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危機に瀕する憲法と対抗軸の模索

小沢の改憲論(1)――9条の改悪

 インタビュアー 次に、この間、有力政党の代表者があいついで改憲論を大手雑誌に発表するという異常な事態が見られました。以前なら、こんなことは一種のスキャンダルとして扱われ、マスコミも大騒ぎするし、発表した側にとってもけっしてプラスにならない結果になったものですが、今回はそのような結果になるどころか、鳩山は代表選挙の最中に改憲論を展開したにもかかわらず、代表選で大勝利を飾りました。まさに憲法をめぐる政治状況は、以前とはまったく比較にならない危機的状況になっているなと、ひしひし感じます。

 H・T まったく同感です。まず、『文芸春秋』9月号に掲載された小沢一郎の「日本国憲法改正試論」から見ていきましょう。読者の中には、必ずしもこれを直接読んだ方は多くないと思うので、できるだけ詳しく見ていきたいと思います。

 インタビュアー お願いします。最初に、この改憲論の主眼とも言うべき、9条に関わる改憲論について紹介してください。

 H・T 小沢一郎は、その『日本改造計画』において自衛隊の軍事行動と憲法9条について、2つの案について語っていました。1つは、憲法9条の第1項と第2項をそのままにして、第3項として、国連の軍事活動に自衛隊を参加させるという項目を入れるというものです。もう1つは、憲法の条項はそのままだが、平和安全保障基本法を制定して国連の軍事活動に参加する道を確保するというものです(『日本改造計画』、講談社、123〜125頁)。そして、この2つの案のうち、どちらが重視されていたかというと、実は第2の提案の方でした。
 明文改憲の困難さゆえに、9条の恣意的な解釈により自衛隊を海外に派遣することの方が実現可能性があったからです。そこで、9条第1項にある「国権の発動たる戦争」という一句に着目して、国連主導の戦争なら「国権の発動たる戦争」にはあたらないから、国連軍に自衛隊を参加させることは合憲であるとか、憲法の前文が「国際社会で名誉ある地位を占める」という立場を表明しているから、国連軍への自衛隊の参加は憲法前文の精神に合致するといった詭弁を用いていました。そして、条項そのものは変えずに、平和基本法のような違憲立法を制定することで、帝国主義的課題を果たそうと考えていました。
 この路線は、国連中心主義の装いを持つことで、自衛隊の海外派遣に対する国民の警戒心を解くことができるし、「かつて来た道」という批判もかわせるという、非常に大きな利点を持っています。今回の改憲提案でも引き続き国連中心主義などの口実は利用されていますが、その改憲の具体的中身を見ると、自衛権行使が明示されるとともに、はるかに広い範囲での軍事行動が可能なものとなっています。

 インタビュアー 具体的にはどのような変更を加えるという提案を小沢はしているのですか?

 H・T 大きな柱が2つあります。1つは、自衛権の行使と自衛のための軍隊を明文で認めることです。具体的には、憲法第9条に次のような第3項を追加することです。

「前2項の規定は、第3国の武力攻撃に対する日本国の自衛権の行使とそのための戦力の保持を妨げるものではない」。

 『日本改造計画』では、付け加える第3項は、国連指揮下での軍事行動への自衛隊の参加だったのが、今回の場合は、自衛権論にもとづいて戦力保持と軍事行動を正当化しています。
 しかし、この追加規定は実に苦しいものです。というのは、憲法9条の第1項と第2項というのは、そのような例外を認めないきわめて厳格な規定のものだからです。すでに、憲法9条の第1項と第2項の解釈をめぐっては、いくつかの説が存在することを、以前のインタビューで詳しく紹介しましたが、しかしいずれにしても、第1項と第2項によって、いかなる戦力保持もいかなる戦争も認められない規定になっているのです。しかも、建前上は、いかなる国の憲法も侵略戦争を肯定しておらず、ただ自衛戦争と自衛のための軍隊を合憲とみなしています。ですから、憲法9条第1項と第2項をそのままにして、自衛戦争と自衛戦力を認める第3項を付け加えるというのは、まったくナンセンスなことだと言えます。
 もう1つの改憲の中身は、第9条に続いて、国際平和維持という名目での軍事行動を合憲化する条項を入れることです。

