地上げ屋と行くパタヤ福引旅行



今回もまた、不思議な味わいのある旅行記をメールでいただき、
すかさずコピペさせてもらいました。
旅先での「多少偏りのある」皆さんとの出会いを描いた『タイタニック』なみの感動大作です。



13年前の夏、みごとに福引で特賞を引き当てた私は初めての海外旅行へ。
場所はタイ、パタヤビーチ2泊(ロイヤルクリフビーチ)、
バンコク2泊(クラウンプラザ)です。
外国に何の興味も知識もなく、ホテルといえどもよその家が苦手な私は、
実は心からゆううつでしたが、
夫にたたきだされるように出発しました。

同室の女性は同年代、独身の看護婦さん。
着いた夜はテラスでビールを飲みながら、彼女の恋愛話にのめりこんで過ごしました。

次の朝、2日間のパタヤフリータイムをどう使うかで少々もめました。
私がただひとつ目をつけていたのは、近郊にあるワニ園。
が、彼女は、「どうやっていくのよ?」と難色を示します。
まあ、当たり前ですね。
じゃあとにかく街にでてみよう、とロビーに行くと、
そこに日本人中年夫婦が所在なさげに立っていました。

街歩きすら不安がる彼女を持て余していたため、同行者を増やそうと考えた私は、
一直線に彼らの元に駆け寄り、声をかけました。
ふりかえった男は確かに日本人。
50代、オールバック、光る白い靴。
そして女性のほう、遠目では全くわからなかったけど若い美人、しかもタイ人。

ぎょっとして一瞬黙った私とは反対に、オールバックはパアーッと顔を輝かせました。
「僕たちこれから街に出るんだよねー。
仲間もたくさんいて車3台頼んでるから、あなたたちもどうぞ!」

とっさにこれは面倒くさいことになると思い、
「買い物を頼まれているから、それを済ませたいんで…」
などと言いつつ後ずさりしていると、
あっというまにロビーに御一行様が集合、となりました。

おっさん5人、タイ人女性5人、元ムエタイ選手の用心棒1人。
頭を丸坊主にした巨体の人が見た目は一番こわかったのですが、
みんなのリーダーは小柄で綺麗な顔のおじさんで、
この人は結局最後までだれとも口をきかず、
参入者の私たちを視界にさえ入れていないようでした。
とはいえ、みんな(女の子たちでさえ)彼をこわがっているのがはた目にもよくわかり、
Y田さん(最初に会ったオールバック氏)など、特に恐れおののいている感じでした。

みんなこのグループに流れる緊張ムードに疲れており、部外者大歓迎だったのでしょう。
その点で、私とおっさんたちは同じ気分だったのです。
同室の女性は「こわがり」のくせに、このグループのことをつゆほども怪しんでおらず
(旅の掲示板を読むと、驚くほどこういう女性同士の罵り合いが多いですね)
結局、パタヤのショッピング街で車から降ろしてもらうことにしました。

しかーし!
「ここでいいですから」と私たちが車から降りると、
みなさん「自分たちも買い物したい」と降りてくるのです!
5組10人のペアと1人の用心棒が、私たちの後をついてくるのですよ!!
結局、朝からその日の夕方のホテル解散までご一緒することに…

日本料理店で昼ごはんを食べ、船を借りて島に渡り…
同室の看護婦さんなど、おっさん連中といっしょに1時間ほど射撃(!)ツアー。

私は、タイの女の子たちと、お菓子を食べたり、みんなでトイレにいったり。
女の子の中で一番若い子は16歳(いまの日本だったら犯罪?)、海坊主の相手です。
海坊主氏は、「こいつは顔はマズイが、なんとかかんとか」とダミ声で批評されてました。
親分の彼女は、一番年長で21歳。
「美容師の資格を私は持ってるのよ」と言った後、
少しためらいがちに、私に、「大学をでているのか?」と聞いてきました。
私がうなずくと、全員しばし沈黙。
私が住む福岡を地図を描いて示すと、「そこ、友達が住んでいた」と一人が言います。
「えっ、仕事で?」と即座にたずねる私。
また微妙な沈黙。

