、f穴の位置が製作時の弦数から、本来あるべき場所に移動され、設置されている場合を除き、本来の音は根本的に改造(改悪もあるが)されていることがほとんどである。イタリアのベネチアのマッテオ・ゴフリラ-の作といわれるコントラバスが世の中にいくつかある。素晴らしい響きであろうが、そのほぼ100パ-セントは3弦楽器としてつくられていたのではないだろうか。現在そのゴフリラ-で3弦楽器としてあるものは(私は)聞いたこともない。
楽器のクリ-ニング
表板は時期と状態で、クリ-ニングに適するか、そうでないかを押して知るべしであろう。表板は、一概に、気温と湿度の変化をある程度受けたら、表面が自然に湿る。(窓を開けて、夕方の空気を取り入れるだけでも、ほんのすこしだけ、ニスの上に湿りが現れる。この場合は「よく使いふるした綿の布巾」で乾拭きすると、ほとんどのホコリや塵が取れる。つまり、クリ-ナ-は必要無い。また、曇りの日や、雨の日は「乾拭きデ-」だと言える。
クリ-ナ-についての特性一覧
色々なクリ-ナ-が販売されているが、その内容を私なりに表記してみる。
Viol R.Paurus (Germany)
(ビオ-ル)(約1200円)
オイルである。速乾性・揮発性の油と、ほんのすこしであるが、揮発しにくい油の混合油と言える。香りは、松脂のニオイといえる。これは、汎用クリ-ナ-オイルであり、弦(弓に接触する部分は絶対塗ってはいけない。このクリ-ナ-は揮発しない油が混入されているからである。)にも、使える。
VARNISH CLEANER
W.E.HILL & SONS (UK)(ヒル ニス用クリ-ナ-)(約1000円)
ワックス系のオイル介在のクリ-ナ-である。速乾性はビオ-ルより高くないが、揮発油とワックス系のクリ-ナ-剤が白く残る場合がある。布に付けてすぐ磨き、すぐ乾拭きするという方法で磨いてゆく。このクリ-ナ-は香りが特にきつい。防虫効果はわからないが、気分的に、松の木を切ったような、香りがする。ただ、クリ-ナ-としてよりは、ワックス仕上げ剤のような感覚で使うと、ヨゴレをつけにくくなるので、「汚れる前に」これで磨いておくと、ついたヨゴレは乾拭きで充分落ちる。
Stringed Musical Instrument WAX Polish
(リリックワックス)(約1300円)Lyric Brand
石油系精製油と成分表記があるが、最もサラサラしたクリ-ナ-であり、最も長生きするコ-ティングを残すことができる。つまり、言い方を変えれば、最も「キツイ」クリ-ナ-である。香りは、ギタ-ポリッシュからの派生品らしく、ソフトなワックス系のクリ-ナ-の香りであり、使用する時に、最も揮発しにくいもの(水と同じ揮発度合いくらい)であるので、少量で、広い面積をクリ-ニングできる。しかしながら、揮発するまでに、必ず乾拭きを、別の布で行なわないと、「薄塗り」状態になって、つや等々も出ない。さらに、ワックス(蝋)成分が、イタリア系のニスの細かいヒビに入ると、割れたところは、くっつかないという恐ろしさも持っている。
Rensemiddel till Strygeinstrumenter
Emil Hjorth & Sonner (Denmark)
(エミル・ヨ-ス 弦楽器クリ-ナ-)(約1000円)
ニスの特性を特に考えて作ったクリ-ナ-のひとつ。最も安全であり、上記に表した他のクリ-ナ-より安定した効果を持っている。ただし、磨いたあとに全くと言っていいほど、オイルの残存が見とめられない。つまり、殆どは、クリ-ニングとともに揮発するタイプであるし、磨いているときは、ニスを決して溶かさない。入手方法は、コペンハ-ゲンに行って、王宮前にあるその店で大量に仕入れることくらいしか、方法はないとおもう。しかし、現在、スイスやフランスの有名な楽器店(もちろん仲の悪いスウェ-デンの店までも)はそうして買い付けにきている。そう、外国で楽器を買ったときのあの特殊な香りは殆どがこのオイルの香りであると思う。
