岡田淳「こそあどの森の物語」

岡田淳さんの「こそあどの森の物語」シリーズは、あたたかくて、ちょっぴり切なくて、人と人とのかかわりを考えさせるファンタジーです。「こそあどの森の物語」シリーズの感想や、紹介文を書いています。岡田淳さんの他の作品については、別ページに書いています。

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ふしぎな木の実の料理法

絵:岡田淳 1994年 理論社 中学年から

主人公のスキッパーは、む口な子です。ウニマル(スキッパーの家)の中で、きのこの本を読んだり、化石を見たりして、ゆっくりすごすのが好きです。七日間、外に出ていませんし、だれとも話をしていません。

はくぶつ学のバーバさんは、スキッパーといっしょにくらしていましたが、三ヶ月前から、南の島のナンデモ島に出かけています。

そのバーバさんから、スキッパーあてに荷物がとどきました。ゆうびん配達のドーモさんがとどけてくれたのです。

荷物の中には、ポアポアの実と、バーバさんからの手紙が入っていました。ポアポアの実は、スキッパーも、ドーモさんも、おとなりのポットさんも、見たことがないものでした。手紙には、ポアポアの料理法が書いてあるのですが、インクがにじんで読めません。「つくりかたは、……さんにたずねるとわかるでしょう」という文だけが読めました。

ふしぎな木の実を受け取った時から、スキッパーの生活は、かわっていきます。

スキッパーは、木の実の料理法を教えてもらうために、こそあどの森に住む人々をたずねてまわりました。

人と会って話をするのが苦手なスキッパーです。しかし、バーバさんが、木の実の料理法を森の人から教えてもらうように、と書いてよこしたので、何もしないでいるのは落ち着かないのです。

おしゃべりなトマトさんと、親切なポットさんのふうふ。作家のトワイエさん。大工のギーコさん、ギーコさんのお姉さんのスミレさん。ふたごの女の子……

スキッパーは、毎日、こそあどの森の人をたずねますが、だれも料理法を知りません。みんな、スキッパーに協力して、いろいろためしてくれます。しかし、実は、とてもかたくて、やいても、水につけても、わろうとしてもだめでした。

森のみんなをたずねてまわる間に、スキッパーは、少しずつ話ができるようになりました。ひとりでいることが好きな子だったのに、人と会う楽しみがわかってきました。表じょうもゆたかになってきました。

スキッパーのことを、うちとけない子だから苦手だと思っていた人は、スキッパーと親しくなっていきます。

本のさいごに、みんなでテーブルをかこんでお茶をのむ場面があります。森のみんなはしあわせそうです。  04.11.7

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まよなかの魔女の秘密

絵:岡田淳 1995年 理論社 中学年から

「まよなかの魔女(まじょ)の秘密(ひみつ)」は、「このあどの森の物語」シリーズ2作目です。む口な男の子スキッパーが主人公です。

この物語は、スキッパーが森でジバシリフクロウをつかまえたこと、ポットさんが行方不明(ゆくえふめい)になったことから始まります。ポットさんはどこにいるのか、まよなかの魔女とはだれのことなのか、なぞときをしながら読んでいくことになります。

ジバシリフクロウは、人なつこくて、動きがユーモラスで、かしこいフクロウでした。スキッパーは、ジバシリフクロウをウニマルの家でかおうとします。

1作目「ふしぎな木の実の料理法」のスキッパーは、きのこの本を読んだり、化石を見たりすることが好きでした。以前のスキッパーは、ひとりで遊んでいたのです。それが、2作目では、ジバシリフクロウをかおうとする気持ち――生きものとふれ合おうとする気持ちが出てきたのです。

スキッパーがジバシリフクロウをつかまえたころ、森のみんなは、ポットさんの家にあつまっていました。ポットさんが行方不明になったので、話し合っていたのです。そのけっか、みんなで手分けしてポットさんをさがすことになりました。もちろん、スキッパーもです。

ひょんなことから、スキッパーとふたごの女の子は、いっしょに行動することになりました。3人でポットさんをさがします。スキッパーは、女の子たちとしぜんに話をしています。時どき、女の子たちのおしゃべりに、心の中でつっこみを入れています。

