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ポラオが静かに手をあげた。と、同時に森の木々がざわめき始める。 暫く黙って見詰めていた俺は、すべてが終わった後に、感嘆の声を漏らした。 世界の理を司る大賢者…その意味がようやくわかる。 森の中に、ぽっかりと広場が出てきたのだ。 その、ずっと先に一匹の獣がいる。 いや、獣という一言で形容は出来ない…魔物、魔獣…そういう方が正しいのだろう。 それは確かに俺を見詰めていた。 吐き気が出るほどの殺意とともに。 どうして狙われないといけないのだろう。 殺意を向けられる事がなかったわけではないから、これまでずっと考えないようにしてきた。 考えると、怖くなるから。 人を信じることが出来なくなりそうだったから。 だけど、こんなにも強い殺意を向けられると、何も考えないではいられなかった。 本当の母親は…ルイレンという国王陛下の側室は…狙われていたといった。 はっきりとは言わなかったけど、ポラオの問いに否定はしなかった。 だったら…狙っているのは…パルの実母…王妃様なのだろうか…。 思えば、俺は王妃様にお会いした事は、パルと一緒にいても一度としてない。 国王陛下とは、パルに会うたびにお会いしていたというのにだ。 それが事実だったら、俺はどうすればいい? パルを憎むことなんて出来ない。パルは何も知らないのだから。 俺は、行き場のない思いを消化するために、ティティを両手で包み込み、小さくため息をついた。 「来ますっ」 アンディスの張り詰めた声が響いた。 俺は、慌てて獣を見る。 ……すぐ間近にいた。 血のように真っ赤な両目には、殺意以外の何も浮かんでいない。 巨大な体は、闇に溶けてしまうかのように黒く、両の耳はピンと立ち、そして鋭い爪は、その存在を主張するかのように黒光りしている。 それは、鋭い牙を見せ、低くうなっていた。 俺は、思わず息を飲んだ。 今まで見たどんな魔物よりも、危険で…。 アンディスやルーカスがいくら凄い腕の持ち主であろうとも、この魔物には勝てない。 人が勝てる相手ではないのだ。 アンディスとルーカスが動いた。 だけど……いつまで持つのだろう…。 俺は不安になる。 死にたくはないと思う。 いくら、こんな魔物を前にしても、死にたくはないと思った。 だけど、そのことでアンディスやルーカスを亡くしたくはない。 どうすればいいのだろう…俺がそう思った…その時だった。 ポラオが俺の横に立ち、ティティに触れた。 「ウィンローラン様、このウェルグの名は?」 突然の事で、俺は思わず戸惑う。 けれど、それでも、俺の口は言葉をきちんと紡いでいた。 「テトラティエティ…」 ティティという愛称ではなく、父さんがティティを手渡してくれた時に教えてくれた名前を。 テトラティエティ…と、ポラオは小さく呟いて、いい名前だと笑ったようだった。 「知っておられますか?ウィンローラン様…」 アンディスを横目で見て、何か薬草のようなものを取り出しながら、ポラオは俺に尋ねる。 俺は、魔物から目をそらし、ポラオをまっすぐに見据えた。 「ウィンローラン様がほぼ全ての事実を知っておられるでしょうから…お話しますが…。この、テトラティエティと同じ白い体毛を持つウェルグを私はもう一匹だけ知っております」 薬草らしきものを地面にまいて、ポラオは手を止めた。 そのまま、じっと俺を見詰める。 何故だか、目をそらしてはいけないような気がした。 「そして、そのウェルグは、貴方にこのテトラティエティを託したお方のウェルグです」 …ティティは、父さんが三年前に誕生日プレゼントとしてくれたものだ。 その記憶に間違いはない。 だけど、ウェルグを父さんが持っていただなんて、聞いたことがない。 …だったら…一体…誰が? 「ルイレン様…ですよ。彼女は貴方のように、『本質』を見抜く力は持っておられなかった…。しかし、ルイレン様ご自身に関わる人々の『未来』を見る力を持っておられた」 だけど、俺は国王陛下のご側室がお亡くなりになったのは、俺が生まれてすぐだったと パルに聞いた。 それ以来、国王陛下は側室をとらないのだと言っていたから。 そのルイレンが、どうやって三年前に俺に託すことが出来るというんだ? その疑問を感じ取ったのだろう。 ポラオは、優しく微笑んだ。 「白い体毛を持つウェルグは、その後…国王陛下と契約を結んだそうですよ…。それが、ルイレン様のお望みだったとか…。そのウェルグの名前は、テトラティティス…おそらくは、テトラティエティの母親なのでしょうね」 地面が赤く染まっている。 あれは、誰の血だろう。 ぼんやりと、そんな事を考えながら、俺はなぜだかとても悲しかった。 今の家族が大好きなのだ。誰よりも…。 俺の家族は、今の家族しかいない。 けれど、亡くなった「ルイレン」の事を思うと何故だか、とても悲しかった。 自分が死ぬことがわかっていて…それでも、俺の未来を考えてくれていたのだという事実が 悲しかった。 大丈夫だ…俺はふと思う。 アンディスやルーカスが勝てる相手ではないけれど、きっと勝てると思った。 俺には、もう一人の母親がついている。 だから、きっと大丈夫なのだと思った。 ポラオに視線で問い掛けると、ポラオは強く頷いてくれる。 俺は、ティティの頭を優しく撫でてやると、ポラオの手にわたした。 ポラオは、薬草らしきものを撒いた場所の中央に立ち、魔方陣らしきものを描いていく。 アンディスやルーカスの事も気になったけれど、それよりも、ティティの事が気になって、 目をそらすことができなかった。 何の音も聞こえない。 魔物の声も、剣の音も…何も。 