LE CANU - MILLANT (France)
(ミラン)(約2500円)
はっきり言うと、粉末磨き粉をオレンジ色のオイルで溶かしたようなポリッシュである。金属磨きくらいの細かい粒子は粘土を元につくられていると思う。もっとも厄介である点は、「3度拭き以上」必要となることである。つまり、1回目は布に塗布して磨き、2回目は乾拭きし、3回目もういちど、丁寧に乾拭きし、さらに、もう一度乾拭きしなおして、やっとその粘土質の研磨剤のようなものが取れるのである。残留があると、非常な摩擦を感じるし、それ以上にニスが殆ど1層目を削り落とすくらいの研磨であることに気付く。これは、アメリカのカイブランドや日本のチャキ、鈴木ブランドの楽器などにつかわれている、「ウレタン」系のニスを削って、薄くする時に使うくらいしかすすめられない。
Avreol R.M.Schmidt - Liebenzell (Germany)
(アブレオル)(約1000円)
ドイツ製のクリ-ナ-の中で、最も安全で、かつ殆どのヨ-ロッパの楽器商の愛用オイルと言える。楽器を基本的に「ニス乾いてすぐ」くらいのツヤを蘇らせるような、残存のやや多いオイルである。この残存する揮発しにくいオイルがシュミット社の研究結果のようで、私の知る限り、高価なオ-ルドをこのオイル以外で磨いているのは見たことが無い。このオイルはツヤを残し、なんともいえない香りも残す。これは、防虫効果もあるらしい。(臭い)入手方法はリ-ベンツェラ-の松脂を扱っている所が最も安全である。(同じシュミット社で作っている)
現代弦の特性と推奨
最近各社が相次いで発表している新ラインのコントラバス弦であるが、それぞれについて実奏テストを行なった。アマチュアの私なりの解釈とその推奨を以下記載する
トマスティック・インフェルド社(オ-ストリア)
スピロコア・ソフト
(ボ-ルエンド側は見た目では普通のスピロコアと 同じであるが、ペグ側の巻き糸の色が薄紫である)コルスタインバリコア弦と同様のソフトな(というか真ん中のないようなもったりした音)響きとやや短めのサスティンの弦であり、白こな系の松脂との相性はよくないと思う
トマスティック・インフェルド社(オ-ストリア)
ス-パ-フレキシブル
ボ-ルエンド側が明るい青緑色の巻き線の弦である。ダダリオヘリコアソロ弦よりもっと芯のある弦で多分音量的にみても、もっともけたたましく鳴らせる弦であろう。問題はコルダ以上に長いサスティンであり、残響の全くないようなところでも、教会で弾いたような響きを生む。現在私が知る限りではもっとも求められそうな弦であるし、多分現代スチ-ル弦の最高峰にランクされてもいいくらいの出来である。ピチカ-トが張ってすぐは、ややエレキベ-ス的であるが、むしろこれくらいの明るさが基本となりつつあることはだれしもみとめるところであろう。ぜひともオケチュ-でソロを弾かれる方はこの弦を推奨させてもらう
新着松脂報告
世界で流通している松脂は多分100種類を軽く越しているし、2つ以上使った経験をもつ利用者もそれぞれの「違い」が歴然と存在することに疑問を抱くものはいない。つまり、100種類以上の異なる音色を生む松脂がある。(この松脂の節の場合では、楽器自体の音色の違いや、弦、演奏方法、演奏テクニック等々、弓、弓毛などの違いから生まれる「違い」のような初歩的な常識についてはあえて踏んでいることとして、「違い」を理解頂きたい。)
アラスカ Alaska bass kolphon(ドイツ)
イタリアのゲ-リ-・カ-の弟子であったステファノシャシャが愛用していた中古を入手した。特性としては、シャシャ(Stefano
Sciascia)のQuella fiamma Italian arias from 17's (初級HP及び上級2HPに詳細記載)のCDで鳴っているあのクリア-な音が出る。驚異的である点は、決して荒い引っかかりでないが、しっとりと吸い付くので、裏返らないし、あらゆる条件下でも同一とも思えるような安定性を誇っている。
