
| 1951 | 3 月 1 日 スコット・ストーンブレーカー・ロス Scott Stonebreaker Rossは ピッツバーグ (ペンシルヴァニア州, アメリカ合衆国)に生まれる。 |
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| 1956 | 父親を失う。 |
| 1957 | 最初のピアノ・レッスンを受ける。 |
| 1964 | フランスへ渡る。 |
| 1965 | ニース音楽院(コンセルヴァトワール)に入学する。 |
| 1967 | ニース音楽院でオルガンとチェンバロの一等賞を得る。 |
| 1968 | ブルージュ(ベルギー)の国際チェンバロ・コンテストに初挑戦する。 |
| 1969 | 国立パリ高等音楽院に入学する。 |
| 1971 | ブルージュ国際チェンバロ・コンクールにおいて前例のない一等賞を得る。 ベルギーのアントワープ王立音楽院に入学。 最初のレコード、"Monsieur BACH" をフランス STIL レーベルに録音する。 |
| 1973 | カナダのケベック市において、ラヴァル大学音楽科(EMUL)のチェンバロ講師として教え始める。 |
| 1975 | ジャン・フィリップ・ラモーのチェンバロ(クラブサン)小品の全曲録音(STIL)を果たす。 |
| 1976 | ラモーのチェンバロ(クラブサン)作品全集が Palmares du Grand Prix du Disque を受賞。 |
| 1977 | EMUL において probationary teacher の職に就任。 |
| 1978 | 4 月 18 日 審査員は全会一致でスコット・ロスに博士号相当の学位を授与する。 10 月 12 日 6 月 1 日付けに遡って助教授 Assistant Professor の地位を獲得する。 |
| 1980 | EMUL の管理職に立候補を表明するが、紙一重で選挙に敗れる。 ブリュージュ国際チェンバロ・コンクールの審査員を務める。 |
| 1983 | 5 月 10 日 無給で EMUL を離れることを願い出る。 フランソワ・クープランのチェンバロ組曲を STIL レーベルに録音。 |
| 1984 | 後に彼の命を奪うことになる病(AIDS)の最初の恐怖を経験する。 5 月 ヘンデルの録音。 6 月 5 日 ERATO レーベルと5年間の契約を結ぶ。 84 年 6 月から 85 年 9 月にかけて、ドメニコ・スカルラッティの 555 曲のソナタを 1 日当たり 2 曲の割合で録音する。 |
| 1985 | フランソワ・クープランの Messes des Paroisses および Messes des Couvents を STIL レーベルに録音する。 フランソワ・クープランのオルガン曲の全曲録音(STIL レーベル)。 |
| 1986 | 6 月 1 日 EMUL において教授資格を得る。 8 月 1 日 EMUL を辞職。 ブリュージュ国際チェンバロ・コンクール審査員として、入賞者の曽根麻矢子と出会う。 |
| 1988 | モンペリエのラペイロニエ病院に入院。 以後、短期間の入院を繰り返す。 |
| 1989 | 6 月 13 日 モンペリエ近郊アサスにて永眠。 |