3人は、ポットさんをさがしあてました。そして、ポットさんが魔法をかけられたこと、ポットさんに魔法をかけた魔女の正体をつきとめます。

1作目のはじめのうちは、人とのつきあいが、あまりなかったスキッパーです。ほんとうにむ口な子でした。森に住んでいる人たちから話しかけられても、なかなかことばが出てきませんでした。みんなといっしょにいるより、ひとりでいる方が好きな子でした。

それが、2作目「まよなかの魔女の秘密」になると、ポットさんや、おちゃめなふたごの女の子と、たくさん話をしています。ふたごとは、友だちと言っていいくらい親しくなっています。なにより、ポットさんのためにがんばりました。

スキッパーは、ポットさんをすくうために、たいへんな努力をし、勇気を出して行動しました。スキッパーが、たのもしい男の子にかわっていきます。  05.1.4

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森のなかの海賊船

ネタばれありです。かくしていませんので、ご注意ください。

絵:岡田淳 1995年 理論社 中学年から

「こそあどの森の物語」シリーズ3作目です。

スキッパーとふたごは、湖の近くで、ナルホドとマサカに会います。ナルホドとマサカは、どうやら海賊(かいぞく)フラフラの宝をさがしているらしいのです。

100年前、もと魔術師(まじゅつし)だったフラフラは、国を追い出され海賊になりました。最初のうちは、海で、通りかかった船の人たちに魔術を見せ、金持ちから代金を取るだけの海賊でした。それが、悪大臣プルトーネを殺してからは、ざんこくな海賊になったというのです。その後、フラフラは、森のなかに海賊船をつくらせ、たくさんの宝をかくしたそうなのです。

この本「森のなかの海賊船」は、フラフラが残した宝さがしの物語です。

スキッパーは、作家のトワイエさんの家で、海賊フラフラと友だちだった脚本家(きゃくほんか)ライターが残した文を読みます。そこには、伝えられているフラフラの伝説とはちがうことが書かれていました。フラフラがプルトーネを殺したのではない、というのです。

プルトーネは、フラフラと沿岸警備隊(えんがんけいびたい)の船の上で会ったとき、自殺したそうなのです。その事件のあと、フラフラは、なかまと分かれ、つまのフルフルと友だちのライターの3人で森に住んだ、ということです。つまり、フラフラは、ざんこくな海賊にはなっていないのです。

ライターは、その後のフラフラの人生も書いていました。

フラフラは、フルフルを愛していました。しかし、森でくらすようになってから、わずか二年後に、フルフルはなくなりました。フラフラとライターは、楽しかったむかしをしのぶかのように、森のなかに海賊船をつくりました。

フラフラは、だんだんとおかしくなっていきました。よばれても返事をしなかったり、おかしなことを言ったりするようになっていました。フルフルをなくした悲しみがあまりに強かったのかもしれません。

フラフラが残したらしい海賊船は、こそあどの森のなかにありました。

ナルホドとマサカは、じいさんのじいさんから、フラフラにまつわる話を聞いていました。その話は、だれもしんじてくれませんが、ふたりはしんじていました。「森のなかに船がある。男6人、女4人で乗り、『船出だ!』とさけぶと船がつれていってくれる」という話でした。ふたりは、それを証明したいと思っていました。

マサカの話のとおりに、スキッパーたちは、男6人、女4人で海賊船を見に行くことになりました。

みんなで海賊船に乗りこみ、「船出だ!」とさけんだ時、ふしぎなことが起こりました。みんなは、フラフラのなかまになりきっていたのです。スキッパーは、フラフラになり、フラフラの心を感じていました。フルフルをうしなった悲しみ、フラフラの一番の宝物が何なのか、スキッパーにはよくわかりました。

100年もの時間をこえて、フラフラの魔術が海賊船にのこっていたのかもしれません。それほど、フラフラのフルフルによせる思いは強かったのでしょう。  05.1.5

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ユメミザクラの木の下で

絵:岡田淳 1998年 理論社 中学年から

「こそあどの森の物語」シリーズ4作目です。

スキッパーは、いっしょにくらしているけど、しょっちゅう旅に出ているバーバさんから手紙をもらいます。そこには、「かくれんぼをしている子どものようにわくわくする」と書かれていました。

