オトフリート・プロイスラー

「山椒のこつぶっこ」トップ読書ノート*外国児童文学>プロイスラー Otfried Preussler


       

小さい水の精

絵:ウィニー・カイラー 訳:はたさわゆうこ 2003年 徳間書店 中学年から

DER KLEINE WASSERMANN 1956

「小さい水の精」は、プロイスラーさんの初出版作です。この物語は、ドイツに伝わる民話から題材を得て書かれたそうです。水の中の生きものたちのようす、水車小屋のまわりの豊かな自然が書かれています。

水車小屋の池に、水の精のふうふがすんでいました。そのふうふに、男の子の赤ちゃんが生まれたところから、物語が始まります。

小さい水の精は、お父さんやお母さん、コイのチプリヌスたちからかわいがられ、見守られて大きくなっていきます。小さい水の精は、元気がよくて好奇心がおうせいです。泳げるようになると、家の外に出たがり、池じゅうを泳ぎ回ります。池をのろのろ泳ぐ人間を見ておもしろがったり、雨にさわって喜んだりします。池の外にも出ます。小さい水の精は、大きくなるにつれて、安全な家のなかから外へと、ぼうけんを広げていくのです。

小さい水の精は、いたずらがすぎたり、失敗したりすることもありました。コイのチプリヌスが「危険だから、水門に近よってはいけない」と注意したのに、ききませんでした。水門の戸に向かって泳いでいき、水車にまきこまれてしまいました。人間の子どもだったら、大けがをするところです。しかし、小さい水の精は平気でした。それどころか、水車の輪に飛びこむ遊びが大のお気に入りになってしまいます。…この遊びの結末は、たいへんなことになり、お父さんからおこられてしまいましたが…

満月の夜、水の精のお父さんは、小さい水の精をつれて岸辺にあがりました。そして、たてごとをひきました。月の光で銀色にそまった池で、小さい水の精は、月のかげをつかまえようとしていました。しずかな池に、たてごとの音色と、水のはねる音だけが聞こえてきそうな、美しい場面です。

小さい水の精には、人間の友だちもできました。人間のおとなたちは、水の精をみとめようとしないのに、子どもたちは、水の精を受け入れています。小さい水の精は、人間の子となかよくなり、たっぷり遊びました。

そのうち、水車小屋の池にも冬がやってきました。小さい水の精は、春までのねむりにつきました。たくさんの生きものと出会い、たくさん遊んで、満足してねむっていることでしょう。 05.7.3

ページ頭にもどる  読書ノート*外国児童文学にもどる


魂をはこぶ船 幽霊の13の話

プロイスラーの昔話 幽霊の13の話

絵:スズキコージ 訳:佐々木田鶴子 2004年 小峰書店 中学年から

ZWÖELFE HAT’S GESCHLAGEN 1988

「魂をはこぶ船」は、幽霊(ゆうれい)話の短ぺん集です。これらの物語は、ドイツに伝わる幽霊の民話をもとに、プロイスラーさんが創作されたそうです。

「ドイツにも幽霊の話があるのだな」とか、「日本の怪談と似ている話もあるし、全く違った話もあるな」と思いました。この本のタイトルにもなっている「魂をはこぶ船」という話は、死者が船に乗り、川をわたって、あの世に行く話です。この世とあの世のさかいめの川は、日本に伝わる「三途の川」と同じです。

この本には、いろいろな幽霊が出てきます。人に危害(きがい)を加えるおそろしい幽霊。天国に行きたいけれど、行けなくてこの世をさまよう幽霊。家の中で大さわぎをする幽霊。墓場でダンスをする幽霊や、自分の首をころがしてボーリングをする幽霊といったゆかいな幽霊もします。

ちょっぴりこわい話もありますが、幽霊が救われて天国に行ったり、いい幽霊が登場する話もあったりで、それほどこわい怪談の本ではありません。管理人MORIは、「降臨節の早朝礼拝」がこわかったです。

日本の古い幽霊話には、「耳なし芳一」のように、仏教と結びついているものがあります。「魂をはこぶ船」には、キリスト教の影響(えいきょう)がみられるもの、幽霊話が伝わった地方の土着の信仰(しんこう)や迷信が感じられるものがありました。  05.7.3

