善徳寺
平塚市南原3−2−7     (0463)31−3413フレームを復活させる



『新編相模国風土記稿』 巻之四十八 村里部 大住郡巻之七

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である

善徳寺 南原山永琳院と号す、浄土宗、芝増上寺末、

開山 善徳徹巌 大蓮社広誉永琳と号す、天正2年(1574)正月2日卒、
此僧俗称 大館玄蕃 子孫今村民たり、と云、甲州の人にて一旦松延村に住し、後村内に移りて当寺を開けり、当時は庵室なりしが、後一寺となすと云、
中興開山 忍恕 慈蓮社亨誉と号す、明和6年(1769)10月22日卒、

本尊 阿弥陀

寺宝に舎利塔一基あり、徹巌其師存貞より得たる物と云、△天満宮、△地蔵堂

○南原村 

江戸より十五里余、戸敷三十三、広五町半余、袤(ボウ)九町余、

今小笠原若狭守信名古御料所、享保の頃御料、反竹尾戸市郎・由井平右衛門等知行し、其後都て御料となり、文政8年(1825)12月信名拝領す、知行す、

検地は万治4年(1661)に糺せり、村西より東に通じて、中原道幅一丈下同、係れり、
此道の内、金目川の辺に至り、幅一間許に狭まりし所、鎌倉古街道なりと云、
東照宮駿府より中原御殿へ渡御の時は、此道御通行なりしと云傳ふ、

又南方より入一條は、十日市場 曽谷村小名、道なり、村内にて前路に合し、又別れて乾の方(北西の方角)に達す、

※金目川、諏訪社、山王社、等記載あり


南原の舟地蔵はこの近くにあり

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