スキッパーは、かくれんぼという遊びは知っています。けれども、かくれんぼをしたことがありません。

「こそあどの森の物語」1作目から、スキッパーはむ口で、ひとりでいることが好きな、しずかな男の子でした。

「ユメミザクラの木の下で」を読むと、スキッパーは、ほんとうは、友だちと遊ぶことも好きな子ではないか、と思えてきました。遊びたいけど、近くに同じ年ごろの友だちがいなくて、遊べなかったのかもしれません。だから、ふたごの女の子とうちとけてからというもの、すっかり親しくなっています。

スキッパーは、ウサギ広場で、「自分のことをウサギとよんでいい」と言う女の子と会います。女の子から、花のかんむりの作り方を教えてもらいます。

ウサギはきゅうにいなくなりますが、こんどは、三人の子どもたちといっしょにあらわれます。スキッパーと子どもたちは、つるにつかまってとんで、川をわたって遊びます。しばらく遊んでいると、また、子どもたちはすがたをけします。

子どもたちがあらわれたり、きえたりするので、スキッパーはゆめをみているのか、と思います。

ウサギといっしょにいた、めがねをかけた子、ふたごの女の子、川わたりをした3人。スキッパーは大ぜいの子どもたちと、かくれんぼをして遊びます。そして、かくれんぼのわくわくする気持ちを味わいます。こんなにたっぷり、スキッパーが遊ぶのは、4さつの「こそあどの森の物語」では初めてのことです。だれかとかくれんぼがしたくてもできなかったスキッパーの孤独(こどく)を思うと、少し悲しくなります。

かくれんぼのさいご、スキッパーはおにになります。だれも見つけることができなくて、「まいったァ」といっても、あたりは、しいんとしています。スキッパーは「ウサギー」とよびながら、ないています。楽しい遊びのあとのさびしさがこみあげてきます。いっしょに遊んだ子どもたちは、かんぜんに、いなくなってしまったのです。

スキッパーが遊んだ子どもたちがだれだったのか、どうして出会えたのか、そのひみつは「ユメミザクラ」にありました。

スミレさんには、すべてがわかっていました。スキッパーに「あの子たちは、消えてしまった。もうお帰り」と言います。つっけんどんなところがあるスミレさんでしたが、「ユメミザクラの木の下で」を読むと、スミレさんのやさしさが伝わってきました。

スキッパーのかくれんぼ遊びは、ゆめのなかのことのようでもあり、ほんとうのことのようでもあります。スキッパーが、「かくれんぼがしたい」と思ったから、「ユメミザクラ」が、その思いをかなえたのかもしれません。  05.1.5

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ミュージカルスパイス

絵:岡田淳 1999年 理論社 中学年から

「こうあどの森の物語」シリーズ5作目です。

バーバさんは、手紙で、スキッパーにミュージカルスパイスのことを知らせます。コーヒーによくにたにおいで、体にいいスパイスだそうです。ふしぎなことに、このスパイスをいれたものを食べたり飲んだりすると、ミュージカルをはじめてしまうというのです。

このスパイスのもとになったカタカズラの実は、こそあどの森にもありました。

ふたごの女の子が、ミュージカルスパイスをギーコさんとスミレさんに飲ませたから、たいへんです。ふだんむ口なギーコさん、ちょっぴり皮肉屋(ひにくや)のスミレさんが、ミュージカルをはじめてしまいました。ふたりは、思っていることを歌にして、おどりながら話します。

ゆうびん配達人のドーモさん、スキッパー、ポットさん、トマトさんもこのスパイス入りのコーヒーを飲みます。

みんなは、ふだん思っていること、思っているけど言えなかったことを歌にします。

自分の思いは、話して伝えないと、相手にごかいされてしまうことがあります。ポットさんとトマトさんがそうでした。スキッパーはむ口な子ですが、心にはたくさんの思いや考えがあります。しかし、スキッパーは話すことがとくいではないので、ドーモさんたちは「とっつきにくいな」と思ってしまいます。姉弟で、ふだんいっしょにいて、相手のことをよくわかっているはずギーコさん、スミレさんにも、相手に話さずにいたことがありました。

人に伝えたいことを話すとき、ことばをえらばなかったために、相手をきずつけることもあります。どんなことばで、どんな表情、みぶりで話すかということも、とてもだいじなのです。ミュージカルスパイスのすてきなところは、歌とおどりで思いをつたえられるので、きいて見ている方も楽しい、ということでしょうか。

