小樽地獄坂メモ(1)

   架空のお話ではありません。僅か60年前のことです。
 全国各地から北海道の小樽高商へ集まって、敗戦という特異な
 背景の中で三年間を過ごした同級生たち一人一人が、
 時代の中で感じた生き方を、思い出として率直に書き、
 資料を加えて物語風に編集したのが、「小樽地獄坂」です。
   平成元年に成瀬書房から出版致しましたが、世間の思考の
 移り変わりの際立つ今の時代に、あの頃こんな学生もいたことを
 そんな昔の話と思われる方にも、あの時代なら分かっているよ
 と言う方にも読んで戴きたく、主な内容を改めて編集し直し
 ました。
   当時は存在しなかった、インターネットの世界を得た現代に
 ホームページとして掲載いたします。
                          編集責任者:北村昭三


小樽地獄坂メモ(2)
   
  「地獄坂」とは実在する坂の通称です。 大正十一年に小樽高商
 へ入学した小説家 伊藤整の「若い詩人の肖像」の中には、
 「学生たちは二十分あまりかかる急な長い坂をのぼって
 登校した。彼等はその坂を地獄坂と言った」とあります。
  大正の昔から、 私たちの先輩後輩がその時々のいろいろな
 感傷を抱いて登り下りした青春の日々を象徴する坂であり、
 その名前には強い愛着を持っています。
  小樽市民は、地獄という名前を地名に使うのを好まなかった
 ようで、地図にも載せていませんでした。
  その地獄坂に十年ほど前に路線バスがようやく通るようになり、
 観光用地図には、昔から有名な船見坂と並んで地獄坂も
 載るようになりました。
   地獄坂は今では立派に舗装されて登りやすい坂道となり、
 「地獄坂」と書かれた綺麗な標識が建ち、路線バスが地獄坂を
 登って来る傍を、車で通学してくる学生たちも少なくありません。
   伊藤整の頃から八十年もたってようやく「地獄坂」は市民権を
 得たということでしょうか。今の学生たちにはもう息せき切って
 地獄坂を駆け上がるなんてことはないのでしょうね。


 小樽地獄坂メモ(3)

 「山口県立徳山中学第45期生の証言・太平洋戦争と中学生」

 という本を頂戴致しました。

  海兵、陸士など軍関係の学校への進学者が多いという名門中
 学校へ、昭和十六年に入学し、日本敗戦の日までの、 次第に
 厳しくなる戦時体制の中での生活を回顧した同期生たちの手記
 をドキュメンタリー風に編集した異色の証言集です。

  この学校特有のエピソードや、軍事教練の話、勤労動員、そし
 て大空襲のことなど、多岐に亘る内容豊富な証言が具体的に生
 き生きと記されています。

  教練の時間に、軍人勅諭を模写する試験があり、半分も進まな
 い所で終了のベル。ダルマの絵を描く。手も足もでないという冗句
 だった。 これに怒った現役将校の軍事教官は「畏れ多くも天皇
 陛下のお言葉の中にダルマとは・・・」教官は、この生徒には「反
 戦思想がある」と主張し大事件となる。この事件を表沙汰にしな
 いために、先生方の懸命な努力で一応の決着を見るのだが、そ
 れで終ったわけではなかった。中学の繰上げ卒業を待って、この
 十七歳の少年に召集令状が配達された。「思想に問題があり」
 とされた者は、先ず召集して軍隊に入れて苛め抜き、一番危険
 な最前線へ追いやられるという結末が待っていた。


  勤労動員で働いていた海軍燃料廠は二十年五月、百機を超す
 B29の大空襲により壊滅するが、この時の生徒たち一人一の 
 詳細な証言と恐怖感には迫力があります。この時、動員学徒に
 も、四名の悲しい犠牲者がでています。

  七月には徳山中学も市内への大空襲によって全焼、燃料廠か
 ら配置転換になった者は光海軍工廠で動員を続け、八月十四日
 に再びB29の空襲を受けるのでした。
  その翌日が敗戦の日であった。


  太平洋戦争が始まりそして終るまでの、異常な環境の中での
 中学生の実態を記録した貴重な文献としても、非常に興味深く
 読みました。