コルスタイン・ウルトラ ソフト
スペシャルオ-ダ-ド (By 弦楽器の山本)
N響の奏者の記憶から蘇った本来のコルスタインの松脂だそうだ。はっきり言うと引っかかりがやや荒いが、現在の基準的流通物のコルスタインウルトラの他の松脂とは世界が違うようにも思える。25度の暑い環境で、やや解けても、安定した引っかかりを生む。上記のアラスカを使っていたステファノ・シャシャも現在はこの松脂を使っている。シャシャのCDで次回発売されるもの(01年7月現在録音中)はこの松脂を利用している。
ス-パ-センシティブ Mini Rosin
ノルウェ-へ輸出されているアメリカの松脂であるが、バイオリンからコントラバスまでこれで・・という店主から購入してもらってきた。真っ黒緑系透明であり、非常に硬質であるが25度以上の気温下で利用する以外は決して勧められない。
2002年6月30日(日) 未完成
作者 内海芳宏
○ コントラバスの音質変化の秘密
表に出る音(聞き手に届く音)と、出ない音があることを理解しておく必要が奏者にとって大切な事だとおもう。奏者が、クリア-でみずみずしい音を出しているつもりであっても、実際は「こんもりした音」しか聞き手には伝わっていないケ-スがほとんどであろう。弓毛から生まれるト-ネ-ションの違いにあるような「毛色の違いからくる音の差」などは、むしろ演奏者だけの世界である場合ばかりだとおもう。むしろ、毛替えの際の毛の選択は「音量志向」であるべきだと思うし、ト-ネ-ションはむしろ、「腕前」であるとおもう。
○ 技巧的演奏の絶賛点
左手が難しそうに動き、右手が安定したパッセ-ジを生み出している。左手は「練習努力の賜物」と考え、右手は「芸術性」と思ってもいいとおもう。演奏家がいかに複雑な曲を制覇するかがノルマではなく、いかに「美しく聞き手に聞こえるように弾くか」が技巧的演奏、しいては単純なロングト-ンで、もっとも重要なことであるとおもう。一番最低な演奏方法は「ぼうびき」と俗称されているような「変化に乏しい」弾き方である。
○ 毛替えについて(補足)
弓毛の寿命はせいぜい1年だと考えても差し支えないとおもう。日本の有名オ-ケストラ・コントラバス奏者は1ヶ月に一回するひともいるし、1年くらいへっちゃらで毛替えもせずに使い続けている人もいる。弓毛のトレンドとして、やはりモンゴル産のものや、カナダ産のものがフランス経由であたかもフランス産のように扱われているむきもある。
毛色における特性は別記してあるとうり、濃い茶色、薄い茶色、黒、白の順に荒さがなくなってゆく。
バイオリンの弓にはられている白い毛とコントラバス用の毛との差はあまり感じられないが、それゆえに、コントラバスの弦の直径と弓毛の「荒さ」との比率が表に現れる音(聞き手に届く音)に大いに関連し、奏者にしか聞こえない程度のクリア-さ(白毛)を聞き手にとどかせるつもりでも、結局、その白毛の音と茶色の音の差は「音量差」でしかなくなっているようにもおもう。よって、私の方針では、少な目の毛の量で、もっとも音量が大きくなるような「茶毛」もしくは「黒毛」でテンション高めに張ってもらうことを勧めるのである。
○ 演奏家の自信過剰からうまれる「ガンコ」さ
演奏家はだれしもそうであるが、「自分の音に自信をもつ」べきである。しかしながら、次の事を「好き嫌いを別に」弾いてみて、自分の技量、しいては、自分の音の不安定さを知り、さらなる自信向上のための一助としてもらいたい。
ブリッジから2センチ離れたところで、音を裏返さずにきれいにppで奏でることができるか?
オ-ケストラチュ-ニングで4弦の低いファの音を弾いて、瞬時に3オクタ-ブ上のファにピッチを厳密に正確に飛べるか?
ハ-モニクスだけでなにかのメロディ-が弾けるか?
