富安 陽子

富安陽子さんは、日本ふうファンタジーの本をたくさん書かれています。ここでとりあげている本もそうです。

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ドングリ山のやまんばあさん

絵:大島妙子 理論社 中学年から

おばあさんというと、やさしい、弱々しい、しらが、こしがまがっているというイメージがうかぶ。

やまんばだったら、こわい、夜中に包丁をとぐ、子どもをさらうといったイメージ。

この物語の主人公のやまんばあさんは、そんなイメージをふきとばす。そこぬけに明るくて、むじゃきで、強い、スーパーばあさんだ。やまんばあさんは二百九十六歳だが、大木やくまをかるがると持ち上げたり、時速八十キロで走ったりする。ちっともくよくよしない。ものごとを自分のつごうのいいように受け止めている。

やまんばあさんは、はじめのうちは、人間社会と関わりを持たずに生活していた。やまんばあさんは、最近の人間のくらしを知らない。(百年間、町に行ったことがないから。)人間の方でも、やまんばがドングリ山に住んでいることを知らない。それが、シズカとハヤト姉弟に目げきされたり、田端(たばた)さんごふさいの車を追いかけたりしているうちに、少しずつ人間の社会に近づいていく。

物語の終わりには、やまんばあさんは、人間の友達をえる。

そうぞうしい人間の町がきらいだったやまんばあさん。

人間とのついあいをさけていたやまんばあさん。

ほとんどの人間が、シズカのように、やまんばはいないものと思っているか、田端さんのようにこわがっているか、のどちらかかもしれない。

 だから、やまんばあさんの方でも、人間と関わろうとしなかったのだろう。

 やまんばあさんの友達になった人は、やまんばあさんをこわがらない。やまんばあさんを受け入れて、いっしょに宴会(えんかい)を楽しんだ。

やまんばあさんには意外な一面があった。料理上手で、やさしいのだ。友達ができたことで、やまんばあさんのそんなよさがあらわれてきた。

人間の友達ができたやまんばあさんはうきうきしている。いっしょに遊ぶことを楽しみにしている。

あたたかな春の予感を残して、物語は終わる。 04.8.22

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竜の巣

2003年 ポプラ社 中学年から

直人と研人のおじいちゃんは、むかし、竜の巣に入ったことがあるそうだ。おじいちゃんは、子どものころのふしぎな体験を話してくれる。

おじいちゃんは、夏が終わろうとするある日、うら山に登った。山には、こいきりがたちこめてきて、ちょっと先も見えないほどだった。

おじいさんは、きりの中で、カエルのような顔をした、緑色のはだの子と出会う。その子は、「谷川のカワヅ」つまりカエルだと名乗る。その子は、山にきりがかかっているのではなく、「竜の巣」が空からおりてきたのだと教えてくれる。カワヅの子となかまは、竜につかまり、まほうをかけられ、人間のような姿に変えられてしまったという。

おじいちゃんは、竜の巣からにげ出そうとするが、その前に、竜が帰ってきてしまう。おじいちゃんは、竜がこわくてたまらない。竜からひとのみにされてしまうかもしれないし、魔法をかけられるかもしれないからだ。おじいちゃんは、竜から見つかりそうになるが、あぶないところをカワヅの子から助けてもらう。

この本の竜は、せいかくがあらくて、らんぼうだが、どこかにくめない。マヌケで、数が数えられなくて、そのくせ正直者だ。西洋のむかし話やファンタジーに登場するドラゴンは、たいじされるべき悪者として書かれていることが多い。だが、この物語の竜は、野生の動物と同じように、自然の一部として生きている。竜は、ただみんなをこわがらせているばかりではない。ちゃんと仕事も持っている。七つの山と七つの谷に雨をふらせるという仕事だ。

おじいちゃんは、自分をたすけてくれたカワヅの子のために、みんなで竜の巣からにげ出す方法をさがす。こわがっていたおじいちゃんが、勇気を出して、竜に立ち向かう。

おじいちゃんは、竜をたいじしたのではないが、竜を追いはらう。そして、カワヅの子たちと竜の巣からにげ出す。

この本には、おじいちゃんが遊んだうら山や谷川の自然が美しく書かれている。おじいちゃんが、竜の巣にまよいこんだのも、カワヅの子たちと友だちになったのも、ゆたかな自然があったからだと思う。  04.12.26

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シノダ!チビ竜と魔法の実 

2003年 偕成社 高学年から

富安陽子さんは、日本的なファンタジー物語がうまい人だな、とつくづく思います。(失礼な言い方ですが(^_^;)

西洋のファンタジーに、ドラゴンやニンフ、騎士、魔法使いなどがよく出てきます。そういったものがファンタジーに登場するのは、むかしから語りつがれてきた民話や伝説、その土地の文化や風習、歴史、宗教などの下地があるからだろうと思います。

