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北陸道とは
五畿七道の一。若狭、越前、加賀、能登、越中、越後、佐渡の七国。また、そこを通ずる街道。くぬがのみち。こしのみち。ほくろくどう。
小浜(おばま)
福井県西部、若狭湾に臨む市。古代若狭国府の所在地。もと酒井氏11万石の城下町。日本海岸の要港で、漁業根拠地。若狭塗。瑪瑙(めのう)細工が特産。海水浴場、観光地、蘇洞門(そとも)がある。人口約3万3千近代のお行政区でも福井県に一括されているが、越前と若狭はかなり性格を異にしている。もっと典型的な相違は畳である。若狭はいわゆる京間で、六尺三寸(約1.9メートル)に3尺1寸5分(約0.95トル)であり、越前は田舎間とか63畳と呼ばれる6尺(約1.8メートル)に、3尺(0.90メートル)の大きさである。なお、このような境界線は敦賀と三方の中間あたりで引かれる。明治初期には1時、木ノ芽峠以南の嶺南は敦賀と合わせて滋賀県に編入されたこともある。大飯(おおい)遠敷(おにぅ)三方(みかた)の三郡にわたる若狭国は、間をみよう前にして諸方と交易をもっているが陸上交通の面では小浜から熊川宿をこえ、近江をへて京都へ通ずる往来が激しく、京風文化の影響が強い。関西に春を告げるお水取りの行事は、東大寺若狭井で香水をくみあげるが、この水は若狭遠敷明神から送られるものであり、今も小浜神宮寺ではお水取りに先立つ10日前にお水送りの行事が行われる。このほか小浜羽賀寺の仏像など古代中世における奈良、京都との関係を物語っている。小浜城下から琵琶湖の北岸今津へぬける若狭街道は、その道のりから「9里半越え」とも呼ばれ、若狭の魚を京都にはこぶ「鯖の道」であった。京都では、古くから5月の葵祭をはじめ、ことあることに鯖寿司を作るが、それはすべてこの道で運ばれたものであり、若狭の経済にとってかなりの比重を占めた漁業にとっても、京都の存在は極めて大きかった。いっぽう、京都の文化も様々な形で若狭に流入していた。京都の祇園祭を小型にしたような小浜広峯神社の祭礼はその、典型であり覚文のころ,小浜の町人は鞠を飛鳥井家に学び、立花を六角ノ坊に学ぶと言われたように、京都文化は町人の中にも広く受容されていた。
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