高熊山・1
少しずつですが、鹿児島県にも足を運んでいきます。まずは大口市にある高熊山を紹介します。牛尾小学校付近に高熊山山頂への入口があります。
道は狭いです。上の写真にはありませんが、到る所に溝があるので注意が必要です。あの石には穴が沢山ありましたが、どうやら弾痕のあとのようです・・・当時の激戦が伝わってきます。
山頂に着きました。天気はいまいちでしたが、大口市が一望できる素晴らしい公園です。とはいっても小生の車でもヤットコサだったので、注意が必要です。

ここで高熊山の戦いについて少しだけ説明を・・・。まずはここまでの戦況をおさらいしましょう。4月15日、薩軍が熊本城の包囲を解除し、人吉に撤退して巻き返しを計ります。さらに各地に隊を派遣し、南下する官軍を阻止します。肥薩国境の守備を任された薩軍の一隊は、大口に進出した官軍を撃破するべくこの山の北にある牛尾川で戦いましたが、敗走します。

そこで薩軍本営は5月9日、猛将・辺見十郎太に多数の兵を与え、官軍を駆逐するよう命じました。辺見は薩摩兵児の典型のような男です。小生が持っている本に彼の写真があるですが、両手に大刀を持ち、鼻髭が逞しく、目は自信に溢れています。

辺見が到着すると、薩兵は奮い立ち連戦連勝。官軍を撃破し、さらに水俣に進出しました。しかし、弾薬不足から徐々に後退し6月13日、大口に追い返されました。
大口に引き返した薩軍は、高熊山に陣を構えて巻き返しを計ります。6月19日、別働第二旅団、別働第三旅団が高熊山の攻撃を開始。党薩隊の熊本隊、協同隊と共に死力を奮い防戦しましたが、6月20日に陥落。菱刈方面へ敗走しました。写真は「西南の役慰霊之碑」と「池辺吉十郎、辺見十郎太奮戦の地」です。池辺は熊本隊隊長、辺見は薩軍一の猛将です。彼は雷撃隊を率いて各地を転戦しました。

現在でも激戦を物語る遺構が多数残っていましたので、紹介します。
鹿児島県の史跡・2
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