ページ頭にもどる  読書ノート*外国児童文学にもどる


地獄の使いをよぶ呪文 悪魔と魔女の13の話

プロイスラーの昔話 悪魔と魔女の13の話

ZWÖELFE HAT’S GESCHLAGEN

絵:スズキコージ 訳:佐々木田鶴子 2003年 小峰書店 中学年から

「地獄の使いをよぶ呪文」は、ドイツの昔話を集めた短ぺん集です。

副題に「悪魔と魔女の13の話」とあるように、この本には、悪魔や魔女が出てきて、いろいろな魔法をつかいます。

キリスト教が伝わる前からドイツにあったまじないや、薬草で病気をなおす方法、科学の一部も「魔法」と呼ばれています。また、キリスト教からみると「悪いもの」とされた考え方や、悪魔が使うわざも「魔法」なのかもしれません。

この本のなかの物語「ここにサインを!」「秘密の作戦会議」には、それぞれ、あの有名なファウストとクラバートが出てきます。

ファウストは、ゲーテの作品にも出てくる、悪魔のメフィストーフェレスと契約(けいやく)した男です。(注1)「何でも望みをかなえてもらうが、死後は悪魔に魂をわたす」というやくそくをしたのです。

クラバートは、「地獄の使いをよぶ呪文」の作者と同じプロイスラーさんが書いた「クラバート」(注2)の主人公です。「クラバート」には、水車小屋での三年間の魔法修行が書かれています。「秘密の作戦会議」は、水車小屋を出たクラバートの、その後の活やくの物語です。

「地獄の使いをよぶ呪文」を読むと、ファウストも、クラバートも、ドイツの伝説上の人だったのだと、あらためて思いました。

それにしても、悪魔がしていることや魔法は、現代のビジネスや科学とにているな、と思います。(注3)

悪魔は、自分が持っている魔法の力を人間に与える時、必ず「契約」をします。つまり、おたがいに相手から何をもらうのか、期限はいつまでなのか、人間とやくそくをとり決め、文書にサインをさせるのです。契約しないと、魔力がはっきできないのです。現代のビジネスも、契約の上で成り立っています。(悪魔の場合、ビジネスというより「詐欺(さぎ)」みたいです)

この本に書かれている魔法には、人の役に立ついい魔法もあれば、人を破滅させる悪い魔法もありました。危険な魔法も、とりあつかい方をまちがえず、きちんと管理しておくと、人に害をなすことはありません。これは、現代の進んだ科学や技術と同じでした。  05.7.18

(注1)「ファウスト」/全二巻/ゲーテ作/相良守峰訳/岩波文庫

(注2)「クラバート」/プロイスラー作/中村浩三訳/偕成社

(注3)キリスト教と悪魔については、考察に入れていません。「昔話の登場人物としての悪魔」ととらえて、考えてみました。

ページ頭にもどる  読書ノート*外国児童文学にもどる


真夜中の鐘がなるとき 宝さがしの13の話

絵:スズキコージ 訳:佐々木田鶴子 2003年 小峰書店 中学年から

ZWÖLFE HAT’S GESCHLAGEN 1988

「真夜中の鐘がなるとき」は、ドイツの民話を元にしてつくられた短編集です。プロイスラーの昔話シリーズのひとつです。

この本には、楽して大金をもうける「宝さがし」の話が、13編集められています。

日本の宝さがしの昔話は、正直な人がいいことをして金もうけをする話、オニなどを退治して宝物を取り返す話が多いと思います(MORIが知っている話のなかでは;;)。

プロイスラーさんが書かれている「宝さがし」の話は、ちょっとこわ目です。宝物には、呪文や魔法がかけられていたり、魔女や幽霊などの守り番がついていたりします。正しい方法で、呪文や魔法を解かないと、宝物を掘り出そうとした人に、わざわいがふりかかるのです。ぎゃくに、宝物を掘り出さなかったことが理由で亡くなった人もいます。

MORIが「こわいなあ」と思ったのは、「いちばんだいじなものを、忘れるな」「十二人のむすこたち」の二編です。

「いちばんだいじなものを、忘れるな」は、宝物より大切なものを、ほら穴に忘れてしまう話です。赤ちゃんを抱いたおかみさんの前に、宝がつまったほら穴の口が開きました。だれかが「もてるだけ、もっていきなさい。でも、いちばんだいじなものを、忘れないように」と言います。おかみさんは、宝物をたくさん持ち出そうとしました。鐘がなり終わるまでに、ほら穴を出ないと、穴は閉じてしまいます。おかみさんは、宝物に気を取られ、一番大事な物をほら穴に忘れてしまったのでした。