「ミュージカルスパイス」の本には、もうひとつ「鳥男とホタルギツネ」の話もあります。みんなが、ミュージカルスパイスのコーヒーを飲んでいた間、るすにしていたトワイエさんとホダルギツネの話です。

トワイエさんは、作家で、鳥男の話を考えています。鳥男は、空を飛べるから、みんなからわかってもらえません。みんなとはちがう人間だからです。ホタルギツネもそうでした。しっぽが光り、人間のことばを話せるきつねは、ほかのきつねとはちがっています。ほかのみんなとはちがうから、わかってもらえない悲しさを知っています。けれども、鳥男は飛ぶことをやめないし、ホタルギツネもことばを捨てないでしょう。それが、自分らしさであるからです。

鳥男は、鳥男のことをわかってくれるだれかと出会える、とトワイエさんはしんじています。ホタルギツネを力づけることばです。  05.1.8

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はじまりの樹の神話

あらすじを追って書いています。ネタばれをかくしていませんので、ご注意ください。

絵:岡田淳 2001年 理論社 中学年から

「こそあどの森の物語」6作目です。

「ミュージカルスパイス」に出てきたホタルギツネが登場します。ひとりでウニマルにいるスキッパーに、「あの子を助けてやってほしいんだ」とたのみます。

こそあどの森の広場に、巨大な木がとつぜん現れました。その樹に、女の子がしばりつけられていたのです。スキッパーとホタルギツネは、女の子をウニマルにつれて帰りました。

女の子と木は、大むかしからやってきたこと、女の子はリュウのいけにえにされそうになっていたことが、ホタルギツネの説明でわかりました。

ホタルギツネは、自分とわかり合える友だちをさがすために、全身でよびかけたといいます。そのよびかけにこたえてくれたのが木でした。

いけにえにされそうになった女の子も、木に「助けて」とよびかけました。だから、木がホタルギツネにたのんで、女の子を運んでくれたというのです。

女の子はハシバミという名前でした。ハシバミは、クラッカーも、百科事典も、お金のことも知りませんでした。それらのことを説明しようとしたスキッパーは、とまどってしまいます。それらは、スキッパー自身が作ったり、採(と)ったりした物ではありませんでした。だれが、どうやって作ったのか、全部説明することはむずかしかったのです。

ハシバミは、「ヒトのいのちと、モノのいのちが、つながっておちつく」という意味の「サユル、タマサウ、ココロ」ということばをスキッパーに教えました。ハシバミは、自然の中で、命と、ものに感謝(かんしゃ)して生きてきたのです。

スキッパーは、ハシバミを「こそあどの森」の人びとにしょうかいしました。ハシバミが大むかしからやって来たことをしんじる人も、しんじない人もいました。ハシバミが、ポットさんの家にとまることになって、スキッパーは少しさびしくなりました。スキッパーは、ハシバミを見つけたのは自分だし、ハシバミと友だちになりたいと思っていたのかもしれません。

しかし、ハシバミは、毎日、スキッパーのうちをたずねました。スキッパーは、ハシバミに字を教えました。また、スキッパーは、ホタルギツネとなかよくなりました。ホタルギツネといっしょにいるスキッパーは、楽しそうですし、心がみちたりているようです。

ハシバミは、「こそあどの森」のみんなとなかよくなります。みんなから、いろいろなことを習いました。世話好きのトマトさんやポットさん、人なつこくておしゃまなふたご、作家で、学校の先生のようなトワイエさんだけでなく、ふだん皮肉(ひにく)めいたことを言っているスミレさんも、ぶあいそうなギーコさんも、とてもやさしいのです。

トワイエさんは、「ハシバミ神話」がのった本を見つけていました。この神話に出てくるハシバミは、「こそあどの森」にやって来たハシバミかもしれないと、スキッパーに話しました。神話のハシバミは、金属(きんぞく)の剣(けん)で、リュウとたたかって、リュウをたおしたのです。

「こそあどの森」の人たちと、平和にくらすハシバミでしたが、自分が住んでいた村のことが気になりはじめます。自分の代わりに、いけにえにされる子どもが出るのではないか、と思ったのです。ハシバミは、自分がいた大むかしにもどり、リュウとたたかうことを決意します。

