阿弥陀寺 浄土宗   
平塚3−5−23 32−7676フレームを復活させる

浄土宗報恩山来迎院阿弥陀寺といい、弘治元年(1555)府川出雲守源吉種の開基。開山健蓮社超誉雲公上人。本尊に中品下生印(ちゅうほんげしょういん)の阿弥陀如来像を安置しています。境内に開基府川氏の古い墓があります。本堂左下の塔碑群中に「平塚町大震災殉難者霊位供養碑」があります。大正12年(1923)の関東大震災に殉難した多くの女性たちの追善供養のため、昭和4年(1929)にたてられたもので、勧進者32名が全員女性という異色の供養塔です。

『新編相模国風土記稿』に縁れば

○阿弥陀寺 報恩山来迎院と号す、浄土宗鎌倉光明寺末、

開山 雲公建蓮社起譽、文禄二年(1593)三月十四日卒、
開基 府川出雲守吉種弘治三年(1557)十月二十八日卒、法名道順、事跡詳ならず、今子孫農民にあり、
按ずるに、東浦賀三浦郡属、乗誓寺傳に曽我十郎祐成の子、河津三郎信之、親鸞の弟子となり了源と称す、安貞元年(1227)平塚庄に一寺を建立し、阿弥陀寺と号す、

文明年中(1469〜86)叡山の衆徒、大谷祖廟破却の時、阿弥陀寺の住僧空淨、碩学の聞えあるを以て、其寺をも破却すべき由風聞あり、故に空淨寺を捨て東浦賀に奔れり、其後阿弥陀寺を浄土宗に改め、今に存すと云、是に縁れば起立は奮き事なれど、今当寺には改宗後の事のみ傳へたり、

天正十九年(1591)十一月寺領十石の御朱印、且境内制札を賜へり曰、軍勢甲乙人、濫妨狼藉之事、附殺生制断之事、放火之事、附山林竹木猥不可切取之事、對寺僧門前之輩、非分之儀申掛之事、右之條々令停止畢、若於違反之族者、忽可被處重科者也、天正十九年(1591)十一月、今本書失ひて、写を蔵せり、

本尊阿弥陀長三尺三寸運慶作、

今住持なくして藤沢常光寺兼帯す、

【寺寶】△御茶碗二口 △御茶入一口 △御茶筌班竹にて作れり、△霰釜 一口寶暦八年(1758)丙丁に罹りて損す、

以上四品、東照宮此邊御放鷹の時、当寺にて御茶を召上られ、其器を賜りしと傳ふ、
△鐘楼 享保十二年(1727)鋳造の鐘を掛、△稲荷社 △府川氏墓 碑面に府川出雲守吉種内方袈婆、弘治三丁巳年(1557)十月二十八日、息男子源太郎とあり按ずるに、寺傳に開基吉種の墓なりと云、されど内方袈婆と彫たれば、其室の墓なり、

府川出雲守吉種開基の由緒正しき名刹なり、内方袈婆と彫られた墓は一見の価値あり



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