普門院曹洞宗
平塚市大島枝フレームを復活させる

  

 お堂の中には立派な仏壇あり
 

普門院 

圓通山と号す、宗派開山共 前寺(宗眞寺)に同じ、泉南継中興す、本尊正観音

『新編相模国風土記稿』 巻之四十六 村里部 大住郡巻之二
 
徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である。

糟屋庄 大島村 

大島郷と唱ふ、江戸より行程十六里、家敷五十八、東西十二町半、南北十七町許、東、田村・小稲葉二村、西、小鍋島・下谷二村、南、下島村、北、下谷・小稲葉二村なり、

按ずるに【鎌倉大草紙】に島ヶ原と云地名あり、此邊の古名なるべし、詳なる事は下島村條に弁じたれば拝見るべし、

北条氏分国の頃は成田下総守知行す【役帳】曰、八十三貫八百文、中郡大島郷、成田下総守、

今 地頭 保々監物なり、村内 正福寺、元禄5年(1692)地頭保々氏へだせり証文の案に、古 山上彌四郎知行なる由見る、保々氏拝賜せし、年代詳ならざれど、村内八幡宮、寛文11年(1671)の棟札に地頭 保々左衛門とあれば、其頃既に知行せし事知べし、

検地は文禄3年(1594)糺せり、正福寺 証文の案にみゆ、
大山道 幅一丈二尺、村内を通ず、流作段高場、玉川の傍にあり、延享2年(1745)9月、神尾若狭守春英検して御料に属す、

※その他、玉川、渋田川、八幡宮、等の記載あり

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