「日本国民は、平和に対する脅威、破壊及び侵略行為から、国際の平和と安全の維持、回復のため国際社会の平和活動に率先して参加し、兵力の提供をふくむあらゆる手段を通じ、世界平和のため積極的に貢献しなければならない」。

 『日本改造計画』では9条への追加項目であったものが、独立した条項に格上げされています。しかも、『日本改造計画』では「国連の指揮下で活動する」という制約があったのに、「国連」が消えて、「国際社会」というまったく曖昧な言葉に変えられています。これは実際、ものすごい条項ですよ。この条項にもとづくなら、事実上、ほとんどどんな戦争も肯定されます。どれか特定の国が「平和に対する脅威」だと判断されれば(もちろん、それを判断するのは日本の政府でしょう)、どこにでも無制限に軍隊を派遣することができます。
 小沢は、この条文の解説においてはあいかわらず「国連中心主義」や国連憲章を口にしていますが、すでに述べたように、この条文自体にはどこにも「国連」という言葉はなく、「国際社会」という言葉しかありません。しかし、戦争をやる主体としての「国際社会」とは何でしょうか? それが国連決議にもとづく多国籍軍ならそう明記すべきですし、それが明記されていない以上、たとえば、ユーゴ空爆のような、「国際社会」の代表を詐称するアメリカ主導の軍事行動などもその中に含まれるでしょう。
 さらには、たとえば、北朝鮮が国際社会の平和にとって脅威だと判断されれば、そこに軍隊を向けることも可能となるでしょう。日本の支配層が実際にそうするかどうかは、他の多くの事情によって左右されるでしょうが、条文的には、そのような行動をも可能にします。
 小沢は、このような「国際的」行動への参加は、「国権の発動たる戦争」とは違うと強弁しています。しかし、たとえ複数の国が参加する「国際的な」戦争であろうが、その戦争への参加は個々の政府が決定するわけですから、その戦争は明らかに「国権の発動たる戦争」に他なりません。すべての国が、国家主権を放棄して、世界中が一つの連邦国家になるのなら話は別ですが(その場合にはもちろん、各国の憲法も意味を失う)、そうならないかぎり、国連決議にもとづく制裁戦争であれ、より曖昧な「国際的」軍事行動であれ、それは、各国の「国権の発動たる戦争」の集合体でしかないわけです。
 こんなことは、言ってみれば、憲法論の基礎の基礎にすぎないわけで、小沢の解釈はおよそ成り立ちません。

 インタビュアー なるほど。では、小沢が今回、こうした新しい改憲案を提案するにいたった理由は何でしょうか?

 H・T 1つは、やはり、明文改憲をして自衛権の行使を明確化しないかぎり、憲法の制約性を根本的には打破できないからです。朝鮮半島をめぐる政治的・軍事的緊張を利用しての自衛隊の国際的展開ということが、この間、支配層の重要な目標になってきたことを考えても、明文改憲しないままでいるのは、あまりにも制約が大きすぎるのです。
 第2に、自衛隊活用の範囲を国連主導のものに限定することの危険性です。小沢が『日本改造計画』を書いた頃は、まだアメリカの国連利用というものが有効に見えた時期でしたが、その後アメリカ自身が国連離れをし、最近になって明確に戦略として、米軍主導で国際秩序を維持するし、国連が利用できるときには利用するが、国連の同意を得られなくても、アメリカが必要とみなせば軍事力を行使するという立場を確立しています。このようなアメリカの戦略からしても、かつての国連中心主義は時代遅れになりました。
 第3には、この間の世論の右傾化からして、より大胆な提案をしても大丈夫だろうという判断があったと思います。

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