○ 教則本はあくまで「土台」でいいとおもう。
シマンドルなり、シュトライヒャ-なり、ゲ-リ-なり、数々の「教則本」と訳されたものがある。私はそれら全てがすばらしい本であると思う。反面、あくまで「その人の弾き方」の参考書であるという事をわすれかけている人がバイブル的教則本としてそのとおりに「さらって」いる事へ少々危機感を抱いている。基本は自分のからだに合った演奏方法をそれらを「参考にして」編み出し、すばらしい音色で奏でるようになるということが、一番大切な事ではないだろうか?もし、私がそれらの「教則本」を書いたなら、きっと「ご参考にしてください」という程度しか言えない。すばらしい演奏家たちの「十人十色」の演奏方法を「知れば知るだけ」感じているプロですら、一人一人異なった演奏方法がむいてい
るということに目を向けていない。いわゆる「典型的な日本人的 協調性、共通性の美」のみを強要していることもあるだろう。また、「たまたまその奏法がからだに合った」演奏家が絶賛されていることもある。不自然であっては「音」を「楽」しめない
○ オリジナリティ-の欠落
ボッテジ-ニ、ドラゴネッティ-などの有名なコントラバス曲作曲家がいることを、コントラバスを続けてゆくうちに「知識として」演奏家は知ってゆく。彼らというのも失礼かもしれないが、その作曲家はコントラバスになかった「コントラバスのための曲」を数多く生み出している。いまや、ん万人といわれるコントラバス奏者たちはそんなオリジナリティ-精神をわすれ、先代の遺産のみを演奏し続け、レパ-トリ-の少なさに嘆いていると感じる。オリジナルアレンジなり、オリジナル曲をみなが作り出し、さらに、その「コントラバスの音の美しさ」をコントラバスをよく知らない「ん10億」の人たちに伝えられてこそ、芸術家冥利に尽きるわけであるので、ぜひ、コントラバス演奏家はコントラバス曲をどんどん世界に出してゆくべきだろうとおもう。
美奏法とは ~内海芳宏著『コントラバスの本』第16巻(2003年発行)より~
いよいよシャシャさんの音の解析をはじめてみる。 ご本人には笑われるだろうが、その世界のリスナ-をくぎ付けにする「綺麗な音」これは楽器だけでも、弦や松脂だけでも、演奏方法だけでもないと思うが、とりあえずほかの楽器での応用にも使えるように、あえて「イタリア 方式の美奏法」をなんとか「推理・考察・結論付け」し てみる。
(A)演奏方法について
シャシャさん実奏ビデオを友人がイタリアのシャシャさんの家を訪ねて収録してきてくれた。 もちろん 短い演奏の収録であったが「仰天の内容」であったし、 なによりも「力をヌキまくり」とも言えそうな「右手」 と、0.2秒か?と思えそうな手の返し、それと弓毛の接 触面積からの圧力の推測や弓毛のテンションの推測が 出来た。なにより手ならしもなにもせずに、瞬間に調弦し、すぐに弾きはじめても、あの音が出ているのである。
ここで、私が見逃さなかった部分は、「押さえる部分にまさに平行して移動する弓毛の接触ポイントの移動」であって、それはまさに、美奏法のポイントと言われる場所での弓毛と弦の接点設定がなされている上に、力任せに弾いていないのに「裏返らない」演奏という点、そしてその「超自然な構え方」などである。 つまり、理論的にはイタリア奏法の持ち方(別のHPに記述有り)であるにもかかわらず、だれがみても上体が傾いてないという不思議や、弓の動き(例えば一方向での動き)の中で、たくみにコントロ-ルされる音圧とその意志(もっと・・ という感じの意志)がちりばめられてあり、「アラをさがしてやろう!」と思って いても、吸い込まれるその超正確な音程と自然なシフト等、は格別であり別世界であった。 ようするに、弓先からの着地の際、とくにフラツキの無い状態で弓先がランドしたら、即その引っ掛かりに応じた加圧とスピ-ドを「最も無駄の無い状態で」提 示しはじめ、フロッシュまでそのコンディションでも っていくという匠技でもある。まさにコンマん秒の世界 でそのコントロ-リングを行っている。接弦部分を数 字的に言うなら「開放弦の演奏において駒から 約16センチあたりを弾き、それより指板側は決して弾かない。といえる。また、そのビブラ-トの応用については、ビデオでは数種類しか確認できないが、まさに「掛けすぎず早すぎず派手すぎず」をその楽器に応じて、あるいは曲に応じて提示されているのだ。
(B)テンポの非固定化による練習演奏の画面で
