萬福寺
平塚市公所フレームを復活させる
ご住職は居ない様だが、しかし古くからこの地にある 見過ごしてしまう


『新編相模国風土記稿』 巻之四十八 村里部 大住郡巻之七

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である

○公所村 具楚牟良

坂間郷按ずるに、至徳4年(1387)の文書に西坂間郷と載せたるは、此地の事ならん、根坂間村に辨ず、又村内熊野社、天正19年(1591)の御朱印には、下坂間郷と記さる、に属す、古は公所坂間村唱へしが、何の頃より坂間を省き唱ふと云、按ずるに、正保国図に、既に公所村と載す、

江戸より十六里、民戸五十、文村の事は根坂間村條に辨じ、且四境町数等も同村の條に合載す、並見るべし、但村民の住する地は、東西凡五町半南北二町余、

今加藤源左衛門・大久保甚右衛門・飯田次郎・高麗栄竹御入国後御料所、寛文3年(1663)より12年迄、稲葉美濃守正則領し、元禄11年(1698)其地を割て、加藤氏先世に賜ふ、知行す、

検地は寛文5年(1665)稲葉美濃守正則改む、

南北に貫きて、伊勢原道掛れり、又東南の間より入る一路を鎌倉往縄と唱ふ共に幅九尺、

○高札場四 ○小名 △郷東賀宇登宇 △谷戸 △堀之内 △辻
○溜井 村西にあり長二十間、幅十六間、堤を築き、水溢に備ふ、

○熊野社 村鎮守なり、神躰束帯木像、本地佛彌陀を置祭祀正月三日の七日にて、三月は八劒明神と隔年に執行す、
社領二石の後朱印は、天正19年(1591)11月賜ふ、慶安2年(1649)8月の御朱印より八劒社領一石を合せ、一紙として賜はれり、安楽寺持、下同、

○八劒明神社 神躰石石の中央に劔を彫り、傍に奉納八劒大明神社尊形、相州公所村、寛文5(1665)六月吉日、端宣山とあり、長一尺六寸
祭禮熊野社と同日にて、三月は彼社と隔年に修行す、社領一石、天正19年(1591)11月御朱印を賜ふ、後熊野社領と一紙に賜りし事、前に記す如し、

△鐘楼 鐘は明和8年(1771)の鋳造なり、△末社 稲荷 ○天王神明合社 
○御嶽社 神躰石一顆を置村民持、下同、○八幡宮○天神社 神躰木像

○安楽寺 坂間山千手院と号す、天台宗淘綾郡高根村荘厳寺末、本尊地蔵、△辨天社

○萬福寺 慈眼山光聚院と号す、前と同寺の門徒、

慶長13年(1608)、行圓開山す、

本尊彌陀、

○阿彌陀堂 安楽寺持、

以上公所村総てを記載、安楽寺は廃寺、鐘は戦時中に供出し平塚の寺に残るは数鐘なり、戦前平塚の大晦日彼方此方から除夜の鐘が聞こえて来たであろう

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