明珠院
平塚市飯島

『新編相模国風土記稿』 巻之四十七 村里部 大住郡巻之六

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である。

○飯島村伊比志末牟良

江戸より十六里余、民戸十五、東西三町半余、南北五町半余東、寺田縄村、西、片岡村、南、金目川を境、廣川村、北、矢崎村、

北条氏割據の頃大籐某知行し、後関兵部丞に替わる【役帳】曰、関兵部丞、買得二十貫七百五十文、中郡飯島元大籐知行、今御料及鵜殿藤助・小河惣左衛門益利等が知行なり御料なりしを、寛文4年(1664)4月青山因幡守宗俊に賜ひ、元禄中三分して、鵜殿平八郎氏基・鵜殿藤助長寛・小河惣左衛門某等に替賜ふ、寛永元年(1624)、氏基没後、男子無く、家絶して御料となる、同3年(1626)、沼間日向守広隆に賜ふ、文政6年(1823)子孫右京の時又御料となり、同11年(1828)大久保加賀守忠眞が、領地となりしを天保元年(1830)、又御料所となれり、其余の二給は子孫連綿として相続す、

検地は寛文4年(1664)青山因幡守宗俊糺す、

波多野道係る平塚辺よりの往来なり、幅二間、用水は圦樋(イリトイ)を設けて、金目川の水を引く、

○高札場 ○金目川南界を流る河原共幅五間二尺、川除堤高一丈二尺、あり、此川に堰二所を設け、隣村寺田縄の用水を引けり、一は逆圦樋と唱ふ、是水行を逆に引くを似てなり、一は中溝堰と呼ぶ、

○天王天神社 村の鎮守なり、神体各木像、寛永12年(1635)の棟札あり、例祭6月7日、明株院持、△鐘楼 鐘は寛永3年(1626)の鋳造なり、△末社 妙見摩利支合祀、○諏訪社 村民持

○明株院 飯山山不動寺と号す、天台宗淘綾郡高根村荘厳寺末、古は門徒なりしを、享保十五年(1730)末院に補す、

開基 弘慶延徳元年(1489)11月朔日卒、

本尊 釈迦、傍に不動を安ず、古の本尊なり、△山王社

  

次は 善福寺 約1.0k 金旭中通学橋をわたる


ホームページ