つまり、弓をたっぷり使おうとした場合弓元から弓先まで弾くつもりが、そのリズムなりテンポなりで「途中で折り返さざるをえないような場合」で、練習にお いてはシャシャさんは最後まで弾ききってから次に移 ろうとしていた。とりもなおさず、これは弓と意識の外的拘束からの脱却というジレンマによる即対応感覚の習得であり、弓全体を使うときめたら、その全体を利用する際に時間的な配分を瞬時に設定しあわせて弾 くことができるようになるために「あえて弾ききって いる」と思われたのである。これの積み重ねが、さらなる弓と意識のパイプを太く してゆくモトなのだろうかと考えてしまった。自分の楽器でしか出来ない弾き分けが(音色を自在に変えたり、スイ-トスポットの場所を知っているゆえにできる歌わせ方など)あるように、シャシャさんの音をだれかが自分の楽器以外ではマネすら出来ないことを考えても、やはり「その楽器のサウンドスポットの各音での場所」をからだに染み込ませ頭で覚えてから、シャシャさんはそのオン・オフをたくみに利用して演奏している、と感じた。また、部分的に遅くしたり早くしたり と「歌わせる技術」を用いていても、「全体を眺める と、一定のテンポである」点は驚異である。つまり、 冒頭の平均テンポがT-1であったとして、いつのまにか 遅くなってしっとりと弾いていた(T-2)のが、感情こめた部分ではすこし早いテンポ(T-3)で弾いていて、 冒頭部分の復帰部分でまた別のテンポと(T-4)なり、改めてすべてのリピ-トでのテンポが変化(T-f)していたとしても、最後のテンポで完全冒頭部分のテン ポに合わせたり、総合的に各部分の変化テンポを按分 してみるとやはり冒頭の意図した曲のテンポ(T-1+ ~T-f/dTn = T-1)となっ ていることもその美奏法のテンポ解釈部分としてあげら れる。
(C)アクセサリ-のこだわり
シャシャさんは世界をうならせた名盤「Quella fiamma/ 18 century's Italian Arias」 発売 RIVOALTO S
rl. Italia(この会社名で検索されるとリボアルト社のHPへいけますが、東京にあるコントラバス専門店の弦楽器の山本にまだわずか在庫残っているそうですのでぜひ、購入されることをお勧めします。それが美奏法のバイブルですから)においては、モリゾ-のフレンチ弓にイタリアの黒毛を少なめにややテンション高めに張り、松脂はアラスカ(旧西ドイツ製、現在製造中止)を少し多めに つけて、弦は「ピラストロ
のフラットクロ-ム弦のソロ 弦1(A),2(E),3(B)弦とフレクソコアのソロ弦 の4(Fis)を張り、4弦の調弦を「特殊に設定して」弾いていたのである。 これにより表板に加わるミュ-ト要 因ともなる圧力も減少し、その響きがより豊かになると いう3弦楽器の理論を用いているのである。今年シャシャさんのCDが日本版として出ているCD「コントラバッソ ~ ソングズ オブ ザ ワ-ルド」(発売元はキングレコ-ド)によって、日本も過去に記述した「印 象派奏者」の時代に突入することになる。 私のような年のオトコがかく語るよりは、シャシャさんを生まれて初めて聞いて育った新進気鋭の若者が20歳を越して世の中で活躍するころの「評価」を知りたいところであるが、それを聞いてコントラバスの理想の音を知るなら、必ず無駄のまったく無い「世界共通の進化のとに選択された音」に 近づいている上に、それを理想として寄り道の無い演奏へ の目標が持てるわけである。この「コントラバッソ~」の 場合は、弦がダダリオヘリコアのソロ弦であり、松脂は 写真から推測してわかるように「ポップス」である。 弓毛はイタリア産の黒毛(3~4カ月に一度張り替えるそ うであるが)で、弓はモリゾ-の貴重なモノである。駒はスリムにシェイプされたベルジャンタイプの駒であり楽器はコントラバスの発祥の地「イタリア・ブレシア地方」で出来た1700年代のものである。
まず、一度必ずシャシャさんのCDをコントラバスを弓で 弾く人は聴いておくべきである。ここまで勧める理由は、「コントラバス超保守派が多いがために遅れた」日本の常識を芸術の都イタリアのセンスと感覚でもって、世界水準以上になるため、「知らずに守っている超保守的な音」への偏見を打破し、音楽美学の原点ともいえる「本来の美しい音」への開眼を促したいというそれだけの理由である。2、500円程度の投資で、私のコントラバスの本での力説はうなずいてもらえることは分かっているので、ぜひ、まず弦楽器の山本へ電話され(03-3209-2134) シャシャのCDをゲットして、できるだけノイズの無い 環境でじっくり聴いてもらいたい。
(内海芳宏)
↑ココまで過去にアップした情報より部分抜粋掲載
Almaさんのおかげで上記著書の現存部分を再度利用することができました。 ありがとうございました !