今の子どもたちには、西洋風のファンタジーも違和感なく受け入れられています。ゲームや映画などでなじみがあるからかもしれません。

しかし、日本には、日本のファンタジーがあってもいいのではないかな…と私は思います。富安さんのファンタジーは、登場人物や物語の筋立ても日本的です。

「シノダ!チビ竜と魔法の実」の主人公ユイは、五年生のしっかり者の女の子です。ユイのママはキツネ、パパは人間です。ママはいつも人間に化けていて、ふつうの人間の母親と何ら変わりはありません。違うのは、人間が知らない妖怪のような者たちを知っていること、新月の夜にはキツネの姿にもどってしまうことくらいです。ユイは、ママの血筋からふしぎな力をもらいました。鼻がきき、風にふくまれるいろいろな音を聞き分けることができるのです。弟タクミ、妹モエもふしぎな力を少し持っています。

パパは、おくさんがキツネであることに、まったくこだわっていません。キツネであっても、人間であっても、好きな人にはちがいないから結婚したのだそうです。

ユイの家には、時々、ママの親せきが遊びに来ます。おじいちゃん、夜叉丸兄ちゃん(おじさん)、ホギおばさん、スーちゃん(おばさん)。くせのあるキツネたちです。人間と、キツネ一族たちとの間は、分断されていません。キツネたちも、人間も、自然界の一員として書かれているようです。

ホギおばさんは、ママのおばさんにあたる人で、うらない好きです。ユイの家に来ては、不吉な予言をしていきます。おばさんは、二度、「災いが起こるだろう」と予言します。つまり、災難がふたつやってくる、というわけです。ママは、「災難と不幸は、おなじじゃないのよ。災難をのりこえられないことは不幸だけど、災難をのりこえていくことは、人生のたのしみの一つなんだから」(p15)と言います。ママもパパも、ユイたちも、災難がふりかかることをおそれたり、災難に直面して落ちこんだりしません。家族みんなで力を合わせてのりこえていきます。

一つ目の災難は、ユイの家にチビ竜が住みついたことでした。雲竜で、雲をつくり、雨を降らす働きをします。ママが言うには、雨を降らすたびに竜は大きくなっていくのだそうです。最初のうち、ユイたちは竜を退治しようとします。マンションの中で大きくなられては困るからです。

しかし、日がたつにつれ、竜と仲良くなってしまいます。竜が、西洋のドラゴンのような悪者ではないところや、退治しなくてもいいところは、日本的な考え方だと思います。竜も自然の一部なのかもしれません。

二つ目の災難は、タクミが夜叉丸兄ちゃんからふしぎなおみやげをもらったことでした。このおみやげがもとで、タクミや信田一家は大変な目にあいます。しかし、一家は、この災難をのりこえ、チビ竜を空に帰すことができました。   05.1.23

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やまんばあさん海へ行く

絵:大島妙子 2003年 理論社 中学年から

「やまんばあさん海へ行く」は、「ドングリ山のやまんばあさん」に続く、やまんばあさんの2作目の本です。

この本のやまんばあさんは、前作より、テンションが高くて、ごうかいです。スーパーマンなみのパワーは、あいかわらずです。やまんばあさんがしたことは、町の人たちや、読者の、どぎもをぬくようなことばかりです。

やまんばあさんは、強いばかりではありません。とてもやさしいのです。このやまんばあさんが大好きです。

やまんばあさんは、ふだんはドングリ山に住んでいます。150年前、はじめて海に遊びに行きました。そこで、ぎょ船と出会い、さかなをとる手伝いをしました。その手伝いがすごいのです。シマアジのきょ大なむれごと、あみでつかまえたのです。ぎょ船があらしにあうと、船をひっぱって、島まで泳ぎました。やまんばあさんは、あらしをこわがっていませんでした。ぎゃくに楽しんでいました。

それいらい、やまんばあさんは、海に何度でも遊びに行ったそうです。

やまんばあさんは、人間からこわがられていますが、ぜんぜん気にしていません。なくなったてんぐのうちわをさがして、学校にも行きます。学校で、子どもたちとたくさん話をしたり、子どもたちを笑わせたりします。

むじゃきで、明るくて、力持ちのやまんばあさんのことを、子どもたちは好きになりました。四年三組の子どもたちは、やまんばあさんに、クリスマス・プレゼントをしました。やまんばあさんは、たいそうよろこんで、お返しをすることにしました。やまんばあさんのプレゼントは、学校のみんながあっとおどろくもので、しかも、子どもたちも大人も、大よろこびで遊べるものでした。やまんばあさんのプレゼントは、なんだと思いますか?(こたえ→)雪でつくった大きなおしろ。 05.2.27

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やまんばあさんの大運動会

絵:大島妙子 2005年 理論社 中学年向き

やまんばあさんは、かしまし小学校の校長先生から手紙をもらいます。かしまし小学校の春の運動会にしょうたいするというのです。

やまんばあさんは、大喜びで運動会に行きます。しかし、美容室で、町長夫人の美雪おくさまとまちがえられてしまいます。やまんばあさんと美雪おくさまは、そっくりなのです。美雪おくさまはお上品な人で、やまんばあさんとは大ちがいなのに。ドレスを着て、きれいにかみをセットしたやまんばあさん、ちょっとおかしいです。

