飛ぶ教室*キャラクター・構成・テーマ1

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ページが書いてある文は、岩波書店「飛ぶ教室」からの引用。



キャラクターについて

マルチン・ターラー Martin Thaler

高等科一年、かんしゃくもち。絵が上手。勉強家。「入学以来いつも首席。どんなはげしいなぐり合いにも、欠けたことがない。半給費生(奨学金をもらっている?)だが、人に物をねだったことはない。相手が最上級生、教師、東洋の王様だろうが、自分が正しければ野生のさるあつかい。」(マチアス談)

「正義感が強く、親思いで、友達を大切にする。頭がよくて、絵が得意、クラスのリーダー格」と、マルチンの長所をならべると、いかにも「優等生」という感じですが、なぐり合いのけんかもします。相手がだれであっても、自分が正しいと思ったら、一歩もひきません。

クロイツカムが監禁されている場所は、敵の動きからすぐにわかりました。エーガーラントの母親のことばから推理したゼバスチアンより頭がいいというか、カンがいいというか。

「飛ぶ教室」の多くの少年がそうなのですが、将来のゆめを持っています。彼のゆめは、細かいところまで絵にかけるほど具体的です。

みんながいる前で、母からの手紙を読むことができないせん細な一面もあります。


ヨナタン・トロッツ Jonathan Trotz

高等中学高等科一年、愛称ヨーニー(Johnny)。読書と物語を書くことが好き。「飛ぶ教室」の作者。

ニューヨーク生まれ、父はドイツ人、母はアメリカ人。両親は仲が悪く、母はヨーニーを残して家出をしました。四つの時に、父にドイツ行き汽船に乗せられ、たった一人でハンブルクの祖父の家に向かいました。しかし、祖父母は何年も前になくなっており、船長の妹にひきとられました。

父との別れ際、父がくれた茶色の財布と十ドル札をだいじにとっています。

四歳のころ、親に捨てられた彼は、心に傷をおっていたのかもしれません。「夜、まんじりともしないで泣きあかすことが、いくどもありました」(p21)とあります。ヨーニーが受けたのは、今で言うなら、幼児遺棄ですね。しかし、ヨーニーは、幼年時代の不幸に負けず、感受性と表現力が豊かで、友達思いの少年に成長しています。

シジュウカラと話をしたり、物語を書いたりする内向的な一面と、クロイツカムを救出するために、マルチン、マチアスといっしょに、エーガーラントの家にのりこむ大胆な一面とを持っています。

ヨーニーは、将来のゆめを心にえがき、「それでも、生活が美しくないなんて、そんなばかなことはない……」と考えます。(p124)


マチアス・ゼルプマン Matthias Selbmann

高等科一年、ボクサー志願、愛称マッツ(Matz)。大食らい、特に食事の後、空腹をうったえます。

育ち盛りの少年らしいおう盛な食欲の持ち主です。他の児童文学、アニメ、マンガなどの中にも大食らいのヒーローは、よく見かけます。大食らいタイプのヒーローは、「やたら強い・そこぬけに明るい・つねに前向き」が共通しているような気がします。マチアスは、この三つに、ばっちり当てはまります。

勉強がにがてで、自分のことを「頭が悪い」と思っています。しかし、そのことを気にしてはいません。自分の強さには自信を持っているし、勉強よりも、ボクサーになるというゆめを大事にしています。


ウリー・フォン・ジンメルン Uli von Simmern

高等科一年。貴族生まれ。金髪、体が小さく、食が細い子です。ホームシックになることがあります。

おさげのかつらをかぶると、女の子と見まちがえるほどになります。

ウリーは、困難なことが起こるたびに逃げ出そうとします。しかし、後になって、「ぼくはまた逃げ出しちゃったんだ」(p90)と後悔し、落ちこみます。おく病ぐせをなおしたいとつねづね思っています。

彼は、紙くずかごに入れられ、天井のくぎにつるされてから、自分がおく病だということにも、みんなから侮辱されることにもがまんできなくなります。

ウリーが、自分を変えるために考えたことは、「高い体操ばしごから落下さん降下する」ということでした。大人の目から見れば、「危険なことする=勇気がある」とはいえないのですが。しかし、方法がまずかったとはいえ、自分の中の勇気をふりしぼり、みんなに見せることは、ウリーには必要なことでした。骨折して入院という結果に終わりましたが、ウリーは、自信を持ちました。