付録
私のコントラバスアドバイスについて超個人的見解
コントラバスの本 別巻
「(基本的)無償アドバイス」の私の基本的理念とその理由
コントラバス奏法の指導上に「正しい」は無い。教則本も多々あるが、存在自体が非常に商業的理由であり、無性提供されるものは無いと言える。また、教則本を「そのまんま実践強要」する音楽大学院の教授はヨ-ロッパ主要国には「いない」とも言える。教則本のどこそこを勉強してきなさい!というケースはあくまで初心者対応での「なげやりな学習強要」であって、本来の音楽的指導では決して無い。数学、社会学、言語学のように記憶力に依存する不変な世界でもない。
つまりコントラバス演奏のアドバイスは「芸術の世界」で始まり「芸術の世界」で終わる。
喩えるとわかりやすいが、ストリートミュージシャンの例で考えても、「いい曲だった、聴いていて感動した、歌や演奏が上手かった・・等の理由」とその流れからヒットし、多くのファンが生まれ、成功、というような場合で明らかなように、 彼らに「どの場所でどういう弾き方をしてどういったメロディを用いてどれくらいの音量でしなさい!」という先生などいない。色々な音楽媒体を通じて知った音楽の良さを彼らなりに体得、表現して、認められ、成功したといえる芸術本来の聴者基本の評価結果が根底にあることがわかる。
これと寸分も狂わない自然のながれがコントラバスの芸術学習においては必要不可欠とおもう。 しかし、残念ながら現在のクラシック奏者のなかにはマスターベーションチックに「肩書き誇張し箔をつけた押し売り的な教育者」が一握りではあろうが「存在しないと言い切れない」のだ。 悲しいが、これはつまり指導者でお金を要求してはいけないような上手くもない人のことである。 本来そういった「変わった芸術家?の存在」は表現芸術の商業的指導の世界では常識的に考えられないことである。 先のストリ-トミュ-ジシャンの例のごとく、あくまで「聞き手による芸術性の判断」が本来の芸術的評価判断の基盤として確立した上での有償指導でないといけない。 「これ」を正視するどころか自己防衛のためか、保身的に「肩書きの誇張」を盾として隠れながらではあるが、そんなひとが「存在しないと言い切れない」ことに愁わざるをえない。 そういった「間違った存在」がクラシックを堅いよろいで排他的にしている要員でもあり、しいては演奏家が見えにくくなったクラシックとそのリスナ-、愛好家の人口減少を招いたのではないだろうか。 つまり、経験・コンペ結果・師・音楽知識云々よりも本当にもっともっと大切な音楽の楽しみ方をしっているか、そして「上手いか下手か?」という「最低ラインの判断」から逃避している一握りのひとたちが作ってしまった「間違った世界」の存在を危惧しつつ、アドバイスに対する有償無償の判断をすべきだとおもう。
具体的には、その「指導料を要求する指導者が高額有償に値するかどうか」を見極めてからの指導依頼が当然のことであるが、その判断は以下のように以外にも簡単に「審査」出来る。 つまり、指導者をうたう者が、難しいポジションで安定的な音程での演奏や、美しい音色での表現ができないのなら、「正しい演奏?」の提示も、「高額なお金を要求するようなクオリティの高いアドバイス」など行なう立場も、えらそうに言える資格も(笑)、技術も能力も「ない!」ということ。まさに「常識的な前提」であろうし、上手いから教えてもらいたいという生徒サイドが初心者であっても、セミプロであってもそう思うことは自然である。
要約すると、アドバイスする者の演奏が「上手」くないなら、高額有償においての音楽正論や指導的助言するべからず(無償にちかい謝礼ですべきという意味)! そしてそんなやつに高額な謝礼を払うべからず!という常識。
