明源寺
平塚市岡崎298       (0463)59−7021フレームを復活させる



『新編相模国風土記稿』

○北大縄村 幾多於保奈牟良

江戸より十七里、東西六町許南北四町程東北、鈴川を隔、豊田本郷村、西、矢崎村、南、寺田縄村、
戸数九、大山道幅七尺、係れり、

小田原北条氏の頃は関兵部丞領す【役帳】曰、関兵部丞、買得十四貫九百三十二文、中郡北大縄、元大藤知行、按ずるに、大藤は式部丞のことなるべし、入野村少林寺に蔵する、北条氏尭の寄進状にも大藤手作分云々杯のす、

曽我伊豫守助順知行す寛文4年(1665)青山因幡守宗俊に賜はり、元禄元年()、鵜殿平八郎氏基に替り、寛永元年(1624)御料所となり、元文5年(1740)青山斎宮に賜り、安永4年(1775)、御料に復し、同7年(1778)先代曽我伊賀守に賜はれり

検地は慶長8年(1603)の縄を用ゐる、飛地一ヶ所七畝二十七歩、鈴川堀替えありしょり、飛地となれり、豊田本郷村あり、

○高札場(高札を掲げておく場所)○小名(江戸時代、大名のうち、領地の少ない者)△上 △下
○鈴川 村の東北の界を流る、幅八間余、堤二ヶ所あり、
○高札場 ○小名 △上 △下
○鈴川 村の東北の界を流る幅八間余、堤二ヶ所一は高一丈一は扣堤なり、あり、
○白髭社 村の鎮守なり、例祭9月15日、古は村中程の田間に社ありしが、文政10年(1827)今の地に遷す、村持、○神明社 村民持、下同、○稲荷社 ○金山権現社 ○石神社 ○第六天社

○明源寺
 花源山と号す、曹洞宗寺田縄村吉祥院末、

開山 密州長厳本寺三世、寛永3年(1626)8月20日卒、
本尊釈迦、△天神社 ○虚空蔵堂村持

明源寺の六地蔵は安永8年(1778)に建立、6体のうち3体の台石に「北大縄村、別名村、若者中」と刻銘され、残り3体にもそれぞれの村名、名前が刻まれています。

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