日本の台湾統治について

 

 この時代は今から110年以上前から60年ほど前の50年間のことです。

 今を生きる日本人はほとんど体験していません。

 

 管理者バナナ@父さんが生まれたのが1951年9月8日、日本がサンフランシスコ講和条約の調印日(日本が台湾の主権を放棄した日)です。

 以下に記すことは、日本人である私が近年、勉強してこうであろうと思うことですから、事実の認識誤り等や、論があると思います。遠慮なくメールにてご指摘ください。

 

1894〜5年の日清戦争の結果、下関条約(清側の呼称は馬関条約)により、台湾は清国から日本に永久割譲されました。

これ以降、日本は台湾を初めての海外領土として統治するため、教育・衛生・インフラの整備等あらゆる努力を行いました。

もちろん、言葉の違う異民族を統治したわけですから、その内容には光と影があったのは言うまでもないと思います。

 

当時、台湾島は統一した社会ではなく、北部・中部・南部・東部などの地域ごとの交通網は寸断され、秤などもその基準がばらばらでした。

かつて、大陸から渡ってきた末裔たちも、平地原住民との通婚を経て、台湾人としての集団・集落をつくってきました。お互いの集団同士での争いが絶えなく、交通路を寸断することによって、お互いの侵略を防止していた状況があったといいます。

また、一部原住民の中にはまだ首狩の風習も残っていたといいます。 

疫病がはびこる南の島の建設に当時の日本人は、多くの犠牲を払いながらも、力を込めて乗り出しました。

一方、大陸では満州人が主体の清王朝に代わり、漢民族の復興を唱えた中華民国(1912年成立)となっていましたが、中国国民党は各地で地方軍閥や中国共産党との激しい内戦を続けていました。

中華民国は成立時点では法律的には台湾をその領土としていなかったのです。

ということは、その後の継承国家である中華人民共和国は台湾を実効支配をしていないという事実を認識することは極めて重要であります。

こうして、台湾は日本が1945年第二次世界大戦で敗北するまで、その後は中国国民党によって今でも、大陸と切り離されたままの歩みを進めることになりました。

この台湾統治について日本の公教育ではほとんど教えられていません。むしろ、「欧米に出遅れた日本が同様に帝国主義的な植民地経営を行った」との認識をあたえるような形で紹介されています。日本が行ったプラス面を一切紹介することなく、今では台湾でも異論があるような事件を、断片的に記載されており、誤った認識を与えることになり、両国の未来のためにも適切なことではありません。この時代の実態を紹介する本が台湾人によって書かれています。「日本人はとても素敵だった」(桜の花出版  楊素秋著2003年11月)ぜひ読んでください。

 

総統府をぜひ訪問してください。

 

私は07年3月23日、お目当ての林玉鳳さんのお話を聞きたいと思い総統府の見学に行きました。

日本語による彼女の説明はとてもわかりやすい内容で、特に歴代の総督府総督、総統府総統の写真が展示されている所では、ていねいに解説していただきました。

印象に残った発言の要旨を以下に記しますと(文責は@香蕉)

・日本の統治のおかげで台湾は近代化を果たした。

・台湾は日本領土であったのであり、植民地ではなかった。

・台湾人は日本人(戦前)と中国人(戦後)の統治の違いを身をもって知った。

・朝鮮の人たちはいつまでも日本を責めたてているが、統治の実態とその違いを知らない。

・戦後生まれの台湾人は国民党による反日教育で育てられ中国人意識を植え付けられた。

・民主化によって自由になった今、歴史の真実を勉強し、若者に歴史を伝えたいとの思いでボランティアとしてがんばっている。

・まだまだ、未解明のこともあるので日本の国会図書館にも出かけて調べている。

・昨年来の台湾政治の現状は混乱しているように見えますが、立法院及び総統選挙に関して私は大丈夫であると確信している。

・日本の皆さんもお国の歴史をきちんと勉強し、誇りを持ってほしいと思う。 

 二時間半ほどの解説を終えた林さんは「紅楼劇場に私の若いころの写真があるのよ。見つけたらご馳走するわ!」「場所を変えてお話を続けましょう!」とおっしゃり、総統府から西へ徒歩10分のところにある西門町の紅楼劇場(旧西門市場)に移動しました。

 引き続き1時間ほどティールームで他の4人の日本人青年たちと有意義で和やかなひと時を過ごすことができました。本当にありがとうございました。

 総統府には月・火・金は林さんがおられます。紅楼劇場で若き日の写真をご覧になった上で、行ってください。 なお、林さんはRTI台湾国際放送(日本語)のフォルモサ便りに出演されています。 

             (右の画像は若き日の林さんの姿を掲示した劇場内部の壁です)

 

 

 

「台湾を知る―

台湾国民中学歴史教科書」

(雄山閣出版)

 

公立図書館にはあるので、

ぜひお読み下さい。

 

【台湾の教科書では】 

 

 1997年から、使用された中学1年の過程に導入された「認識台湾」では、日本の統治時代を全体の4分の1をあて、功罪ともに冷静な記述となっています。

 それまでの「日拠時代」という呼称は、日本は台湾を割譲されたのであって、占領していたのではないという観点から、「日治時代」と改められている。
 特筆すべきは「社会の変遷」の項で、

  〇間厳守の観念の養成

 ◆―緞\鎖世粒領

  近代的衛生観念の確立 

 それぞれの施策と成果を大きく紹介し、台湾の生活水準は向上し、農工業の生産も増大したと記述されています。

 訳者の蔡易達さんは、前書きで、

「・・・日本の「功」の面を被い隠して、正しい歴史が見えてこないことを、良識的な研究者はかつての反日教育を通じてよく知っている。・・・この3つの「徳目」こそ、実は戦後の台湾で、支配階級だった大陸出身者に対する、台湾人の近代文明人としての、言わば最低限の証であり、密かな優越感をもたらすものだったことだ。」

と述べています。

 なお、蔡氏は霧社事件の毒ガス使用について、

「事実としての確たる証拠はまだないし、現地の地形と武器の性能から見ても現実性に欠けるようだ・・・誤情報の発信源は日本側ではないかと思う。」とも記されている。
 なお、もう一人訳者は台湾研究フォーラム代表の永山英樹氏。  

 今も台湾人に感謝されている八田與一技師の像、水利組合の手により、戦時の金属供出、戦後の国民党政治からも守られたといいます。(最寄の隆田駅の倉庫にで保管されていた。)心血をそそいで完成させた烏山頭ダムと嘉南大シュウは台湾の教科書でも紹介されています。

    

                     八田ご夫妻の墓には常に生花が供えられています(2005年11月) 

         偉業を紹介する日本語版、DVDが製作されました 日本の建設技術者にももっと知られるべきことです。

 

 最近、台湾の高校教科書が改訂され、その日本時代に関する記述が産経新聞に掲載されました(06年12月)。
   メールマガジン『台湾の声』
 バックナンバーに 転載されています。
   【産経】教科書が変わった  

 

 なお、私は5年ほど前、下関条約を調印した割烹旅館「春帆楼」に隣接した
日清講和記念館(市教育委員会)を見学したことがあります。
 当時の会場を再現してありましたが、「講和がなされた」との表記のみした。
 この結果、清国に朝鮮の独立を認めさせたこと、台湾が日本領土となったこと等は紹介されていませんでした。
 税金を投入した公共施設なのですから、もう少しマトモな内容にしてもらいたいものです。

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