光明山不斷院薬王寺
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『新編相模国風土記稿』

○薬王寺 光明山不斷院と号す、 浄土宗芝増上寺末

本尊 阿弥陀運慶作、長四尺四寸、前立の像恵心作、二尺六寸、あり、又傍に
薬師恵心作長一尺四寸、地蔵行基作、長一尺六寸、を安ず、

開山 恵阿轉光延文3年(1358)7月8日卒、

中興開山 團立光蓮社明誉と号す、慶長12年(1597)9月3日卒、

開基は朝氏とのみ傳へて姓氏年代詳ならず
按ずるに、諸家に朝氏と称せし人多けれど、当寺を開基すべき縁故なし、但新田次郎太郎朝氏が氏族、新田下野守杜頼有、郡中長持郷を領す、其地は今隣村なれば、此朝氏少く因みあるに似たり、されど其墳墓は、上野国新田郡別所村圓福寺 に在、碑面に沙彌道義、72歳、元享四季(1321~)6月11日と彫る、猶孝べし、

△山王社 △開基朝氏墓 二基共に高六尺余あり、文字なし何れが朝氏の墳墓たるを知らず享保中、村内荒所開発の為、黄金を賜りし事、朝氏が墳墓の地たる故ならんとて、土人2月17日を忌日として、氏神に等しく尊敬す、此日は金を賜はるべき由、初て命ぜられし日なり、此地古碑二基一は青石一板碑、一は五輪塔なり、あり、

朝氏村 豆知識 (江戸時代)

朝氏村止毛宇慈牟良、 
中古は友牛と書し、止毛宇慈と唱へしを、享和3年(1803)復古して今の如く書す按ずるに、【北条役帳】及正保(1644)・元禄図皆友牛の字を用ゐる、古く朝氏と記せし物は所見なし、

朝氏と云し人姓氏詳ならず、の墳墓の地村内薬王寺に在、たるを以て此名起りしと云、

北条氏割據の頃は平川左衛門知行す【役帳】曰、平川左衛門、22貫460文、中郡藤澤二寮分友牛、

今地頭 堀三五郎元禄7年(1694)先世拝賜、なり、
検地は寛文5年(1665)坪井右衛門良充糺す、

江戸より十五里半、民戸七、東西五町、南北二町余、
東、南原村、西、久松村、南、徳延村、及松延村飛地、北、長持村、

古火災に罹り、村内多く荒地となれしが、享保7年(1722)官より金百五十両、賜り再開かしめらる、

○金目川 東界を流る幅二十間、堤二所共に高八尺余、あり、
○牛頭天王社 村鎮守とす、神躰圓石、例祭6月7日、神明熊野を相殿とす、村持、

※境内の墓地の中に、古色を帯びた三重の層塔が2期並んで建っています。新田次郎太郎夫妻の墓といわれていますが、はっきりしていません。新田次郎太郎朝氏は歴史上有名な新田義貞の父です。

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