「十二人のむすこたち」は、実の娘にさえ、宝物をゆずることをいやがった男が、宝物に呪文をかける話です。呪文は、「おなじ親から半年とおかずに生まれた十二人のむすこがそばにいなければ、だれも宝の箱を持ち出せないというものでした。男は、死んだ後も、宝物に執着し続け、娘を悩ませました。たまたま呪文を聞いていた旅人が、呪文を解くことができました。旅人は、「十二人のむすこたち」として、12羽のひよこを用意しました。呪文が解ける瞬間、ひよこたちが引き裂かれてしまうところがこわかったです。もし、男の呪文が「十二人のむすこたち」ではなく、「三人のむすこ」たちでしたら、三つ子の息子を連れてきてもよかったはずです。すると、その三つ子は引き裂かれてしまうことに…(こわっ)  05.9.3

ページ頭にもどる  読書ノート*外国児童文学にもどる


クラバート

絵:ヘルベルト・ホルツィング 訳:中村浩三 1980年 偕成社 高学年から

KRABAT

「クラバート」は、むかしから大好きな作品です。ドイツの伝承文学を元につくられた、魔法物のファンタジーです。「生と死」という重厚なテーマが、クラバートの成長を通して語られています。クラバートの弟子入りから、親方との対決までの三年間の物語に、デカ帽伝説、水車小屋を出た後のクラバート伝説等が取り入れられ、物語に深みをもたせてられています。

クラバートが三年を過ごした水車小屋には、不気味な親方と、クラバートを含め12人の職人がいました。実直なトンダ、告げ口屋のリュシュコー、間抜けなユーロー、いとこ同志のミヒャルとメルテンらです。水車小屋の職人たちは、親方の弟子でもありました。粉ひきの仕事をする一方で、親方から魔法を教わっていたのです。

物語は、「一年目」「二年目」「三年目」という章立てで進行します。

一年目

水車小屋の秘密は何も知らず、魔法は未熟な、幼さの残るクラバートです。魔法を使うことにより、きつい仕事も楽にこなせる、軍人や王侯でさえも支配できると考えています。魔法の万能さを信じ、魔法使いのことを一つの特権のようにとらえています。

水車小屋には、「死のにおい」が漂っていました。クラバートの悪夢にも、復活祭の日、人が変死した場所で行う儀式にも、大親分が来たときだけ動く「死のうす」にも。クラバートは、親身になって世話をしてくれ、何かと支えてくれる職人頭トンダに全幅の信頼を寄せていました。

大晦日の夜中、クラバートは、断末魔の悲鳴を聞きました。トンダが亡くなったのでした。

二年目

トンダのかわりに見習いの少年ヴィトコーがやってきました。それから、水車小屋では、一年目にクラバートが経験したことと同じ出来事が繰り返されました。トンダと同じように、ミヒャルがヴィトコーの面倒をみました。復活祭の儀式、大親方の来訪、年末のみんなのいらいらも同じでした。今や、クラバートには、みんなが不安がっていらいらする理由がわかっていました。みんなは、死を恐れていたのです。

その年の大晦日、ミヒャルが死にました。トンダとミヒャルの死は、事故によるものではありませんでした。

三年目

かつてトンダがクラバートを支えたように、この年のクラバートは、新しい見習いの少年ローボシュの力になっています。

クラバートは、落ち着きがあり、知恵と力のある立派な若者に成長していました。水車小屋の秘密も、親方の恐ろしさも知っていました。

親方は、色々な生き物に姿を変えたり、夢のなかに入りこんだりして、たえずクラバートを監視していました。

親方は、職人たちみんなが気づいていたトンダやミヒャルの死について、その真相を明らかにする言葉を吐きました。「この水車場でだれが死ぬかを決定するのはわしだ」(p274)と、メルテンと職人たちに向かって言ったのです。メルテンは、ミヒャルを失った悲しみと行き場のない怒りのあまり、自殺しようとしていたというのに。

クラバートは、恋をしていました。恋人の存在を親方に知られることは、恋人とクラバートの死につながることでした。恋人は、職人を親方から自由にすることができるのです。親方は、職人と恋人を殺してでも阻止するはずでした。

その年の大晦日、クラバートには、死が待っていることは明らかでした。

危機的な状況にあるクラバートに知恵をかし、真心から力になったのはユーローでした。クラバートは、恋人の少女とユーローの助けを得て、命をかけて親方と対決します。この対決に勝てば、クラバートも少女も死ななくてすみます。死ぬのは親方なのです。

親方が「水車場の死」を司り、「死」を象徴しているのに対し、クラバートと少女には「生」の輝きが感じられます。

したたかで、強力な魔法使いである親方に、何の力もない少女が、ただクラバートに寄せる信頼と愛情のみで打ち勝ちました。

クラバートは、「生」と少女を得た代わりに、魔法を失いました。しかし、クラバートは、魔法を惜しんではいません。クラバートと少女には新しい生活が待っていました。  05.8.16

