松延山信楽院宗源寺浄土宗
平塚市纏315徳延  (0463)32−9011フレームを復活させる

『新編相模国風土記稿』 巻之四十八 村里部 大住郡巻之七
徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である

○宗源寺 松延山信楽院と号す、浄土宗芝増上寺末、

開山本誉了廓 尊蓮社元和3年(1617)正月11日卒、
中興浄誉源流、巖蓮社正徳5年(1715)5月29日卒、
開基信誉楽信宗源、天文9年(1540)7月卒、助右衛門と称せし、村民にて今に子孫あり、按ずるに、開山開基の卒年、六十余年を隔つ、恐らくは宗源死後、其菩提の為、造立し即ち開基とせしならん、

本尊  阿弥陀 聖徳太子作、長三尺三寸、

△愛宕社、境内鎮守なり

宗源寺には徳本上人の坐像があり、大会(おおがい)と称する念仏講が、1月18日から春の期間、旧中郡の在家をまわって開催されて、この像もまわっていました。現在では旭地区、二宮町、国府津付近をまわって大会念仏が行われています。
宗源寺境内には徳本上人を偲ぶ徳本名号塔が3基あります。
うち2基は、文政2年(1819)、天保9年(1838)建立の墓石ですが1基は参道脇にあり、
南無阿弥陀仏、徳本花押、仲組念仏講中、慶応3年(1867)建立、世話人名などが刻まれています。
この塔にある世話人名は五か宿村から出ており、講中を構成している人の宿村名は、旭地区を中心にして東は上平塚、南原から、西は生沢、国府新宿までの20か村に及んでいます。

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