天台宗明王院相模 新西国第二十番霊場
平塚市 徳延 365 フレームを復活させる 

△別當 明王院 徳龍山延壽寺と号す、天台宗 東叡山末、

開基 旭溳 永正7年(1510)4月10日卒、本尊 正観音、

天文4年(1535)11月北条氏より寺中の制札を與ふ、曰、
制札、明王院、此於寺中竹木切取、不可致狼藉者也、天文4年(1535)乙末11月26日、虎朱印あり、

寺領五石は慶安2年(1649)8月、社領と一紙の御朱印を賜ふ、

※徳延神社に隣接してある天台宗寺院で、本尊の白衣観音は12年ごとの丑年だけに開帳されます。

小田原北条氏から「竹木切取、狼藉禁止」の制札が与えられた古刹です。

「相模西国第二十番霊場」です。

御開帳の年には特に多くの参詣者を集めております。

徳延村 豆知識

『新編相模国風土記稿』 巻之四十八 村里部 大住郡巻之七
 
徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である。

徳延村

【鎌倉大草紙】には、徳宣と書す、其文下に註す、

江戸より十六里、民戸三十二、東西十二町半、南北十三町余、
東、金目川に限、南原村、西、河内・松延二村、南、南原村、北、朝氏村、

永享12年(1440)8月結城乱の時、上杉修理亮持朝 当所に陣取
【鎌倉大草紙】曰、8月相州警固の為に上杉修理亮、相州高麗寺の下、徳宣に陣を取、

永正17年(1520)2月北条氏綱、当所を走湯山(そうとうさん)神領に寄附す
走湯山文書曰、相州中邦徳郷、為御神領、奉納者也、仍如件、永正17年庚辰2月5日、走湯山衆徒中、氏綱華押、按ずるに、邦は郡の訛、徳郷は、延の字を脱せしならん、蓋傳寫の訛なり、

永禄(1558〜)の頃も、伊豆山領なり、【役帳】曰、伊豆山領、47貫750文、中郡徳延、
天正(1573〜)の頃村内に早川村足柄下郡の輩、久翁寺領あり、天正17年(1589)7月、北条氏の文書に證あり、其文松延村條に引用す、其地を河井分と稱せしが後松延村に属し、同村の飛地となり今も字河井と称す、

地頭は白須甲斐守正徳なり、古より御料所、文化8年(1811)先代甲斐守正雍に賜ふ、

検地は寛文6年(1666)坪井次右衛門良充糺す、
新田は寛保3年(1743)10月斉藤喜六郎が縄入りなり

北方村境に波多野道係れり幅八尺、鎌倉古道なりと伝傳ふ、

※金目川、雷電社、等の記載あり

    

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