要法寺日蓮宗
平塚4−10−10 34−0618フレームを復活させる

松雲山要法寺といい日蓮宗の寺院です。鎌倉幕府の執権北条泰時の次男泰知は、平塚に住んで平塚左衛門尉泰知(ひらつかさえもんのじょうやすとも)といいました。弘安5年(1282)、病身を武州の池上邸で養うために身延山を出発した日蓮聖人は9月18日に平塚に到着し泰知邸に一泊されました。この宗祖の霊跡に建立されたのが要法寺です。境内には、宗派の鎮守神を祀る七面社や、日蓮に帰依し要法寺の開基となった泰知入道松雲院日慈上人の供養塔などがあります。

『新編相模国風土記稿』より

○要法寺 松雲山と号す、法華宗身延山久遠寺末、

此寺地は古平塚左衛門尉秦知入道松雲寺傳に泰知は北條泰時の二男なりと云されど大系図等に所見なし、の宅地にて弘安五年(1282)九月十六日宗祖日蓮、此宅に止宿し、説法せし奮蹟なり、松雲もとより当宗帰依の人なれば、宅地を日蓮に與へて当寺を起立せり、故に日蓮を開山とす、

中興開山 日新慈雲院と号す、文禄元年(1592)八月十一日卒、

慶安二年(1649)八月先規に因て寺領八石の御朱印を賜ふ、

本尊 三寶諸尊を置、

△七面社 鐘楼 鐘は宝暦二年(1752)鋳造して、神寶とせし由銘文に載す

△稲荷社 △天神社 △鬼子母神社 

△塚 七面社の邊に在高五尺許、上に松樹二圍許、一株あり、土人の傳に、高見王の子、政子の塚にて地名の起る所是なりと云、

 要法寺ホームページ

要法寺の浄行菩薩

(平塚の塚)
857年桓武天皇の孫 高見王の子、政子が東国に向かう途中に病死、 その塚が長い間に平らになったことから「平塚」の地名になる

近辺情報  平塚宿本陣が在ります。

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