寶塔山長泉寺天台宗
平塚市松延フレームを復活させる

『新編相模国風土記稿』 巻之四十八 村里部 大住郡巻之七

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である

○河内村 坂間郷に属す、

江戸より十六里余、家敷二十九、

当村と根坂間・公所の三村、古一村なりし事、及広袤(面積)四隣等(四方のとなり)は前村の條に弁ず、

村民居住の地、凡東西南北三町半、此村分村の後、河内根坂間と称せしが後坂間の文字を省けり、其年代詳ならず、延宝2年地蔵(1674)に河内村とあれど、【元禄国図】には、又河内根坂間と載たり、

今地頭 奥村次左衛門 享保19年(1734)、御料の地を裂て賜はれり、
高井但馬守式房 残る御料の地を先世拝賜す、年代詳ならず、等なり、
検地は延宝2年(1674)成瀬五左衛門重治糺す、

○高札場ニ ○小名 △悪助安久須計 △三ッ橋 
○神明社 村の鎮守とす、例祭9月16日、長泉寺持、○稲荷社、村民持

○長泉寺 寶塔山見光院と号す、天台宗、淘綾郡高根村荘厳寺門徒、

中興開山 秀淨 享保6年(1721)8月卒、

本尊 釈迦 

△山王社 ○観音堂 淘綾郡高根村荘厳寺持 ○阿弥陀堂 長泉寺持

※河内村(江戸時代)は以上の記載あり、

次は 薬王寺 約1.2k

ホームページ