それからのハシバミは、むかしの自分をとりもどし、リュウとたたかう準備を始めました。リュウを殺す作戦をみんなで考え、ギーコさんから剣をつくってもらいます。ハシバミも、みんなも、いっしょうけんめいなのですが、私には、「リュウとたたかって、殺していいのかな」と思えました。

たしかに、いけにえになって、リュウから食べられるのを待つだけより、ていこうした方がいいのかもしれません。何もしないで死ぬより、生きのびる方法をさがすことは、とてもだいじなことだと思います。しかし、リュウを殺そうとすることは、ハシバミがいつも言っていた「サユル、タマサウ、ココロ」とは、ちがう考え方なのです。

スキッパーも、そんなことを感じていたのだと思います。だから、戦うことを知らないハシバミの時代に、リュウだけでなく人を殺す道具でもある金属の剣を持ち帰らせることに、なっとくできなかったのでしょう。

いよいよ、大むかしから、木を呼び出し、ハシバミたちがリュウとたたかう日がやってきました。

ハシバミと、「こそあどの森」のおとなたちは、リュウをたおす作戦を実行にうつしていきます。同じ時、神話の本を読んでいたスキッパーは、リュウの正体を知ります。

リュウは、ハシバミの兄カラスだったのです。カラスが、リュウにすがたを変えたのでした。やはり、リュウを殺してはならなかったのです。

カラスは、病気の母を救うために、おきてをやぶって、木に登り、実を食べました。自分の気持ちに負けたので、リュウになってしまったのです。リュウというすがたは、カラスの弱さ、後ろめたさの表れでした。

ハシバミとホタルギツネの必死の説とくで、カラスは人間にもどりました。

ハシバミも、木も、カラスも、大むかしに帰りました。ギーコさんが作った「リュウをたおす剣」も大むかしに行ってしまいました。

スキッパーは、剣のことをずっと心配していました。旅から帰ったバーバさんは、そんなスキッパーに、「いままで伝わっているような剣は、ほとんどが儀式(ぎしき)のためのものだね。たとえば、正しいことをするというこころざしをあらわすための剣とか、わがままな気持ちに負けないためのしるしの剣、というふうにね」(p304より引用)と言います。

ギーコさんが作り、ハシバミが大むかしに持ち帰った剣は、一度も人をきずつけていないことを、スキッパーは知りました。ハシバミは、剣をふるって命あるものを傷つけることなく、みんなをみちびくリーダーとなったのです。 05.3.21

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だれかののぞむもの

あらすじを追って書いています。ネタばれをかくしていませんので、ご注意ください。

絵:岡田淳 2005年 理論社 中学年から

「こそあどの森の物語」7巻です。

この本の最初の3章は、それぞれが1つの短い物語として楽しめます。これまでの「こそあどの森の物語」は、長い物語が1さつの本にまとめられていました。(5巻だけは、1さつに2つの物語がのっていました。)「だれかののぞむもの」のはじめの方を読んでいると、今度は短編(たんぺん)集なのかなと思いました。しかし、4章からあとを読むと、短い3つの物語は、ひとつの長い物語の一部だったことがわかります。

3つの物語の1つ目は、スミレさんが主人公です。スミレさんは、「旅の勇者の物語」という詩の本が好きです。なかでもモリナカノタビトの物語と、タビトというキャラクターが気に入っています。ちょっときびしい感じがするスミレさんですが、詩人の心と、タビトにあこがれる気持ちを持っていました。「タビトさまの旅はかならずむくわれます」と、タビトに語りかけるスミレさんが、かわいらしく感じられました。スミレさんの意外な一面でした。

2つ目は、きまじめな職人(しょくにん)ギーコさんが主人公です。ギーコさんは、すてきな人形をつくり、キキィと名づけました。キキィには、心があるようです。ギーコさんは、キキィと話すことができます。キキィが人手にわたるとき、ギーコさんは、「さよならくらいはいいあってもよかったな」(p44)と、残念に思っていました。そんなギーコさんのところへ、キキィがあいさつにくる話です。

3つ目は、トマトさんとポットさんの話です。ふたりは、なかよしなのに、けんかをしてしまい、森の中をべつべつに歩いています。ポットさんはトマトさんのことを、トマトさんはポットさんのことを考えています。ポットさんは、「昔のトマトさんなら、ぼくのいやがることはいわなかったろうな」(p62)と思います。トマトさんは、「ポットさんのほうがさきにあやまってくれればいいなあ」(p71)と思いました。

