曹洞宗 / 馬頭観音竜雲寺 相模 新西国二十七番霊場
平塚市千須谷フレームを復活させる


苔むした やまの墓石よ 声をだせ

今は廃寺に成って僅かに墓石が数基肩を寄せ合い残っていた、 墓石の人は何百年前の人か?楽しい人生を過ごしていたのか又は苦しい人生か!思いに耽る、

『新編相模国風土記稿』 巻之四十九 村里部 大住郡巻之八

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である

○千須谷村 勢舞寸也牟良

江戸より十七里、民戸十五、東西五町許南北七町余
東、公所・片岡・広川・三村、西、上吉沢・南金目二村、南、上吉沢村、北、南金目村、

今揖斐金之助知行す、拝賜の年代を失ふ、寛文の頃は稲葉美濃守正則が領分なり、
検地は寛文5年(1665)稲葉美濃守正則糺す、

往来二條一は西南の村界を通ず、幅九尺、下同、一は艮の方より入、東方村界を通じて前路に合す、共に梅澤道と唱ふ、掛れり、

○高札場 ○小名 △向ヒ △をつこし
○坂 東方梅澤道に在登四十間許、
○熊野社 例祭9月9日、村持

○龍雲寺 東海山と号す、曹洞宗下吉沢村松岩寺末、

開山 本山存迦本寺三世、天正13年(1585)9月3日卒、
開基 増尾出雲北条家の臣、布施三河守康貞が家臣なり、慶長2年(1597)8月21日死法名心如光玉、

本尊 馬頭観音長一尺一寸行基作、

△白山不動合社 第六天稲荷天満宮合社 ○地蔵堂 村持、
 

非常に分かりずらい場所にある工事中の為 
迷いに迷い、やっと辿り着いた 

次は 妙覚寺 約1.5k