そのうちお菓子もきれて、お店に買いに行きました。
あれもこれも手にした私の分まで、女の子の一人が取り上げ全部おごってくれました。
おっさんたちが戻るまでの1時間、
5人ともタイ語はほとんど使わず、私のために英語で通していたのに、
私ときたら大して気も使わず、お菓子食べ放題だったような気がします。

さて、船での帰路、おじさんの一人と話すことに。
実家は福岡の春●●で、今は80のお母さんが一人で住んでいること。
「田村魚采」の店を経営していて、タイへはハワイでの不動産の仕事後に来たこと。
他の人たちは、それぞれ不動産会社の社長であること。
そしてなんと今日、一人娘が日本で結婚式をあげていること。
「行かなくていいんですか?」と驚くと、「もう子供までいるんだよ」。

女の子たちは用心棒の青年を囲んで、今度こそ楽しげに笑っています。
何かの拍子に私の方をふりむくと、手を振ったりウィンクしたり。

ホテルのロビーで解散したときは、5組のペアにきっちり分かれ、
もう二度とお互い眼を合わすこともなく、引き上げていきました。

おっさんの話ですが、これで終わりではありません。
同室の看護婦さんをすっかり気にいったY田さんの誘いがしつこく、
私にも「一緒に付いてきて」と懇願する彼女に参りました。
「一人で行けないなら断れば?」と冷たい私に腹を立て、
彼女はバンコクではほとんど口をきいてくれませんでした。
「あなたってみんなから、変わってるって言われない?女には珍しいタイプよね」
と訳のわからんこともほざいてたな。

船を借りるときも、レストランでも、デパートのレジでも、
英語でだれかが語りかけると、一斉に私を見るおっさんたち。
いつもかっちり固まって歩き、恥ずかしいので離れて歩くと、
「外国は危ないから一人で歩かないように」と言いにくるし。

それからまもなくバブル崩壊。
私の当時の日記には、
女の子たちにもらったお菓子の包み紙がいくつか貼り付けてあるし、
女の子の似顔絵までへたくそに描いてあります。
あの子たちは、どこかで手堅くやっているような気がします。
しかし、おっさんたちは何処へ?

私とタイの出会いは、こんな風でした。
そのうち夫も引き込まれ、私よりはまりこんだ気配あり。
以来、毎年1回夫と訪れるようになったタイで、
ちょっとだけ変わった出会いがあり、それが1年間の活力にもなっています。

ちなみにパタヤのこの話、夫には一言注意を受けましたが、
姑は「うわ〜外国っておもしろいことが起きるよねえ〜」
実母は「あんた、その話で脚本書いて応募しなさい」
…日本は平和ってことですね。

本当に長々と失礼いたしました!
私のほうは書いていて、思い出がよみがえりとても楽しかったです。



バブルがはじけた今、
5人のおっさんのうち1人ぐらいは、すでに首吊っちゃってこの世にいないかもしれませんが、
お菓子をくれた女の子たちは、みんな立派に成長していることでしょう。
きっといまごろ、パタヤのオープンバーで、
ファランのヒヒじじいの白髪混じりのケツの毛までむしり取ってることと思います。

白のエナメル靴で用心棒付きだけど、英語はちょっぴり苦手。
「外国は危ないから一人で歩かないように」って、
あんたのスキンヘッドのほうがよっぽど危ないぜ……

そんな愛しくもコワモテな御一行と、ひょんなことから行動を共にしたあの夏の日。

……あなたのハートになにが残りましたか?
(『女囚拷問チェーンヒート』を放映しても、このセリフでしめる12チャンネル木村奈保子調)




(メールは転載了承いただいたものです)



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