常圓山海寶寺相模新西国十六番観音霊場
 平塚市幸町26−21 筺。横院檻僑械隠フレームを復活させる

『新編相模国風土記稿』 巻之四十三 村里部 大住郡巻之二
 
(徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である)

○海寶寺 常圓山智光院と号す浄土宗京知恩院末

天正七年(1579)起立
、開山貞雲、城蓮祖巌譽、慶長十九年十一月六日卒、

本尊阿弥陀、聖徳太子作、長三尺、脇士は、恵心作と云、

△鐘楼 天明元年(1781)の鋳鐘を掛、

△天満宮稲荷合社 △観音堂 △地蔵堂
 

この寺の「お十夜法要」は有名で、鎌倉光明寺、八王子大善寺と合わせ「相模三十夜」といわれております。今でも10月15日に、ご詠歌、施餓鬼供養、回向、稚児行列等々、盛大にお十夜法要が行われています。
広い境内には、多宝塔、阿弥陀三尊塔、経典供養塔等々、立派な石塔が沢山建っていますが、無縁塔内の三猿庚申塔は相模地方にしかない独特の石塔で、大変貴重なものです。

◎ 阿弥陀三尊塔・・・この像容は死者を極楽にお迎えするためのお姿です。向かって右は観音菩薩で両手で蓮台(死者を葬るもの)を持ち、左は勢至菩薩で合掌しています。この像は延宝3年(1675)に4人の尼さんと13人の女性念仏講中の人々によって建立されたもので、阿弥陀信仰の篤い思いが伝わってくる貴重な、かつ美しい石仏です。

◎ 鬼仏の碑・・・墓地の中に「鬼仏」という狂歌碑が建っております。「長生きも わるくはなひが 古めかし ちと珍敷 死もよかろう 九十四老鬼仏」と刻まれ、裏には「弘化二年(1845)巳年三月吉日」の銘があります。

鬼仏上人は狂歌のように一風変った人で、九州の禅寺で絵を学び、須賀の雲晴庵に住み頼まれて祈祷や占いをしたり、絵を描き、狂歌を作るなどの生活をしていたといわれています。



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