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ナチズムの記憶 日常生活から見た第三帝国
著:山本秀行 山川出版 Memories of Nazism and Everyday life in the Third Reich
本書「ナチズムの記憶」は、大衆の視点からナチス政権をとらえなおした研究書です。著者山本さんは、ドイツ中部の農村ケルレ村と、炭鉱町ホーホラルマルクの人々の証言を検証していくなかで、ナチスがどのように大衆のなかに介入していったのか、また、人々はナチス政権をどのように見ていたのか、明らかにされています。
驚くべきことに、いずれの地方にも、「ナチスの時代はよかった」とする証言があります。ケルレ村では、日本の地主と小作の関係にあたる馬農家と山羊農家、そしてその中間層として牛農家があります。農家の階層の違いによって、政治的な立場も、所属するスポーツ団体も違います。それがナチスの政策によって画一化され、村がすっきりまとまった、というのです。
ホーホラルマルクでは、第一次世界大戦、世界恐慌のあおりを受け、失業と困窮に苦しんだ人々が、1930年代には、軍需景気によって職にありついた、または、突撃隊に入ることで仕事をもらえたといいます。
ベルサイユ体制から脱し、主権と誇りを取り戻したかに見える時代。景気が盛り返し、失業者が再び職に就いた時代。国民を個々に分断し、画一化することで統合し、価値観がひとつにまとまった時代。被差別者を設定することで、相対的にアーリア人系ドイツ人の地位が向上した時代。1930年代が「いい時代」とらえられた所以ですが、それらの全てにナチスがはりつき、政策上の成果にみえる事柄にも、背後には多大な犠牲が強いられていたことがわかります。
以下のタイトルは、MORIが便宜上つけました。
ナチス政権とヒトラーが、人々の不満をそらし、たくみに人心を収攬していった仕組みが、ナチスのイデオロギーとは一見かけはなれたところで、見え隠れします。
そのひとつに、国民の余暇活動のための組織「歓喜力行団」よる旅行があります。ナチスの政治臭を全く感じさせない旅行であり、ナチスに批判的な者でさえも、「歓喜力行団だけはよかった」と評価したといいます。
しかし、余暇という個人的な領域にまで政府がふみこみ、国民を統制しようとする、ナチスの全体主義の一面がうかがえます。歓喜力行団は、国民の生活のすみずみに政治が介入し、大衆を画一化していく手段のひとつだったのでしょう。
ナチスは、食糧の確保に努めました。第一次世界大戦では、多くの鉱夫が飢えたのに対し、第二次世界大戦では、一日あたりの摂取カロリーが2000キロカロリーを保つことができたそうです。それは、占領地の住民、外国人労働者、捕虜等の人々の飢えという犠牲をはらって得られたものでした。(p301)
ナチ党や幹部に対する人々の不満は、ヒトラー批判にはつながりませんでした。国民の気持ちが、ナチスの幹部や政府を越え、直接ヒトラーと結びついていたからです。人々は、ヒトラーが悪い官僚や党幹部を粛正することを期待したのです。
ナチスは、戦争を遂行することを目的とした政権であり、その暴力性は、ユダヤ人虐殺、ゲシュタポや突撃隊の暴行にみることができます。ナチスの暴力性は、収容所等の限定された場所と、一部の人によって引き起こされるのではなく、社会のなかに組み込まれたものであることが本書から読み取れました。
たとえば、細分化された人種差別がそうです。外国人労働者を、出身国や、捕虜であったかどうかといった点からランクづけし、ドイツ人の下に位置づけました。そうすることによって、下層の労働者とされていた鉱夫の地位が、相対的に向上するのです。鉱夫のなかには、外国人労働者に対して、暴力行為に及ぶ者もいたということです。なかには、同情を寄せる者もいましたが、同情という感情自体、対等な人間関係ではないのです。
ナチスによる戦争犯罪の最たるものはユダヤ人虐殺です。
反ユダヤ主義は、ヴァイマル共和国時代から続いていた地方もありました。反ユダヤ主義は、反共産主義と結びついて、ナチスのテーマとなったのです。(p215)
では、ナチス幹部でない大衆は、ユダヤ人のことをどう見ていたのでしょうか。人々はアンビヴァレントな感情を抱いていたことが、本書からわかります。
自分と商取引があるユダヤ人、身近にいる勤勉なユダヤ人は「よいユダヤ人」、アメリカにいて、金持ちで、戦争をしかけるのは「悪いユダヤ人」とする見方が、一例としてあげられています。ひとりの人物が、ユダヤ人に同情もし、排斥もしていたのです。
また、ユダヤ人に対するボイコット運動や暴行は、ユダヤ人と取引があるドイツ人にも向けられたといいます。ユダヤ人攻撃をたくみに利用して、個人的な敵であるドイツ人攻撃に用いられた例も紹介されています。
ナチス政権成立の1933年から、1939年までをよい時代とする人々の証言がある一方で、ナチスのねらいを無効化した例もありました。
ケルレ村の馬農家の二つのエピソードが取り上げられていました。村の有力者である馬農家は、ナチス幹部の息子に「この村から逮捕者を一人も出すな」と命じたそうです。息子は、父親の言葉にしたがったといいます。村には、ナチスの政敵であった社会民主党員、共産党員もいたのですが。ナチスに逆らう命令でしたが、馬農家は、村と名誉を守ることを、最優先に判断したのです。
また、彼は、村の広場を「ヒトラー広場」と改名したといいます。ナチスへの忠誠心を、改名によって示すことで、ナチスの目を村からそらせ、村を守ることになったのです。ナチスの暴力を無力化する、村の人々のしたたかさが感じられる事例です。
ナチス政権が成立した1933年に、ケストナーの「飛ぶ教室」が刊行されました。ケストナーは、前書きで、「かしこさのともなわない勇気は、不法です。勇気のともなわないかしこさは、くだらんものです!世界史には、ばかな人々が勇ましかったり、かしこい人々が臆病だったりした時が、いくらもあります。」(p24)と書いています。「飛ぶ教室」が書かれた時代背景を考えると、この言葉の重みが実感できます。ナチスの真のねらいを知るかしこさと、ナチスと戦う勇気を持つこと、ナチ体制下では、それがいかに困難なものであったのか想像に難くないことです。 05.8.15