ポラオの声が、静かに響き始めた。 「白い体毛を持つウェルグは、最強のウェルグです。四属性全ての加護を受けている…。だから、勝てます」 ふと、呪文の詠唱を止めて、ポラオが言った。 その瞳には、強い光が宿っている。 俺は、頷いてポラオの一挙一動を見詰めていた。 ティティは、ポラオの呪文をじっと聞いているようだった。 不安げな様子も一切ない。 それが、妙に頼もしく思えて、俺は思わず微笑んだ。 やがて、ティティの体が白い光で覆われる。 その光が、ティティの体からでているのか、それとも薬草らしきものから出ているのか、俺にあは見当がつかなかったけれど、その光に魔物は少し怯んだようだった。 アンディスやルーカスから間合いを取り、探るようにティティを睨みつけている。 光が収まると…そこには、大きな翼を持つ、強大な白い獣がいた。 動転した俺は、それがティティなんだと、すぐにはわからなかったんだけど。 ティティが動いた。と、同時に魔物も動く。 アンディスとルーカスが呆然と二匹を見詰めている。 俺は、ポラオと、いつからいたのかそこにいたエメラルダと共に、アンディスとルーカスに 近付いた。あの魔物に挑むという無茶をしたせいか、体のいたる所から真っ赤な血が滴り 落ちて、いたいたしい。 「私、治してあげる!」 エメラルダがアンディスとルーカスの怪我を見ながら、微笑んで言った。 おそらく、アンディス達は不安にゆれたことだろう。 けれど、俺は三人を無視して、ティティと魔物の攻防戦を黙って見詰めていた。 決着がついたのは、それから数時間後。 夜はとっくに明け、太陽が顔を出した頃であった。 その場には、白い体毛が血で汚れてしまったティティと、かつて魔物であったものの肉片が残っている。 俺は、ティティの体を水で拭いてやりながら、魔物の肉片を見詰めた。 あれは、悪くなかったのだ。 人に飼いならされた魔物は、主人の言葉以外に信じるものがない。 だったら、ティティもそうなのだろうか。 いずれ、俺が憎しみか何かに支配されて、人を殺すことを命じたら…殺されることが分かっていても、戦いを挑むのだろうか。 ティティが俺を見上げて、ほんの少し顔をかしげる。 俺は、ティティにすべてを見透かされたような気がして、微笑んだ。 …そうならないように、俺が憎しみにとらわれなければいい。 そうする事も可能だと、俺は思うから。 ティティは自分の体を見回すと、小さく鳴いた。 と、同時に、白い光がティティを包む。 それが消えると、その場には、いつもの小さなティティがいた。 巨大な体についた血をふき取るのは、なかなか大変な作業だった。 ……戻れるんだったら、はやく戻ってくれたほうが楽だったのに…。 ・・・・・・ もうすぐ兄さんの結婚の儀が始まる。 俺は、正装に身を包んで、バルコニーにいた。 こうやって、国に帰ってくると、何もかもが平和で、すさまじい殺意を向けられたのが、嘘のように感じる。 あれから、まだ二日しかたっていないのだ。 ポラオの案内は的確で、霧の森もほんの数時間で抜け出すことが出来た。 エイディルに戻って、全てをアンディスが告げ口したせいで、父さんや母さんにはこっぴどくしかられ、一足先にエイディルへ来ていたキエンには大笑いされたけど…平和でいいと思う。 とりあえず、しかってくれるのは、俺を本当の息子だと思ってくれてるってわけだし…。 …あれから、アンディスには家を抜け出したわけをしつこい程きかれたけど、答えられるわけがないよな。 時折、自分の事を誰も知らない世界に行ってみたいと思う…だなんて…。 そうすれば、人の本質を見ても、辛くならないから。 「ウィン!おめでとう!」 俺と同じように、正装に身を包んだ少年が、俺に気付いて声をかける。 アンディスに話をきいたのか、家出失敗残念だったね〜、などと付け足すのが嫌味ったらしい。 「おめでとうは、俺にじゃなくて、兄さんにだろ?」 「おめでとうの言葉は、本人じゃなくてその家族の人にもかけるもんなんだよ」 そう言って、この国の王子様はくすくすと笑った。 この国の王子様…パルは、このままで変わらないでいて欲しいと願う。 …いずれ、俺がパルから離れる事になっても、自分自身を責めないで欲しいと願う。 パルがこの国の「唯一の王子」である以上…そして、俺がこの国の「存在してはいけない王子」である以上、いつまでも親友はしていられない。 パルが問題なく王位につける為に、余計な争いを起こさない為に、俺はいずれパルから離れる だろう。その頃には、きっとパルも全てを知ることになる。 だから、自分を責めないでと願った。 いずれ再びお会いする事になります…。ポラオは、俺が船に乗り込む直前にそう言った。 いずれ、ウィンローラン様に私とエメラルダは仕える事になります…と。 アンディスには聞こえないように、アンディスが船に乗り込んだ後に、それは予言か?と問うと、ポラオは低く笑って、 「予言ではなく、未来です」 と言った。 だったら、それはきっと正しいのだろう。 その後、エメラルダが、私達はこの国の外には出ないのよ、と笑った。 だから、きっと未来の俺はアルビーンにはいない。 ふと、横を見ると、パルが俺の視線に気付いて、かすかに微笑んだ。 だけど、それまではパルの、ただの親友でいようと思う。 それで、出来ることならば、パルが気付かないうちに、この国を去ろうと思った。 引き止められると、決心がにぶってしまうだろうから。 空は、結婚の儀の日にふさわしく、青々と澄み渡っている。 この青い空が、明日も明後日も…いつまでも、同じように続けばいいと、叶わない望みを願いながら、俺はパルに微笑みを返した。 〜完〜 |