明王山浄心寺曹洞宗        
平塚市城所375       (0463)55−0884フレームを復活させる

幸せかげんは お湯かげん それぞれ違う あったかさ

『新編相模国風土記稿』 巻之四十六 村里部 大住郡巻之五

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842)に完成させた
相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺  院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である、

○浄心寺
 明王山不動院 按ずるに、本尊の傍に不動を安ず、山院の号は是に因ならん、蓋古は此像を本尊とせしにや、と号す、曹洞宗 下吉澤村松岩寺末、

開山 月松宗尖 天正5年(1577)2月22日卒、 

本尊 虚空藏

寺領二石の御朱印は天正19年(1591)11月賜れり、

古は村の西北にあり、後今の地に移る、奮地を浄心寺元地と称す、但移転の事寺にては傳へず、境内北方の山上に古城址あり詳な事は下條に載す、

△鐘楼 宝暦8年(1758)再鋳造の鐘をかく、△白山社 △秋葉社 △稲荷社
△山神社 △地蔵堂 △禅堂 

城所の曹洞宗浄心寺は、明王山不動院といい月松宗尖(天正5年1577卒)によって開かれました。当時の境内は、昔から城所氏の館跡と伝え、観応(1350〜1352)の頃の領主を城所藤五郎正揚といいます。
境内から出土した正和(1312〜1317)文和(1350〜1352)の板碑は、城所在館の頃のものと推測されます。

浄心寺の山門の前に立つと、「不許葷酒入山門」と書かれた結界石がすぐに目に入ります。山門を通り「円通門」という中門に来るとその左右に数体の石仏が並んでいます。左手には、六道で衆生を救ってくださる六地蔵、右手の覆屋には膝の上に子供を抱く安政3年(1856)の子育地蔵、さらに珍しい四臂(ひじ)で立像の如意輪観音十一面千手観音などの石仏、そして宝暦5年(1755)の宝篋印塔(ほうきょういんとう)等の石造物が立ってます。

鎮守貴船神社に寄ってみてはいかが

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