大智寺曹洞宗   
平塚市豊田宮下800−1   (0463)33−4466フレームを復活させる

 

かわり様 道元禅師も さうぐわい

此処十数年お寺さんの変わり様が早い、どこも新しく墓地整地をし道元禅師が生きていたらさぞかしビックリなさるだろう。

『新編相模国風土記稿』

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842年)に完成させた
相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である

○大智寺
 曹洞宗、下吉沢村松巌寺末、最勝山と号す、

開山月松宗尖、天正5年(1577)2月22日卒、
中興寶田實秀、享保11年(1726)12月14日卒、本尊釈迦、

寺領三石のご朱印は、天正19年(1591)11月賜へり、

△鐘楼 正保4年(1647)、鋳造の鐘を掛、△荒神社、△稲荷社、△金毘羅社、△開山堂、△禅堂、△衆寮、と記述があります。

豊田本郷村 豆知識

『新編相模国風土記稿』 巻之四十三 村里部 大住郡巻之二

豊田庄 豊田本郷村

江戸より十六里余、【北条役帳】には、豊田郷とあり、

正保4年(1647)鋳造「大智寺」鐘名に、糟屋庄豊田郷と刻す、是に據れば、当時豊田は郷名にして、糟屋庄に属したるか、

延寶(1673)の水帳に、始て豊田庄本郷村と見えたり、

正保国図(1644)には豊田村、
元禄図(1688)に今の村名を載す、

隣村宮下・小嶺・平等寺等は、当村より分かれし村々なれど、其年代詳ならず、按ずるに、

【東鑑】に豊田氏の人、十余人見えたり、「豊田五郎景俊、同太郎幹重、同兵衛尉義幹、同四郎、同五郎、・・・」恐らくは、皆当所の住人にして、在名を称号とせしならん、

世降て北条氏の頃は、玉井平六、同帯刀左衛門等知行す、今地頭山名佐渡守、白須甲斐守政徳、なり、

検地は、延寶2年(1674)成瀬五左衛門重治糺せり、

民戸七十四、東西五町、南北8町、往還二條、大山道、中原道係る、飛地東方玉川に添てあり、新土・平等寺・小嶺・宮下・中原・打間木・藪村の間せり、

※ 福蔵院、法蔵院、名を見るが今は廃寺か!



この近くに福正庵が在ったと聞くが確認できなかった 

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