ページ頭にもどる  読書ノート*外国児童文学にもどる


小人ヘルベのぼうけん

絵:プロイスラー 訳:中村浩三 偕成社 1984年 中学年から

HÖRBE MIT DEM GROSSEN HUT 1981

ヘルベは、ぎざぎざ森の13人の小人のひとりです。ほかの12人の小人は、2人でひとつの家に住んでいますが、ヘルベはひとりぐらしです。

あるよく晴れた日、ヘルベは、ハイキングに行きたくなりました。なかまの小人は、「今日は平日で、仕事日だから行ってはいけない」「ボルリッツの森のプランパッチに食われるかもしれないから、行ってはいけない」と言って、ヘルベをひきとめたり、ついて行くことをいやがったりします。

ヘルベは、気にしません。今までしっかり働いたから、平日でも、ハイキングに行ってもいいと考えています。また、プランパッチに会うことはない、と楽観(らっかん)しています。

ヘルベは、美しいぎざぎさ森を歩きます。ハイキングを楽しんでいましたが、危険(きけん)な目にあいました。アリの大軍におそわれ、カラス池ににげこみ、小人のぼうしを船かわりにしたのはよかったものの、ボルリッツの森に流されてしまったのです。

ボルリッツの森には、小人が大好物のプランパッチがいると信じられています。プランパッチに食われるかもしれません。しかし、ヘルベは、「プランパッチにつかまらないかも」と気楽に考えています。

ボルリッツの森で出会ったもの、それはプランパッチでなく、陽気な森の精ツボッテルでした。ツボッテルは、ボルリッツの森にプランパッチはいない、と言います。ヘルベとツボッテルは、小人パンを食べ、ふたりであらしを乗り切り、すっかり親しくなりました。

ものごとを悪い方に考えず、自分の生活やハイキングを楽しんできたヘルベは、冒険のすえに、友達を得たのでした。 05.9.4

ページ頭にもどる  読書ノート*外国児童文学にもどる


小さいおばけ

訳:はたさわゆうこ 絵:フランツ・ヨーゼフ・トリップ 2003年 徳間書店 中学年から

DAS KLEINE GESPENST 1966

ドイツのフクロウ城に住むおばけは、小さくて気のいい子です。何もしていない人をこわがらせることはありません。夜の十二時から一時までが、活動できる時間で、城のなかや外を飛び回ります。どんなかぎも、いつも持っているかきだばをひとふりするだけで、開けることができます。小さいおばけは、ともだちのミミズク、シューフーとおしゃべりをしたり、遊んだりします。何百年もおばけとして生きているのに、きっと子どものおばけなのでしょう。こうき心とぼうけん心を持っていて、夜おばけなのに、昼の世界を見てみたいとねがっています。

小さいおばけは、ねがっていたとおり、昼にめざめ、昼の世界を見ることができました。初めのうちは、昼間の明るさや、たくさんの色を楽しみ、人間の子どもたちから追いかけられて喜んでいました。しかし、白かった体が黒くなり、昼おばけになってからは、つらいことの連続でした。小さいおばけは夜おばけにもどりたかったのですが、一日のリズムがぎゃくになってしまい、昼の十二時にはめざめてしまうのです。

小さいおばけには悪気がないのに、おばけがしたことは、人間たちからは、いたずらだと思われてしまいます。

325年前、トルステゾン将軍がスウェーデン軍をひきつれてせめてきた時、将軍をおいはらったのは、小さいおばけでした。人間の町を守ったのです。しかし、人間たちは、このことを知りません。

フクロウヤマ町では、スウェーデン軍包囲325年祭のパレードがおこなわれました。むかしのスウェーデン軍と同じかっこうをしたパレードでした。小さいおばけは、お祭りのトルステゾン将軍にふんした人を、ほんものだとかんちがいしてしまいます。小さいおばけは、将軍もスウェーデン軍もやっつけてしまいました。あとで、このことに気づき、自分がしたことをきちんと説明し、フクロウ城に帰りたいと思いました。

おばけをたすけたのは、人間の子どもたちでした。小さいおばけが、まっ白な夜おばけにもどる方法をミミズクのシューフーから聞き出し、小さいおばけをフクロウ城に帰しました。

小さいおばけが、むかし町をすくっていたことは、町長さんはじめ、町のみんなにもわかったことでしょう。おばけが書いた手紙は、子どもたちの手で町長さんにとどけられたのですから。 05.9.20

ページ頭にもどる  読書ノート*外国児童文学にもどる