演奏が下手なのにアドバイスに高額なお金を要求するような者は芸術の世界では「存在も不要な瑕疵」であり、芸術本来の衰退のしもべであることは明瞭。 あたりまえに聴いて「上手い」ということが大前提でないと高額有償指導のル-ル違反である。 反対に肯定的見地から申し上げると、音大、あるいは大学院などの最高学府の生徒や卒業生やネット上などでその演奏を賞賛されている人たちは当然この常識の中で本当に切磋琢磨し、特別の才能が無い限り、あらゆるポジションにおいての奏法上、あるいは知識上ですざまじい努力を積み重ね生きていることはいうまでもない事実であり、下に記す私の演奏などと比べることも失礼なほどそんな彼らは上手いと思う。 さらに、「本当のプロ = 音楽で生計を立てている尊敬すべき奏者」でソロが上手いと評判の方である場合、彼らから当然有償で教えを乞うことが最も望ましいことなのかもしれない。 つまり有償でアドバイスするものはごく常識的に「上手いか下手かがだれにでも判断できるソロ楽曲演奏において」普通に上手くないといけない(ロ-ポジションだけの曲であってはいけない。ローポジションでの演奏などは、だれしも上手に(ごまかせるので)弾けていて当然であるので、あえて上手い下手のわかりやすい音程の出る楽曲の演奏が良いのである)し、それが「上手い」ゆえに有償アドバイスが許されるのだ。 逆の言い方をすれば、もしそんな「演奏」が下手であればその指導に「お金を払う必要などはない!」ということであって、これまた至極当然であろう。
逃げ口上は「私はオ-ケストラでしか弾かないのでハイポジションは苦手なんです」ときたら、条件反射的に「高額な謝礼を払う必要は無い」アドバイザーなのだと思えば良い。演奏表現芸術に言い訳は無いからである(笑)
さて、「アドバイスは1時間幾らです」と言われる前に、「せんせい?」に 肩書きや出身校やご経歴すら言わずに演奏提示してもらい「詐欺的暴利むさぼラ-」では決してないことを証明してもらってからお金の話をしはじめて「当然」であろう(私のよく知っているプロの某首席奏者やSEJの仲間はまさにそうされている!) そんな「教えてもらおうとする人」はそんな「審査」にかかる少しの時間をも省略するためにはぜひ「教えてもらおうとする人がソロ演奏するコンサ-トや発表会などに行って聴かせてもらう」ことをとくに勧める。
教えてもらおうとする人は、最低でも お金を払う予定の「指導者?」の楽曲演奏における正確性や美しさ、そして音楽の楽しさの表現力をそうやって確認すべきである。
もちろんその演奏のクオリティ-の判断指標としては、悪い例であるが経済学部を履修したアマチュア(で楽譜も読めない・・笑)の私の演奏よりはるかに素晴らしくないとちゃんちゃらおかしい。 なぜかというと、私は対個人へは「無償アドバイスしかできないという「技術レベル」の指標といえるからである。 よって、私程度に弾ける人ならアドバイスには絶対的に「無償」となるだろう。 私の下手な演奏と比べるのも失礼なほど上手い人(音大を出られたような方?)に『弾いてもらって』その『格段の差を確認され』たら、その人には有償で教えてもらえばよいのである! そんな方々の素晴らしい演奏と 下記の私(無償アドバイスをするレベル)の下手な演奏の音源や動画(各フォルダ内のMP3及び3GP、SDVファイル)と『比して判断すればよい』のだ。 何度も書くが「その技術程度ゆえに私は基本的に個人には無償」でアドバイスしている! 私のMP3やムービーで私のレベルの演奏を聴いて、これくらいの演奏をする人なら「タダ」、教えてもらうあの「せんせい?」はやっぱ『凄い上手い』、だからお金を払う! というように「比較対照」という明瞭な基準をもつべきであろう。 今までハイポジションでの「せんせい?」