正義先生の「あのくらいの骨折なら、ちびさんが一生のあいだ、ほかのものから一人まえだと思われないという不安を持ち続けているよりは、いいんだということを忘れるな」(p151)という言葉は、ウリーの気持ちを物語っています。


ゼバスチアン・フランク Sebastian Frank

高等科一年。皮肉屋、人をあざけるようなことを言います。頭がはたらきます。愛称ゼップ。

エーガーラントの母のことばから、クロイツカムの居場所をつきとめたり、決闘前に雪玉を作らせたりするあたり、頭の回転が速いことがわかります。また、マルチンが「二分以内に雪合戦を始めよう。ぼくたちは近所まで行ってきたいが、ぼくたちがもどらないうちにいくさに勝ってはだめだ。」と言った時、マルチンの作戦をすぐに理解しました。ちなみに、年下の小だるくんは、マルチンのことばの意味がわかっていなかったようです。

1933年にして、遺伝学の本を読むやつ。


ルディ・クロイツカム Rudi Kreuzkamm

父はヨハン・ジギスムント高等中学のドイツ語の先生。通学生。

帰宅途中、実業学校生におそわれ、一時間半にわたりエーガーラントの家の地下室に閉じこめられました。しかも、実業生クルトたちから、十分ごとに六回顔をなぐられました。「拉致・監禁・傷害」の被害者ですが、こわがったり泣いたりはしません。「ぼくの友だちが救いだしてくれたら、たんまりお礼のしかえしはするぞ」(p83)と、憤激しています。マルチンたちが救出した時には、体中の骨がいたみ、ほほがはれていました。


禁煙先生 ローベルト・ウトホフト Robert Uthofft

三十五歳くらい。たばこをよく吸います。一年前から、学校の近くの、禁煙車両に住んでいます。ガーデニングは好きらしいです。蔵書多し。夜、「されこうべ」という料理屋でピアノをひく仕事をしています。

少年たちから愛され、信頼されています。

マルチンたちから、クロイツカム人質事件について相談を受けました。禁煙先生は、「一対一の決闘でかたをつけてはどうか?」と提案します。ほとんどの大人は、このようなアドバイスはしません。ふつうは、実業生の要求をのむように言うものです。または、先生や、警察に話して、大人に問題を解決してもらうようにしむけるか。しかし、そういった解決の仕方は、少年たちのプライドが許さないでしょう。

規則からも、社会一般の常識からも少し離れたところにいる人だと思います。昔、医者でしたが、妻子を助けられなかったことを苦にして、失踪したといいます。


ベク先生 ドクトル・ヨハン・ベク Johann Bökh

舎監。あだ名はユスツス(正義)先生。生徒達に尊敬されています。

マルチンたちが、学校をぬけ出したことをとがめ、規則遵守(じゅんしゅ)の立場はくずしません。正、不正をきちんと区別して判断する人です。しかし、クロイツカムを救出するために規則やぶりをせずにはいられなかったマルチンたちの気持ちをしんから理解しています。

正義先生は多くの生徒達から信頼されていますが、彼自身も、生徒たちとの信頼関係を築こうと努力してきた人だと思います。また、生徒たちの行動には、責任を負おうとしています。

だから、「なぜきみたちは、わたしにきかなかった?それほどわたしを信頼していないのか?」「それじゃ、わたし自身も罰を受けるべきだろう。わたしもきみたちのおちどに責任があるわけだから。」(p102)と言って、自分の少年時代の話をして聞かせたのでしょう。

正義先生は、物語の要所、要所で登場し、マルチンたちを力づけます。ケストナーが教員養成所の生徒だった第一次世界大戦前、「先生や上級生には絶対服従、規則を守れの一点張り」(偕成社 『ケストナー、ナチスに抵抗した作家』より引用)だったそうです。「飛ぶ教室」が刊行された1933年には、ナチス政権が成立しています。そんな時代に、ケストナーが正義先生というキャラクターを生み出したのは、正義先生のような教師がいてほしい、と願ってのことでしょう。正義先生が「心から信頼できる先生がいなかったばかりに苦しんだので、大きくなったら同じ学校で舎監になろうと決心した」(p107)と話したように。

04.9.12 05.1.9に綴り追記

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p32左すみ、上級生のダンスを見ている三人は、だれか?

p31に「体育館の前にはもう少年が三人立っていました。」とあるので、ヨーニー、マルチン、マチアスの三人とも考えられます。しかし、その文のすぐ後に、ゼバスチアンといっしょにやってきたウリーに、マチアスがおかしのくずをすすめるシーンがあります。p32の絵にしっくりくるのは、ゼバスチアン、ウリー、マチアスの方だと思います。左のめがねをかけた少年がゼバスチアン、真ん中の小さい少年がウリー、右のがっしりした少年がマチアス?  04.9.12


p96、正義先生の前にならんでいる五人は、それぞれだれか?

