紫雲寺曹洞宗
平塚市岡崎3910      (0463)58−0169フレームを復活させる

赤柿の 寺さきねむる 六地蔵

『新編相模国風土記稿』 巻之四十七 村里部 大住郡巻之六

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である。

○紫雲寺 大森山と号す、曹洞宗西田原村香雲寺末、

開山 實堂宗梅永禄7年(1564)9月11日卒、本寺四世、
開基 大森信濃守氏法諡 寄栖院日昇明昇庵主、卒年を傳へず、按ずるに、【小田原記】明応3年(1494)8月26日卒、すとあり、小田原城主なり、境内は即同人宅跡なりと云、
中興 月岑盤雲元禄10年(1697)2月16日卒、当寺三世なり、

本尊 釈迦、

本堂の簷(ヒサシ)に崒鯨(シュツゲイ)を掛元は鐘楼ありしが破壊す、
元禄8年(1695)鋳造、序銘あり、大般若経腐食して分明ならず、全部を寺宝とす、
△禅堂、正観音木造長一尺三寸、岡崎四郎義實の守護佛と云、矢請観音と称す、当寺草創の時は此像を本尊とせしなり、後此堂に移す、を安ず、
△衆寮 禅堂と同棟なり、△疱瘡神社 △地蔵堂

※現在も石仏がたくさんあります、
紫雲寺の石仏群
結界石              兜巾型 1
宝篋印塔             宝塔型 1
法華経塔              駒型 1
お念仏十百万編 光明真言百万遍  兜巾型
  1
地蔵菩薩                   丸彫型  5
六地蔵                    丸彫型 1組
七観音                      舟型 1組    
○矢崎村 也左幾牟良

江戸より行程前村(※西海地村)に同じ、岡崎郷に属す、東西九町南北八町東北、大縄・豊田本郷・城所三村、西、片岡・大畑二村、南、寺田縄・飯島二村、北、大句・海地二村、
戸敷五十二、大山脇往来係る幅九尺、
寛文4年(1664)青山因幡守宗俊に賜はりし事所見あり万石以上領地後朱印目録の内、寛文4年(1664)4月5日、青山宗俊に賜りし領地目録に相模国大住郡之内矢崎村、云々とあり、
○今 高井但馬守式房延享3年(1746)先代兵部少輔賜る、小林十郎左衛門元禄11年(1698)、先代十郎左衛門賜る、大津右門沼間右京地行所なりしが、文政6年(1823)御料となり、同11年大久保加賀守忠眞に賜り、明る12年御料に復し、13年先代新右衛門賜る、曾谷長順慶長8年(1603)先世長順賜る、森臨庵元禄11年先世専盆に賜る、等知行す、

検地は慶長8年(1603)曽谷・大津二氏知行の傳へなり、延宝6年(1678)、八木仁兵衛・成瀬五左衛門高井・小林・森三氏知行を糺す、糺せり、
飛地四所上下入山瀬村に六段五畝十四歩、大句村に二段六畝二歩、馬渡に二所一は八段四畝十九歩、一は五畝二十六歩、あり、
○高札場 ○小名 
△別名 当村は平塚宿の助郷なれど、此別名の地は、淘綾郡大磯宿の助郷にして其事には別名村と唱へ、別村の如し、
△向原 此所の水田に、勝光寺の字あり、寺跡なるにや、今詳ならず、△大橋
○坂 間ノ坂と唱ふ登五十間余、○鈴川 村の中程を流る幅七間三尺、二、一は長九間、一は十間、を架す、堤二ヶ所一は九尺、一は扣堤(ヒカエ)なり、高同上あり、○谷川 東北の方に係れり幅七尺余、
○八幡社 村の鎮守なり、本地佛彌陀を安ず、8月11日祭る、紫雲寺持、
○天満宮 同寺持、○道祖神五 村持、
○紫雲寺 ※上記に記載
○圓應寺 △鐘楼 寛永2年あり △龍天善神白山稲荷合社 △観音堂 千手観音 ※今は廃寺



次は 金剛頂寺 約1.4k
途中の岡崎神社に寄っていこう

ホームページ