大上山真芳禅寺曹洞宗
平塚市大神フレームを復活させる

 大神村の女人講中 如意輪観音

真芳寺 狭き古道に 曲がりなし

境内の右手奥に、如意輪観音石像があります。
総高174cmの思惟形(しゆいがた)をとる二臂の大像で、享保11年(1726)に、大神村の女人講中の観音講によって建立されました。如意輪観音の如意は宝珠の意味で、法輪をもって衆生の願望を成就させる仏とされ、延寿、安産、除難を願って功徳があるといわれております。

新編相模国風土記稿』によると
眞芳寺 大上山と号す、曹洞宗、開山仁忠、天文2年(1533)3月20日卒、小田原北条氏の氏族という。
天文17年(1548)2月、北条氏より祭事を許さる、十月当寺作事の時、匠の事に依て命あり、
永禄5年(1562)、毎年、葭(よし)十束を興へし事見えたり、
延宝2年(1674)9月實山総領派と定むるの壁書あり、
文政12年(1829)火災に羅りて未再建ならず、釈迦を本尊とす、
寺領十石のご朱印は、天正19年(1591)11月賜へり、
北条氏文書三通を寺宝とす。△白山社、△稲荷社)の記述あり。

大神村 豆知識

新編相模国風土記稿』 巻之四十三 村里部 大住郡巻之二
 
徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である)

大神村

大神郷と唱ふ、江戸より行程前村(下島村)に同じ、按ずるに、
【三代實録】に当郡の大領大神朝臣仲麻呂あり、
【清和紀】曰、貞観元年(859)3月5日辛酉、授相模国大住郡、大領正六位上 大神朝臣仲麻呂外従五位下、 又
【倭名妙】当郡郷名の部に、大上と記す、今村内小名に大下あり、是に據(よっ)て想ふに、古は氏の如く於保和と訓し、此郷二区に分れ、大神上、大神下、唱へしを、国郡の文字を二字に定められし時、足上足下に等しく、大上大下と書せしならんか、然して
【倭名妙】の頃、蚤く大下の方は郷中の小名の如くなりし故、郷名の部に、上を擧て下を脱せしならん、其以来大下は、替る事なく、当村の小名となりて存し、大上は、後世足上足下をいつとなく、舊(もと)に復して足柄上下と記す如く、大神の文字に復せしを、村内眞芳寺蔵、天文17年(1742)の文書に大神とあり、天正の御朱印も同じ、自然の訓も、於保加美なる故、大神上於保和之加美とは云はずして、文字の儘に於保加美と唱へしにあらずや、

永禄4年(1561)3月、上杉輝虎、12年8月、武田信玄等、小田原発向の時、共に此辺陣所となる、證八幡村、條に見えたり、

隣村吉際は、当村より分かれし村なり、年代詳ならす、元禄図に、当村の枝郷とあり、

民家104、広十町余、袤十五町余、但乾方に広八町、袤二町許、張出せる所あり、土人枝地と稱す、

東、相模川を隔、高座郡宮山・倉見二村、西、吉際村、及玉川に限、小稲葉村、南、田村、北、戸田・長沼・下津古久三村、

今 御料所

及 永見伊勢守、伊澤攝津守、榊原吉之丞、速水織之助、筧勘右衛門、服部擣次郎等、知行す、遷替詳ならず、文禄中検地の時、七給うに分ると云、御料所は、木部庄八郎某が知行なりしが、延享2年(1745)、家断絶せしより御料となれり、

検地は、文禄2年(1593)、糺せり、一は八王子道、一は大山道、共に幅二間、

※他に神社仏閣、川、等記載あり。

【倭名妙】わみょうるいじゅしょうの略 【倭名類聚鈔】

「わみょうるいじゅうしょう」辞書。源順著。醍醐天皇皇女勤子内親王の命で撰進。承平年間(931-938)の成立。一〇巻本と二〇巻本がある。一〇巻本は約二五〇〇の漢語を天地・人倫など二四部一二八門に意義分類し、主に漢籍から引用して語釈を示し、あわせて音注と万葉仮名和訓を付する。二〇巻本は、さらに薬名・官職名、日本の国郡郷駅などの地名を加え、全体を三二部二四九門に分類する。和名抄。

【三代実録】さんだいじつろく

六国史の第六番目。五〇巻。藤原時平・大蔵善行らが宇多天皇の勅をうけて撰修、901年完成。清和・陽成・光孝三代、858年(天安2)から87年(仁和3)までの30年間を編年体で記述する。日本三代実録。
 

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