岩波書店「飛ぶ教室」には、ワルター・トリヤーの十枚のさし絵があります。禁煙先生、正義先生、クロイツカム先生の絵はあります。ウリーの絵も二枚あります。くずかごに入れられてくぎにつるされている絵と、高い体操ばしごからとび降りる絵です。しかし、マルチン、マチアス、ヨーニー、ゼバスチアンの顔がはっきりわかる絵はありません。主な登場人物のさし絵がないとは!

さし絵の多くは、何人もの少年たちが群衆として描かれています。マルチンは主人公ですが、「この子がマルチン」とはっきりわかるのは、p221の両親と手紙を出しに行く絵だけです。しかし、ロングカットで、しかも後ろ向き。顔はおろか、髪型さえわかりません。

さて、p96の絵ですが、正義先生の前にならんでいるのは、マルチン、ヨーニー、マチアス、ウリー、ゼバスチアンの五人です。

めがねをかけているのがゼバスチアンだとすると、左から二番目の少年になります。中央の一番小さい少年はウリーでしょう。ウリーのとなりのがっしりした子は、たぶんマチアス。

ところで、一番左の子と一番右の子がだれなのかがわかりません。どちらがヨーニーで、どちらがマルチン?どちらの子も姿勢良く、足をきちんとそろえて立っています。首席で正義漢のマルチン、感性が豊かな文学者肌のヨーニー、二人の性格を思えば、二人とも、先生の前に出ると足をそろえて立ちそうです。ゼバスチアンとマチアスは、足を開いて立っています。ウリーは、片足に重心をかけています。

服装に着目してみます。五人ともハーフパンツをはいています。(乱闘のあとなので、長ズボンをまくり上げている、とも考えられますが)左はしの子は半ズボンをはいて、右はしの子はニッカーボッカーのようなものをはいています。(ハーフパンツと、半ズボン、ニッカーボッカーでは、どこが違うのか、といわれると困るのですけど)p221で、マルチンがはいているのはニッカーボッカーっぽい。p96とp221で同じ服を着ていたとすると、左の子がマルチン?

マルチンが左の子であっても、右の子であっても、主人公の顔がわからないことにはかわりない。

ちなみに2003年ドイツ映画「飛ぶ教室」のマルチンは毛先がツンツンした短い髪で、ヨーニーはウェーブががった髪でした。さし絵の右の子はウェーブ、左の子はツンツン髪。やはり左の子がマルチン?  04.9.12

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二つのクライマックス

「飛ぶ教室」には、クライマックスが二つあると思います。

物語前半、ふしん場での決闘で、ひとつの山場をむかえます。

フリドリンとクロイツカムは、帰宅途中、実業学校の生徒に襲われます。クロイツカムは人質となり、クロイツカムの父に提出するはずだった書き取り帳がうばわれます。

ゼバスチアンが、クロイツカムと書き取り帳を取り返すべく、交渉にでむきますが、決裂します。そこで、マチアスと実業学校生ヴァヴェルガとの一対一の決闘でかたをつけることになます。マチアスは決闘に勝ちましたが、クロイツカムと書き取り帳は返してもらえず、多人数での雪合戦に発展します。これは、かなり乱闘に近い雪合戦のようです。

物語は緊迫しながら、クロイツカム救出に向けてつき進んでいきます。

前半のクライマックスは、事件がだんだん大きくなり、登場人物の動きも活発になったところでむかえます。自分たちが正しいと信じ、友達と名誉を守るためにたたかおうとする、マルチンたちの感情も高まっています。

この盛り上がりを「高まっていく山場」と名付けてみます。

クロイツカム人質事件のエピソードは、正義先生の話でしめくくられます。正義先生は、「規則は守るべきだ」とする立場をくずしませんが、マルチンたちの気持ちを十分くみ取っています。ダイナミックに展開してきた物語は、しんみりとした正義先生の少年時代の話によって、収束していきます。

