高林寺
平塚市四之宮3−2−51   (0463)22−623フレームを復活させる



微笑で 身から出た錆び 落とせぬか

寝たきり老人にならぬ様、観音様にお願いを・・道入り口は狭いが境内に入ると広々とし誠に気持ちの良い事!! 本堂、観音像に手を合わせ先を急ぐ。
『新編相模国風土記稿』によると、

○高林寺 圓通山不動院と号す、古義真言宗、須賀村 長楽寺末、

長本尊不動、

中興開山 宥義文政9年(1826)10月16日卒

△稲荷社 △地神社

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寄っていこう  北向観音堂

『新編相模国風土記稿』
(徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である)

○北向聖観音と唱ふ、聖徳太子作、長三尺三寸、圓通山大会寺と号す、
 頼朝求福の霊場なりと云、
 【東鑑】に、五大堂、又大会御堂と号すと記せしは、則此所なり、【東鑑】の 
 文、下に註す、按ずるに、今五大堂を此所と定めたるは、【東鑑】に其所在を八幡と註し、
 又大会御堂の名、今の寺号に合し、且鐘銘にも頼朝信仰ありし事見ゆ、又此邊の字に大
 会前、大会下など、唱ふるあればなり、
建久三年(1192)八月、頼朝夫人臨産の時、令して誦経せしめし事あり、
  【東鑑】 八月九日條曰、御台所御産気、鶴岡、相模国神社佛寺奉神馬被修誦経云々
  五大堂、八幡、号大会御堂云々
高林寺持、

△鐘楼 延享元年(1744)鋳造鐘 銘に、圓通山大会寺者、観音之大士、垂化勝地、頼朝 将軍、求福霊場、其信徳之所餘、乃雖堂宇至今、聳空巍巍云々、を掛、

△寮 地蔵を安ず、

北向観音は「お観音さん」「北向きの観音さん」「百番観音」と、いろいろ呼び方がされています。北向観音というのはお堂が北を向いているからです。この観音様は安産、子授けの観音様として町内のみならず、市内、市外の人たちもお参りに来るといいます。
境内には、赤い鳥居を前にした小さな木の祠があり、双体の道祖神が祀られています。須賀・北町の「男大門の道祖神」と呼ばれているものです。

  

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