天台宗延暦寺派大乗院相模 新西国第二十九番霊場
平塚市土屋200   (0463)58−1447フレームを復活させる


散落葉 庭を掃くなり 咳き一っ 

『新編相模国風土記稿』 巻之四十九 村里部 大住郡巻之八

徳川幕府が11年の歳月を費やして天保12年(1842)に完成させた相模国の大地誌である。 全126巻におよび、村々について歴史・地理・寺院・神社等を詳述しており、江戸時代の相模国各村を知る貴重な史料である

○大乗院 星光山弘宣寺と号す、天台宗武州入間郡仙波村、中院末、

中興開山 圓海応永10年(1403)2月18日卒、

本尊 彌陀、

天正12年(1584)2月末寺東光寺南矢名村、寺領の事に依て北條氏より文書を與ふ東光寺所蔵す、其文同寺條に註す、19年寺領十石の御朱印を賜ふ、

△鐘楼 延享2年(1745)の鋳鐘を掛、△山王社 △疱瘡神社 

△古碑一基 土屋彌三郎宗遠が墓碑と云傳ふ、

△塔中金蔵院 客殿以下大破せし故本尊彌陀は今本坊に安ず、此余大安寺・寶性院・阿彌陀院の三寺在しが今廃せり、

近辺情報 土屋一族の墓
土屋三郎宗遠は桓武天皇の孫の高望王の子 平良文(村岡五郎良文)の後裔
1150年代の頃、中村荘内に開発所領土屋郷を設け、この地に本拠を構えた
この当時は、源頼朝の父 源義朝が相模の国主であり土屋氏一族もその麾下にあった

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