運動会に来たやまんばあさんは、また、美雪おくさまとまちがえられました。けれども、運動会で大かつやくするやまんばあさんを見て、みんなは、人ちがいだったことがわかります。元気がよくて、体力がすばぬけていて、楽しいことが大好きなやまんばあさんは、運動会が大好きになっていました。

そのやまんばあさんが、今度は、どんぐり山の運動会を開きます。ずるがしこくて、根性まがりのきつねハナマガリは、やまんばあさんを打ち負かそうと思って、やまんばあさんに勝負をいどみます。ハナマガリは、かけっこのコースにわなをしかけました。

けれども、やまんばあさんは、わなも楽しんでしまいます。落とし穴には自分から進んで落ちます。クリのイガやタラのトゲも平気です。ハナマガリのずるさも、やまんばあさんのおおらかさと、スーパーマンのような体力にはかないませんでした(^^)。

やまんばあさんは、動物たちのために、運動会の楽しいしゅもくを考えたり、ごちそうを用意したりします。自分が楽しむだけでなく、みんなを楽しませています。やまんばあさんのごうかいなやさしさがいっぱいの運動会でした。 07.2.11

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ねこじゃら商店へいらっしゃい

絵:井上洋介 ポプラ社 1999年 中学年から

ねこじゃら商店は、ふしぎな店です。ふしぎな道具がたくさん売ってあり、そろわないものはないという店です。とても速く走れる韋駄天印の運動靴(いだてんじるしのうんどうぐつ)、どんな顔にもなれる七化鏡(ななばけきょう)などのふしぎな商品もおいてあるのです。けれども、この店がどこにあるのか、さがすのはむずかしいです。きのうまで店があったところに、今日もあるとはかぎらないのです。ねこじゃら商店に行きたかったら、ノラねこにきけばいいそうです。

「ねこじゃら商店へいらっしゃい」は、そんなふしぎに店に、買い物にきたお客と、店のあるじ白菊丸のお話です。この本には、「バッタを買いにきたガマガエルの話」「しっぽをなくしたいたちの話」「靴を買いにきた男の子の話」「しっぽをもらった女の子の話」「顔を買いにきたのっぺらぼうの話」があります。

白菊丸は、年とったブチねこです。お客とのやくそくは必ず守ります。何でも売ってくれます。白菊丸は、生きものをあやつるふしぎな力を持っているようです。この力を使って、商品を仕入れています。

白菊丸は、お客がやくそくをやぶったり、れいぎ正しくなかったりすると、とてもきびしいです。白菊丸は、やくそくごとをきちんと守る、公正な商売人なのでしょう。 07.2.18

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キツネ山の夏休み

絵:富安陽子 あかね書房 1994年 4年生以上

作者の富安陽子さんは、日本ふうのファンタジーを得意とされています。

ですから、この本「キツネ山の夏休み」に登場するのも、魔女や吸血鬼、妖精、ドラゴン等の西洋風の人物(正確に言えば人ではないのですが)ではなく、猫股や化けギツネ、水グモの精といった日本の妖怪たちです。どこかなつかしい感じがする親しみやすいファンタジーです。

主人公の弥(ひさし)は、小学四年生。「四年生の夏休み」というたった一度だけの夏休みをお父さんのいなかの稲荷山(いなりやま)ですごすことになります。夏休みは何度もめぐってきますが、ひとつひとつの夏は、やはり一度しかないのです。

稲荷山は、自然が豊かで、水がきれいで、古い伝説やむかし話がのこる町でした。榎稲荷(えのきいなり)の108ひきのキツネに守られた町でもありました。

弥は、稲荷山で、おばあさんとふたりきりでくらします。弥とおばあさんの日々の生活には、コンビニも、テレビゲームも、ファーストフードもありません。毎日変わらず、同じような時間をすごすおばあさんは、一日一日をていねいに生きています。弥は、おばあさんとのいなかの生活に満足しています。自然を楽しみ、妖怪たちと知り合い、ふしぎな体験をします。

弥は、猫股の大五郎や、キツネのオキ丸と友達になりました。大五郎は、弥に命の危険がおよんでいることを知らせ、助けてくれました。オキ丸と弥は、いっしょに空を飛び、人助けをしたり、どろぼうをつかまえる活やくをしたりしました。また、オキ丸は、108ひきのキツネたちによる、げんしゅくな夏送りの祭りを弥に見せてくれました。一度しかない「四年生の夏」に終わりをつげる祭りでした。

弥は、稲荷山で、子ども時代のお父さんを身近に感じ、弥が知っていたお父さんとは違った一面を発見することにもなります。そして、おばあさんの正体について思いをめぐらし、自分は何者なのか、考えます。その答えは、はっきりしないままでした。しかし、弥は、「オキ丸のことを忘れない」、「稲荷山とおばあちゃんが大好きだ」と思うのです。 07.12.3

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