ふしぎなことに、ポットさんは昔のトマトさんに、トマトさんは、あやまってくれるポットさんに出会うのです。

3つとも、ふしぎだけど、あたたかな物語です。このふしぎのなぞは、バーバさんが森のみんなにあてた手紙によってとけました。手紙には、人の心を読み、その人が願っているものにすがたを変えることができるフーという生きものについて書かれていました。

フーは、おさないころから、おばあさんにかわれていました。おばあさんの心を読み、おばあさんが会いたがっていた人に変身していました。おばあさんのむすめさんや、むすこさんになり、おばあさんをなぐさめたのです。おばあさんは、「フーにおもどり。おまえがなりたい形におなり」と言って、もとのすがたにかえらせました。

変身することになれていたフーは、「だれかののぞむもの」にすがたを変えることをよろこびとしていました。フーは、おばあさんがなくなったあとも、出会った人の心を読み、次々に変身していったのです。

バーバさんの手紙は、フーが、こそあどの森に来ていることを知らせていました。

手紙がとどいた次の日、森のみんなはポットさんのうちに集まることになっていました。

スキッパーは、ポットさんのうちにでかけているとちゅう、ホタルギツネと会います。ホタルギツネは、スキッパーの一番なかよしです。よろこんでいたスキッパーですが、ホタルギツネは、フーが変身したすがたであることに気づきます。

会いたくてたまらなかった人が、本物ではなかった悲しみ――スキッパーの思いをわかってくれたのは、スミレさんでした。スミレさんも、スキッパーと同じ気持ちだったのです。スミレさんも、森で出会ったタビトの正体はフーだと、わかっていました。

フーは、変身したものになりきっていましたから、自分が変身したことさえおぼえていませんでした。変身する前のすがたも、自分がフーだったことも、みんなわすれていました。わすれただけでなく、みとめようとしませんでした。森のみんなは、根気強く、ていねいに、フーに本当のことを教えていきます。

変身したものに、気持ちまでもなりきってしまうフー、昔のことを思い出すために、次々に変身をくり返すフーが、いたいたしくてかわいそうです。だれかののぞむ通りのものになることは、自分のほんとうのすがたを捨て、自分で考えることをやめることでもありました。

フーは、ほんとうの自分を見うしなってしまったのです。スキッパーとスミレさんは、フーに、「フーにおもどり。おまえがなりたい形におなり」と言います。

自分を取りもどしかけたフーは、「ひとの心なんて、読めなければよかった」「変身なんてできなければよかったんだ」(p169)と、悲しみます。森のみんなは、「ひとの心を読めて、変身ができるからフーなのだ」と、ありのままのフーを受け入れています。

物語の最後の場面になっても、フーのほんとうのすがたは、読者にはわからないままでした。けれども、フーは、きっとほんとうの自分をとりもどしたのだろう、と思えるラストです。スキッパーが、ホタルギツネになったフーに、「ありがとう、フー」とよびかけます。フーは、自分が、だれかを喜ばせたいとのぞんだから変身し、自分の意志でもとにもどることができたのです。  05.3.29

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(蛇足)巻数が進むごとに、スキッパーが成長していきます。内気で無口なスキッパーが、人と進んでかかわるようになります。もうひとり、成長している(というより、意外な面が次々に明らかになっている)人は、スミレさんです。はじめのころは、ちょっとこわい、いやみな人だな〜という感じのスミレさんでした。しかし、ほんとうはやさしくて、気持ちをよくわかってくれる人だな、と思えてきました。


ぬまばあさんのうた

あらすじです。ネタばれあり。

絵:岡田淳 2006年 理論社 中学年から

スキッパーはバーバさんから、石読みをする子どもについて書かれた手紙をもらいました。ある子どもは、石を持っていると、石の記憶が読み取れるのだそうです。スキッパーは、自分も石読みができないか、ためしています。石に心をかたむけていますが、なかなかうまくいきません。

