もう1つのコンバット  静商応援団の伝説より


かつて「静商コンバット」と言われるマーチが本家を指し抜いて、全国で利用されていた。マーチでありながら途中で曲が止まるという奇妙な曲だが、それ故生徒の声が強調され対戦相手を圧倒したという静商コンバット。このもう一つのコンバットの誕生背景は以下である・・・。

 コンバットマーチといえば野球応援に於ける代表曲とも言える名曲で、昭和40年早稲田大学応援部三木裕二郎氏によって作曲され、その後の応援のスタイルを一変させた。高校野球に於いても、全国に広がりを見せ、現在の「マーチによる応援」の原点となった。

昭和44年、東京六大学野球春の「早慶戦」を見学に行った当時の静商応援団長(内田隆幸氏)の耳にコンバットマーチの軽快なメロディーが聞こえたのは言うまでもなく、「是非、本校に持ち帰りたい。」と考えた。団長の鶴の一声で、コンバットマーチの導入が決まった。早慶戦にテープレコーダを持ち込み録音をしていた2年生(永田博氏)に譜面作成の指示が下りた。永田氏は中学生の時、ブラスバンドに席を置いていたのだ。しかし、肝心のコンバットマーチの全体像が録音されていなかった為、その時、永田氏のアレンジ曲「静商コンバット」が誕生しのであった。

永田氏のアレンジは、本来は曲が流れるところを、パーカッションに変えたものであった。しかし、その結果、生徒の声が強調され、本家以上の圧倒力がでたと思えた。その静商コンバットを、応援団員・生徒が完全にマスターし、夏の大会に望むことになったのだ。

奇しくも同じ年、早大応援部を合宿に招待し、本家本元の譜面を譲り受けた浜商応援団と本校は2回戦で対戦することになり、事前にその情報を入手していた本校応援団は、新曲の導入で意気揚々としていた浜商応援団に対し、先制攻撃を仕掛けた。試合前のフィールディング時に本校オリジナルコンバットマーチを披露したのだ。聞き覚えのあるメロディーを耳にした浜商応援団は、ただ唖然としていたそうである。

そしてその年、本校は見事県大会優勝を果たし、甲子園球場に於いても試合前にコンバットマーチを披露したことにより、全国で初めてコンバットマーチを使った応援を披露した・・・

その後・・・、
その年は前年の準優勝に続きベスト8という成果をあげることが出来た。静商コンバットは華々しい全国デビューをあげたことになる。翌年最上級生となった永田は、改めて元祖・早稲田大学コンバットマーチを譜面に起こし直したが、ブラバンや応援団内部にも大不評であり、導入を断念した。残念ながらその夏3年連続の夏の甲子園は夢と消えてしまったが、テレビの甲子園中継を見ていた永田氏の耳に、聞き覚えのある曲が入って来た。それは自分が編曲し前年度披露した「静商コンバット」であったのだ。その時、本家を差し置いて、甲子園では或いは高校野球では、「静商コンバット」が本家となってしまったのだ。

注)以前まで掲載させて戴いておりました「伝説」に対して、その時代にその場におり、伝説を経験した千葉勝央様より、正確な情報を戴き、修正させて戴きました。ここに伝説は真実へとなったと確信します。


記録によると、昭和44年夏我が校は、甲子園大会でベスト8となっている。その間何回のコンバットを演奏したことか。また、話によると、早稲田実業が本家早稲田大学コンバットマーチを甲子園で披露したのは、昭和50年である。(残念ながら一回戦敗退であった。)とすると、我が校が披露した後、6年後となる。これらの事から、「静商コンバット」が全国に広がったのも納得が行く話である。現在、VIVA、タイムリー、ダイナマイト、大進撃など早稲田大学とそっくりな応援が全国で切り返される中、オリジナルと言える物があることに喜びを覚える。


後日談・・・ 幻の「もう1つの伝説」