東昌山圓隆寺日蓮宗
平塚市真土118       (0463)55−1644フレームを復活させる
2002.11.現在工事中でしたが完成したら立派なお寺さんに成る事だろう

太香木 白龍昇る 圓隆寺

『新編相模国風土記稿』 天保12年(1842年)記述より、

圓隆寺 東昌山と号す、

法華宗、房州小湊、誕生寺末、本尊三宝 及 日蓮像 中老僧日法作、長一尺二寸、を按ず、

寛永中(1624〜1643) 起立す按ずるに、本堂に掛し鰐口に、元和五巳末十二月(1619)とあり、是は他より移したる物にや、

開山 日隆 圓能院と号す、明暦3年(1657)正月17日卒、
開基は日久と云、村民なり、延宝3年(1675)11月19日死、今二子孫ありと云、

※今、木造にて建設中である、幾多の寺も昔は此様に白き柱で有ったか、黒くくすんだ寺に慣れている私は始めて目にした。新しい寺のお姿をぜひ見学をして下さい。50年後100年後には、 さぞかし趣きのある寺に成るであろう、ご住職のセンスの良さが伝わる.

   

 祝 完成

新土村 豆知識

『新編相模国風土記稿』 巻之四十六 村里部 大住郡巻之五
 
徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である。

新土村

江戸より十六里余、民戸百三、広袤共に十一町余、東、四ノ宮村、西、玉川に限、豊田本郷、及打間木・小嶺・宮下・平等寺・下島五村、南、四ノ宮村、及中原宿、北、田村、

永和4年12月(1378)、日奉広重村内今里村の小名の地を鎌倉淨光明寺領に寄附す、応永元年(1394)3月玄珍と云者、同所を似て又同寺に寄附せり、

27年12月、同所諸課役免除の事に因て、足利持氏より厳密の沙汰あり、

享徳2年(1453)12月、足利成氏又其事を沙汰す、以上淨光明寺文書に註記す、

北条氏の頃は關彌次郎(セキヤジロウ)知行せり、【役帳】曰、關彌次郎25貫400文、中郡新土・今里此内17貫100文、、癸卯増分按ずるに、癸卯は天文12年(1543)なり、

今 堀田備中守正篤領分、古は本多百助知行し、寛延4年(1751)御料となる、此地に又奮くより御料たりし地を合て、宝暦10年(1760)先世に賜う、

及 若林六郎左衛門 拝賜の年代詳ならず、知行なり、検地の年代詳ならず

流作場一町7段24歩、延享2年(1745)堀江荒四郎芳極改めて御料に属す、

村南に中原道係れり幅八尺、

※諏訪社、白山社、神明社、稲荷社、東光寺、阿弥陀堂、明王塚凾L載あり。

慈眼寺より途中右手に真土大塚山古墳あり



真土神社の観音様に寄ってみよう

次は上行寺 約1.5k

ホームページ