愛宕山鉄道は今 愛宕スキー場編(暫定版)

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愛宕スキー場

昭和4(1929)年12月、当時の京都府立京都第二中等学校(現・京都府立鳥羽高等学校)校長で、スキーの普及に尽力された中山再次郎氏(慶応3(1867)年〜昭和38(1963)年)の指導のもと昭和3(1928)年より愛宕神社の奥に建設が進められていた愛宕スキー場が完成しました。このスキー場は、食堂や休憩小屋も整備されるなど当時関西では最大規模を誇り、スロープ、雪量もよかったことから京阪神から日帰りで気軽に来ることができるスキー場として1シーズンで数万人ものスキーヤーが訪れたということです。スキーシーズンには、京阪電気鉄道と共同で大阪・天神橋(現・天神橋筋六丁目)からスキー列車を走らせ、愛宕スキー場利用者には愛宕山鉄道運賃割引証の発行や愛宕山ホテルや清滝の旅館などと提携したスキーホテル、スキー宿の提供を行っていました。また、各種スキー競技会も開催されていました。昭和14(1939)年1月には、愛宕山鉄道と美津濃(現・ミズノ)が共同で愛宕スキー場内に中山再次郎先生の胸像を建立しました。しかし、昭和19(1944)年、鋼索線の廃止とともに愛宕スキー場もその幕を閉じました。

中山先生台座1
(写真は平塚耕次様よりご提供いただいています)
愛宕スキー場跡には、昭和14(1939)年に建てられた中山再次郎先生像の台座が残っています。
中山先生台座2
(写真は平塚耕次様よりご提供いただいています)
上記の台座を別の角度から拡大したものです。「中山再次郎像」とはっきり読めます。なお、胸像そのものは現在ありませんが、伊吹山と京都府立鳥羽高等学校に現在も残っているものと同じ銅製の胸像だったとのことです。
旧愛宕スキー場跡案内板
(写真はnero様よりご提供いただいています)
平成18(2006)年6月には、京都愛宕研究会の手により中山再次郎先生像の台座のそばに「旧愛宕スキー場跡」案内板が建てられました。
愛宕スキー場
(写真は平塚耕次様よりご提供いただいています)
台座跡から見た愛宕スキー場跡の眺めです。かつてゲレンデがあったところは笹で覆われています。

→現役時代の愛宕スキー場の様子はここをクリック

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