日生峯山正蔵院 相模新西国第二十八番霊場

平塚市土屋フレームを復活させる

○正蔵院 星峰山観音寺と号す、

本尊 阿弥陀、 △天王社 △観音堂 如意輪観音、長六寸、を安ず、

『新編相模国風土記稿』

○土屋村 津千也牟良

土屋号に属す、此地名は古くより聞えて、住昔中村庄司宗平の子、土屋弥三郎宗遠、当所を領し、在名を以て氏とす寛永土屋系譜曰、傳へいふ、平氏の後胤、中村宗平が子、宗遠の後なり、宗遠相州土屋を領する故に、始て土屋と号す、其後昌遠に至り、武田信虎に従ひ浪人となり、京師に趣くとき、土屋の系譜を先祖の菩提所、豆州大平の郷眞光院におさむ、其後かの院滅亡に及とき系譜紛失す、故に今過去帳にしるす所を考てこれを載す、按ずるに、宗遠は村内芳盛寺を開基す、

【東鑑】に宗遠を始め、土屋氏の者多く見えたり、土屋弥三郎宗光・同新三郎光時・同大学権介義清・同弥次郎忠光・同兵衛尉宗長・同次郎時村・同七郎左衛門尉行頼。同新兵衛・同次郎・同三郎・同四郎・同左衛門二郎・同新左衛門尉等にて、此内宗光は宗遠の子、光時は宗光の子、義清は中村庄司宗平外孫なり、詳なる事は人物に出す、
皆子孫氏族なるべし、昔当所に住せし法師、高年に及て将軍實朝に謁せし事あり
【金槐集】曰、相州土屋と云所に、年九十にあまれる、くちほうしあり、自ら来り、昔がたりなどせしついでに、身の立居に、堪ずなん成ぬる事をなくなく申て出ぬ、時に老と云事を人々に仰せて、つかふまつらせし次に、よみ待し、我いくそ見し世の事を思ひ出つ、あくる程なき夜の寝覚に、思ひで夜はすがらに音をぞなく、有し昔の世々のふるごと、中々に老はほれてもわすれなで、などか昔をいと忍ぶらん、道遠し腰は二重にかヾまれり杖にすがりてこゝまでもくる、さりともと思ふ者から日をへては、しだいしだいににょはるかなしさ、

古は土屋寺分、同惣領分、同庶子分と三村に分てり【北條役帳】及正保元禄国図皆三村とす、今は合て一村とす年代詳ならす、又古五分一村は当村の属地たりし事、【北條役帳】に見えたり其文五分一村條に註す、

永禄(1558〜69)の頃は、足柄下郡湯本村早雲寺領【役帳】曰、早雲寺百三十八貫二百文、中郡土屋惣領分、及神田次郎右衛門曰、神田次郎右衛門廿貫文、中郡土屋寺分、石巻正壽曰、五十貫文、中郡土屋庶子分、石巻正壽、等知行す、

天正(1573〜91)中靛瓶の税銭藍瓶役と云、を出せし事所見あり、足柄下郡板橋村所蔵、文書写曰、土屋之内七次云々右之在所不入與申、紺屋役不出候、曲事堅申付可取、若猶とかく申、不出候はゞ、可申上云々、酉10月23日、京紺屋津田、虎朱印、又天正14年(1586)12月25日、出せし同文の文書あり、按ずるに、七次は村の小名なるべけれど、今其唱を失ふ、

今地頭柳澤伊三郎寛永10年(1633)、祖先柳澤左太郎元吉、加恩として二百石の地を、当所寺分にて賜りし事、【寛永譜】に見ゆ、
倉橋内匠三好助九郎知行たりしが、一旦御料となり、元禄11年(1698)先世拝賜す、
加藤左衛門上に同じ、
大久保左近次郎・窪田主水寛文11年(1671)の検地帳に、窪田又右衛門正俊が名を載す、
長谷川勘四郎同時の検地帳に長谷川源兵衛と記せり、田澤縫殿等なり、

波多野道幅九尺、梅澤道幅四尺、曽屋道幅六尺、梅澤道の岐路なり、小田原道幅六尺、の四路係る、

江戸より十九里、民戸百八十九、東西三十一町南北廿五町余
東、上吉澤・南金目二村、西、足柄上郡井ノ口・本郡下大槻二村、南、足柄上郡井ノ口・淘綾上郡黒岩・西の久保・一色・本郡上吉沢等五村、北、金目川を境、南金目・下大槻二村、

検地は寛文11年(1671)窪田氏采地、延宝3年(1675)横山・長谷川二氏采地、寛保元年(1741)長谷川采地、等に糺せり、又寛文5年(1665)成瀬五左衛門重治新墾の畑を糺せり、

○高札場七 ○小名 △寺分 △庶子分 △惣領文

○山 所々に在、大久保山・池田山・向山・ふじ山・入山・小芹澤山・鷺坂山等の字あり、皆小山なり、

○坂三 鷺坂登三町、関口坂登一町下同、長坂と呼ぶ

○金目川 北方村境を流る幅十八間より廿五間に至る、高五尺許、あり、
○座禅川 坤方、山々より湧出する数條の水合て、中入澤幅二間、と唱 へ、夫より下流に至て此川名あり、南金目村境にして、金目川に合す、
○三笠川 南方の山間に涌出し、村内にて座禅川に合す、

○熊野社 村の鎮守なり、神躰木像、本地佛十一面観音、例祭9月29日天正19年(1591)社領五石を寄附せされ、御朱印を賜ふ、元和4年(1618)の9月修造の棟札あり、神木の杉圍一丈二尺、あり、別当 持寶院、

△末社 十二社権現 第六天  ○子神社 村民持、下同、○白山社 
○第六天社二 一は村民持、一は天宗院持、
○若宮八幡社 土屋宗遠が再興せし社なりと云傳ふ、村民持、下同、
○木舟明神社 是も宗遠の再興なりと云、
○天王社一は天宗院持、一は芳盛寺持、
○愛宕社 天宗院持、下同、   ○神明社

○芳盛寺 芳盛寺ページに記載 ○大乗院 大乗院ページに記載
○天宗院 天宗院ページに記載 ○妙圓寺 ※妙圓寺ページに記載
○正蔵院  ※当ページ        
○宗憲寺※廃寺 谷田山清泉寺と号す、開山勝栄天正16年(1588)11月29日卒、本尊阿弥陀、
○持寶院※廃寺 小熊山福王子と号す、本尊阿弥陀△山王社 ○阿弥陀堂 村民持、○薬師堂 芳盛寺持、○地蔵堂三 一は天宗院、一は妙圓寺本尊行基作、一は持寶院持、

○土屋弥三郎宗遠居跡 宗憲寺境内※廃寺なりと云、其辺の字に、下屋鋪・屋鋪内などの唱あるのみ、遺形と覚しき所なし、
○神事舞太夫 若杉兵部と称す、江戸浅草田村八太夫配下、

『新編相模国風土記稿』より、土屋村全記載致しました、

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