物語後半の、もうひとつのクライマックスは、「深まる山場」と名付けてみます。(山が深い、って変ですが)

両親から愛され、両親を大事にしているマルチンは、クリスマスに帰省することを楽しみにしています。しかし、家が貧しいため、交通費の仕送りをしてもらえません。多くの生徒が浮かれて帰省の準備をする中、マルチンはしずみこんでいます。遠く離れた母と、泣かないことを手紙で約束し、ずっと涙をこらえています。

ほとんどの生徒達が帰省した、ひっそりした学校で、正義先生はマルチンと会います。正義先生とマルチンのやりとりのシーンで、物語は静かにもりあがります。泣ける場面です。

マルチンは、正義先生から「きみは旅費でもないのかい?」(p202)と言い当てられ、それまでがまんしてきた涙があふれてしまいます。心が強いマルチンが泣く姿は、いたいたしくもあります。

母子の愛はケストナーの作品でくり返し語られるテーマです。ケストナーの少年時代と同じように、「母は子を愛しており、子も母思いなのに不幸」ということが多いです。

「飛ぶ教室」でもそうです。マルチンと両親にある不幸は、「貧しさ」です。しかし、正義先生の助力によって、マルチンは幸せなクリスマスを送ることができるようになります。物語はしずかでみちたりたラストをむかえます。  04.9.12

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今(の日本)だったら……

マルチンたちは、寄宿生でありながら、規則を破り、勝手に学校をぬけ出したことが罪に問われています。「規則を守ること」が、とてつもなく大事だった時代なのだろうと思います。「規則を守る、目上の人に服従すること」が、二つの世界大戦の間にあるドイツには、兵士を養成するために必要な徳目だったと考えられます。しかし、今だったら、学校をぬけ出したことより、暴力事件を起こしたことの方が問題になるような……

ヨーニーの幼児遺棄事件、クロイツカムの事件、ウリーの飛び降り事件、今だったら大問題……  04.9.12

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友情について その1 マチアスとウリー

 ボクサー志願、腕っぷしが強く、大食らいのマチアス。体が小さくおく病なウリー。体つきも性格も正反対の二人ですが、親友どうしです。

物語の前半、ウリーは、マチアスの強さと勇気にあこがれ、たよりにしているふしがあると思われます。ふしん場での雪合戦の直前、マチアスはウリーと別行動をとることになりますが、ウリーはマチアスといっしょに行きたがります。

 一方、マチアスは、ウリーのことを心配しています。「きみも食えよ。もっと大きく強くなるように」(p31)「きみはたべかたがすくなすぎる。…それにきみはきっとホームシックにもかかっているんだ。どうだい?」(p53)と、ウリーを気づかう発言が多いです。ゼバスチアンがウリーを侮辱すると、本気で怒ります。雪合戦中、ヴァヴェルカから逃げ出したウリーに「まったく、あいつ(ヴァヴェルカ)は恐ろしい顔をしている」(p90)と言って、なぐさめています。マチアスは、兄のような気持ちでウリーに接していたのではないかと思いますが……

しかし、物語の後半になると、ふたりの立場がかわります。ウリーが飛び降りをやってのけてからは。

自分はおく病だと思いこんでいたウリーは、自分にも勇気があったのだ、と気づきます。事件後、ウリーは自信を持ちました。マチアスとの友情も対等……どころか、力関係が逆転しているようです。「マチアスはまったく彼におさえつけられています。……ウリーはなるほどいつまでも小さいけれど、彼のうちには、だれもさからうことのできない力がひそんでいます。……彼にじっと見られると、もういけないんです。」(P228)とヨーニーは語っています。  04.9.12

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美少年テオドル

テオドル好きな人は読まない方がいいかもしれません。

「小さいウリー」「通学生フリドリン」「のっぽのチールバッハ」と同じように「テオドル」の頭には「美少年」がくっついています。美少年テオドルです。テオドルには、「美少年」がもれなくついています。会話文でも、地の文でも。なぜ?

会話文でも「美少年テオドル」とかかれていることから、テオドルに「美少年」をつけて呼ぶ子が多く、ニックネームみたいになっていることがわかります。では、なぜ「美少年」がニックネームになったか?