ポットさんは、おじいさんが教えてくれた「この世で大切なことは、よォく聞くこと」という話と、秋のマスつりを思い出していました。

真っ赤な夕焼けの日のことでした。

スキッパーは、ふたごからたんけんにさそわれます。湖の西の岸に光るものがあったというのです。ふたごは、「夕陽のかけら」という名の鏡だといいました。ふたごは、「ぬまばあさん」の歌をうたい、ぬまばあさんに会った話をします。

ぬまばあさんは、子どもをつかまえ、大きななべでにてしまう、歩くのも走るのもおそいという伝説のおばあさんでした。

湖の西の岸で、スキッパーたちは、「夕陽のしずく」という名の深紅水晶を見つけ、ぬまばあさんと本当に出会いました。

スキッパーは、深紅水晶の記憶を読みとり、ぬまばあさんの正体と、悲しい物語を知りました。ぬまばあさんは、子どもをなべにかけるおそろしい人ではありませんでした。大昔のやくそくをはたすために、子どもがぬまばあさんの家にやって来るのを待ちわびていたのです。

スキッパーが何度もためした石読みの力、ポットさんのおじいさんが話した「よォく聞くこと」、トワイエさんの自然の美しさに見とれてしまうくせは似ています。ものを言わない自然のものに耳をかたむけ、命を感じ取ることなのでしょう。  07.1.8

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あかりの木の魔法

あらすじです。ネタばれあり。

絵:岡田淳 理論社 2007年 中学年から

こそあどの森に、かいじゅう学者がやって来ました。湖の近くにテントをはって、湖にかいじゅうが出るかどうか観察をしていました。学者はイツカという名で、ドコカというカワウソといっしょでした。イツカは、ドコカを使って腹話術をすることもできました。

森のみんなは、イツカにきょうみを持ったり、あやしんだりしました。ですので、みんなでイツカに会いに行ったのです。

イツカは、自分の生い立ちを話しました。イツカは、子どものころに、両親と別れ、記憶を失ったのだといいます。宿屋の主人とおかみさんに養われましたが、宿にとまった腹話術師に引き取られることになりました。そのころに、カワウソを使って腹話術をするようになったのです。イツカの昔の話は、さびしくて、悲しいものでした。そのなかで、一番温かな記憶は、燃える明かりの木のことでした。両親が「これは、やさしく、正直に生きようとする人の明かりの木だ」と言って、美しい明かりの木を見せてくれたのです。しかし、この記憶は、ほんとうにあったことなのか、イツカが自分で想像しただけなのか、わからなくなっていました。

イツカは、親に捨てられたのかもしれないという思いを、ずっと持っていました。そのためか、心がゆがんでいました。イツカの生い立ちは本当のことでしたが、今のイツカはかいじゅう学者ではなく、さぎ師で、どろぼうだったのです。イツカは、スキッパーの家にあがりこんで、スキッパーの深紅水晶をぬすもうとたくらんでいました。そして、イツカは、まんまと成功します。

イツカが深紅水晶をぬすみ、テントをたたんで逃げようとしたその日、ポットさんに「夜、岸辺で、見せたいものがある」と言って、さそわれます。スキッパーたち森のみんなも見るようにと、バーバさんが手紙で知らせたのです。

その夜、みんなは岸辺に集まりました。そして、みんなが見たのは、イツカが子どものころに見た明かりの木と同じものでした。イツカは、明かりの木の記憶が本当のことだったことを知ります。そして、両親の思いも。

スキッパーは、バーバさんの思いを受け取り、ずっとつながっていく命に思いをはせます。 08.1.7

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霧の森となぞの声 

絵:岡田淳 理論社 2009 中学年から

スキッパーは、森のなかでかすかな歌を聴きます。どこか遠くで女の人が歌っているのです。

スキッパーは、歌をきいていたくて、歌がよく聞こえるところをさがし、森のおく深く入りこんでいきます。

一方、こそあどの森の住人たちも、歌にひかれて行方不明になったスキッパーやふたごをさがして、または、歌にひきこまれて、歌のぬしのところに行きつこうとします。

歌のふしぎにいやされ、よいしれるスキッパーたちと、ふしぎを科学的に解明しようとする冷静なトワイエさんの対比がおもしろいです。歌を体験することも必要なのでしょうが、歌によって現実を見失ってもいけないのでしょう。

歌は、森のおくにかくされていましたが、スキッパー自身にかくされていたのかもしれません。2010.7.19

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