劔光山寶蔵院荘厳寺
平塚市山下1フレームを復活させる


鐘つき堂 杉のこだちに やまの霜

荘厳寺  『新編相模国風土記稿』より

劒光山寶蔵院と号す、天台宗、武州入間郡仙波中院末、

本尊地蔵、長二尺、行基作、は縁起に縁るに、大磯の遊女虎が持念仏にて、其昔此辺に小堂を営み安置しけるが、天正小田原の役(1573)に堂地も荒蕪し、年を歴て頽廃(くずれはいす)しければ、慶長十一年(1606)等寺に移して本尊とすと云、

開山開基詳ならず、
第二世を恵海と云、貞観9年3月28日寂す、(867)
中興開山 豪観、天禄12年3月28日寂す、(981)
中興開基 溝口筑後室と云、法名修善院揚誉利稱敬心、卒年月傳はらず、

寺領十五石の御朱印は、慶安2年賜ふ、(1649)

【寺宝】△槍一筋、無名、長三尺、曽我十郎祐成寄納せしものと云、
△長刀一振、無名、長四尺、五郎時宗が納しものと云、
△鐘楼 元禄13年の鑄鐘を掛く、(1700)
○薬師堂 運慶の作佛長6寸を置く、龍福院持、下向、○釈迦堂

平塚名誉市民 比企能達の墓あり
○比企能達(よしさと) 1893年平塚市生まれる、日本大学学長、国立がんセンター総長などを歴任、 わが国の医学の進歩と教育文化に貢献、1986年平塚市名誉市民の称号を贈られた
その他 故河野一郎氏、故河野健三氏も平塚市名誉市民である

高根村 豆知識

『新編相模国風土記稿』巻之四十三 村里部 大住郡巻之二
 
徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である。

高根村

江戸より行程十六里山下郷に属す、戸敷十七、東西十町、南北四町、東、高麗寺村、西、萬田村、南、大磯宿、北、山下村、

今 保々監物 知行す古より御料所なりしが、宝暦12年(1762)保々氏に賜ふ、(知行・近世、将軍・大名が家臣に俸給として土地の支配権を与えること)

検地は寛文5年3月(1665)、同10年4月の両度に、坪井次右衛門改む、

北境に波多野道係れり、幅八尺、高根山、浅間山に秣場(まぐさば)あり、各代 永を納む。

○高札場、○小名、△上高根、△下高根、
○山 高根山・貝山・浅間山・登各二町許、等の名あり、共に南方にあり、
○澤ニ 一は谷戸澤と云、幅5尺、浅間山字神澤の下流なり、一は瀧の入澤と唱ふ、幅五尺、高根山の裾より流出す、

○岩分明神社 鎮守なり、本地佛不動を安じ、神明天王を相殿とす、六月十五日、古松樹四十株圍五尺より八尺に至る、あり、神木と唱ふ、龍福院持、下同、△末社 天神、△鐘楼 正徳三年(1713)鋳造の鐘を掛く、
△別当 龍福院 霊格山醫王寺と号す、天台宗、荘厳寺門徒、本尊地蔵、
○浅間社

次は 東光寺 約0.5k