理由を考えてみました。


1 最上級生の室長の中に、テオドルという名前の人がほかにもいる。区別するために「美少年」の方のテオドルということで、そう呼んでいる。

2 思わず「美少年」をつけてしまうくらい、テオドルは超美形。

3 「美少年」は、実はほめことばではなく、揶揄(やゆ)したことば。


答えは2と3の間くらいにあるんじゃないかな〜と思います。

テオドルは確かに美形のようです。「写真にとりたいようなきれいな顔」(p34)とあります。

テオドルは、自分が美少年であることを自覚していて、女の子にモテモテで、それを自慢にしているのだろうと思います。p196で、シガレット・ケースを女の子からもらって、みんなからねたまれています。

ゼバスチアンとマチアスは、女の子に興味がないようです。(p35)彼らには、テオドルは「ちゃらちゃらした軟弱なやつ」と映っていたのかも。

ゼバスチアンとマチアスにとって、「美少年」であることに、たいした価値はないのかもしれません。この二人はあきらかにテオドルをあざけっています。ゼバスチアンは、テオドルの美しささえあざけります。(p94)

下級生には規則をおしつけるのに、自分は体育館使用のきまりを守らないテオドル。先生には蜜のような声で話すテオドル。不正がきらいなマルチンも、テオドルを軽蔑していたと思います。

ヨーニーもテオドルをからかう発言をしています。(p94)

ウリーはテオドルをおそれています。

つまり、高等科一年の主役級の少年たちは、テオドルに対していい感情を持っていません。彼らが「美少年テオドル」と呼ぶとき、揶揄する気持ちをこめているのかもしれません。  04.9.24

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正義先生の話と子どもの兵舎


少し重いです。(容量ではなくて、内容が)


マルチンたちは、クロイツカムを救出して学校にもどったのち、美少年テオドルから告発されます。正義先生の前で弁明をし、正義先生から子ども時代の話を聞かされることになります。

正義先生が子どものころ、寄宿生だったヨハン・ベク少年(正義先生)は、病気のお母さんを見舞うために学校を抜け出しました。それを最上級生にとがめられ、外出禁止を言いわたされました。それでもなお、ヨハン・ベク少年は抜け出し、お母さんのもとへ行きました。その時、親友が監禁の身代わりになってくれた、という話です。この話は、美少年テオドルをさとし、マルチンたちを力づけるいい話です。

これは、ケストナー自身の体験がもとになっているエピソードです。「ケストナー:ナチスに抵抗し続けた作家」(偕成社)には、「母のイーダが病気だと聞いて、心配になり、寮を抜け出し、見舞いに行ったのだ。(中略)もどってきたエーリヒを待ち受けていたのは、監督の上級生からの体罰と、拘束室での監禁だった」(p51)とあります。

同じエピソードをあつかったケストナーの別の作品に「子どもの兵舎」(「大きなケストナーの本」マガジンハウス)があります。これは、病気の母を見舞うため学校を何度も抜け出したロルフ・クラールスが、最上級生ヴィンディシュからねちねちといじめられ、ついにロルフがヴィンディシュをしめ殺すという恐ろしい話です。母が死んだ日でさえ、ロルフは、ヴィンディシュから規則破りをとがめられたのです。この話には、いじめ、ロルフの母の死、殺人、ロルフの死(実は生死はわからないそうだが)と何重にも悲劇が重なっています。

この話の題に「兵舎」ということばがついているのは、人間性より規則を重視する学校の体質は兵舎そのもので、ロルフの悲劇を生み出すもとになっているというケストナーの思いがあるようです。

ケストナーは、自分の教員養成所時代を振り返って、「教師の兵営」と言っています。(教師はどのように作られたかという話<「大きなケストナーの本」)そして、「教員養成所で盲従のロボットになり、国民学校の先生となっても上から命じられたことを盲目的に実行した。1933年、つまりナチスが政権をとってからも、何も反対しなかった」と述べています。

正義先生の話には、戦争の影は感じられず、美しい友情の話になっています。しかし、ナチス政権成立と同年に「飛ぶ教室」が刊行されたことを思えば、例のエピソードには重い意味があると思います。


 追記:ケストナーが、教員養成所ののちに通ったギムナジウムは、明るく自由な雰囲気だったそうです。学校全部が軍隊式ではなかったようです。  04.9.26

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