ケストナー文学への探検地図

文学教育研究者集団編  発行こうち書房 発売桐書房

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「ケストナー文学への探検地図 『飛ぶ教室』/『動物会議』の世界へ」は、ケストナー文学の評論、書評としても、ケストナーや、彼の作品を知るための資料としても、貴重な一冊です。

本書の中心は、「飛ぶ教室」と「動物会議」をテキストにした座談会の記録「ケストナーとの対話」の章です。出席者の方は、作品発表当時の社会情勢、ケストナーの生涯や理念をも視野に入れて読まれています。そして、それぞれの読みに基づいた意見が交わされています。

幣サイトが「飛ぶ教室」メインですので、第3章「ケストナーとの対話1・座談会『飛ぶ教室』を語る」から、感想を述べてみます。(以下の小見出しは、MORIが便宜上つけました。)


「飛ぶ教室」とナチス

「飛ぶ教室」は、1933年に出版されました。ナチス政権が成立した年であり、第二次世界大戦のわずか6年前です。こういった時代背景を思えば、「飛ぶ教室」にこめたられたケストナーのメッセージを読み取っていくことは大切だと思います。

座談会では、「飛ぶ教室」のなかで、ナチスの行為を思わせるエピソードがあることを指摘されていました。

1933年5月には、ケストナー著作の焚書事件がありました。実業生による書き取り帳焼き、拉致、監禁、暴力は、ナチスの行為と重なるそうです。(p42)MORIは、ナチスによる焚書事件は知っていたものの、マルチンたちの書き取り帳が焼かれたことと結びつけていませんでしたので、なるほどと思いました。

不死身になろう!

当時、ヒトラーやナチスに迎合する人々がいた一方で、ナチスや戦争に反対する人々、ナチスにしいたげられた人々もいました。混迷した社会にあって、一番の犠牲となるのは、弱者――子どももふくめて――です。マルチンやヨナタンの涙は、子どもの力では変えようがない社会のきびしさから、流されたものです。

そんな時代にあっても、グロッキーにならずに生き抜いていこう、と訴えるケストナーの励ましについても、話し合われています。

「世の中というものは、とほうもなく大きなグローブをはめていますよ。みなさん!そこで、元気を出し、不死身になるんですね!」というケストナーの前書きをもとに、ウリーの飛びおりについて考察された文があります。きびしい現状に打ちのめされるのではなく、不死身になることで、ヒトラー政権下を生き抜いていける、とするメッセージが読みとれる、というのです。(p45)

また、マルチンが星に願い事をする場面は、「明るく未来を信じて生きようよというケストナーの呼びかけ」として胸に響いてくる、とも書かれています。(p59)

共に成長する教師

ケストナーは、「第三帝国で教師がためだったのは、1933年以前の教員養成がだめだったからである。子どもたちを理性的に教育できるのは、その前に教師を理性的に教育した時だけだ」と述べ、(「教師はどのようにつくられたか」<「大きなケストナーの本」、マガジンハウス社)規則に従順で、自ら考えて、判断しない教師を批判しています。

「飛ぶ教室」には、さまざまなタイプの教師が登場します。正義先生のように、生徒理解に努める教師もいれば、毎年同じしゃれを言う、成長がない教師もいます。

座談会では、生徒から教師への働きかけ、教師と生徒との関わりについても考察されています。

「ギムナジウムの生徒たちの自由な動きというもの、と同時に教師たちの柔軟な対応が、いきいきと描かれていていいですね。」(p53)

「正義先生と禁煙先生が最初から立派な教師で、ある教育方針に基づいて子どもたちを型にはめていくといった一方通行のものではなく、子どもたちによってまた先生たちの良いところが引き出されていくという、そんな素敵な関係ができていったということでしょうね。」(p54)とあります。

ケストナーは、教師と生徒との温かな交流のなかで、生徒は成長し、教師も変わっていけることを、「飛ぶ教室」のなかで書いているのです。


「ケストナー文学への探検地図」は、今日の社会で、ケストナー文学をどのように読んでいくのか、また、子どもたちにどう読ませていくのか、示唆に富む内容となっています。本書を手がかりに、ケストナー文学を読み直したとき、子どものための文学にととどまらないケストナー作品の奥深さが感じられます。 


「ケストナー文学への探検地図」の各章は、

となっています。詳細は、文教研「新刊紹介『ケストナー文学への探検地図−飛ぶ教室/動物会議の世界へ』」のページをごらんください。

05.01.02