のソロを聴かれていなかった方は、これでもって、高額な謝礼を払って学んでいる「せんせい?」に常識的に技術レベルの対比による価値決定などから高額な謝礼の価値があるかないかを、「私の(無償レベルの演奏)と比較判断すればよい」のである。 いままでこういった明瞭なる比較対照がまったくなかったので私は不愉快な思いをしたことがあったので、参考として記述し、私が製作した私のソロ演奏するコントラバスのMP3の音源やム-ビ-をお聴きorご覧下さった方がこれから学ぼうとする方であるなら、それらが「常識的判断基準の一助」となり、「暴利をむさぼられ道を間違えることのないよう」に祈って止まない。
アマチュア内海芳宏のソロコントラバス演奏MP3フォルダ
(↑ ご自由にお聞きいただき、この程度の演奏だから指導が無償なんだなと理解してください)
アマチュア内海芳宏の演奏のコントラバス演奏ム-ビ-フォルダ
(↑ ご覧頂くには Quick
time Player というフリ-ソフトが必要です)
さて、話を戻すがコントラバス奏法において「コントラバス奏法の指導上に「正しい」は無い」。 コントラバスの芸術の世界の学習においてはアドバイスしてくれる者の演奏状況あるいは指導内容などから「自分に良い部分を盗って応用体得する」事がもっとも重要で適切な方法だとおもう。 つまり、芸術家のアドバイスにおいて強要すべき点は「知識を背景にした常識部分だけ」であって、奏法やフォームは強要部分では決してありえない。なぜなら人それぞれが体格も得手不得手部分も異なるので、「せんせい?」と体格も筋肉も同じなわけがないので、「同じことは出来なくて」当然。 もちろんアドバイスを受けたものは「応用・体得がないと完成しない」ことは言うまでもないので「それは私にも出来ること」という点を盗むことがその学習においてもっとも必要なことである。 極論であるが、もしも奏法に「正しい決まり」があったなら、コントラバスの歴史においての名手すべてが正しく弾けていなかったことになってしまう(大笑)
世界にはコントラバス奏者がざっと数万人いる。このなかで弓を用いての演奏を中心とするものは半分程度だと思われる(根拠はISB(国際ベ-ス連盟)のコンベンションにおける参加者と加盟者から非常に甘~く予測・・失礼) そこから世界が認める演奏家をコントラバス芸術学習の目標先とみなすなら、その技術の取得(上記に記述の良い部分を云々のところ)は最も理想的であり、あきらかに素晴らしい指標であることに違いない。 ISB(国際ベ-ス連盟)という世界最大のコントラバシストの集まりがあるので、ここを基準に見て行くと世界トップスが(そのコンベンション等での招聘待遇、演奏場所と扱い等から)だれしも認められる程度に露呈されていることがわかる。 それぞれを敬意をもって紹介するならば、聴者として以下のように理解することができる。
※ ゲーリー カー (現役引退、ISBシンボル)アメリカ、ゲーリー式(コントラバスの神様)
※ ステファノ シャシャ (2005年ISB特別招聘)イタリア式
※ エドガー メイヤー
(2005年ISB特別招聘)アメリカ メイヤー式
※ ダニエル マリイエ (2005年ISB特別招聘) フランス式
※ ダンカン マクティア
イギリス式
※ ルードビッヒ シュトライヒャ-(故人) オーストリア式
少なくとも彼らのCDなどでその表現の可能性を理解し、その応用を考え、試行錯誤することは普遍的に特に必要なことである。基本知識とそれぞれの解釈、及び、上級29巻以降については→ コントラバスの本 初級
もしくは コントラバスの本(上級29巻~) をご参照されたい。
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