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【法的に考える外国人参政権問題】



外国人参政権問題を法的に深く考えてみます。



1.そもそも外国人に人権は保障されるているのか?

 日本国憲法で人権を定める第3章はその表題に「国民の権利及び義務」と掲げているため,外国人に人権が保障されているのかが一応問題になりますが,この点については「憲法第3章の諸規定による基本的人権の保障は,権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き,わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ」とする最高裁大法廷昭和53年10月4日判決があり,一般的に支持されていますので,限定的にではありますが肯定すべきでしょう。

 なお,ここに「等しく及ぶ」の趣旨は,外国籍を有することを理由とする合理的区別を設けるべき要請が生ずることが考えられるので正確には「類推される」と考えるのが正しいと考えられます(最高裁大法廷昭和39年11月18日判決参照)。

2.では外国人に参政権は与えられているといえるか?

 では,外国人に我が国の参政権が憲法上保障されていると考えるべきでしょうか。
この点については,一口に参政権といっても,国政(衆議院議員,参議院議員の選挙に対する参政権)と地方(知事,市区町村の各長,及び市区町村の各議員の選挙に対する参政権)の二つがあるので,分けて考えるべきです。

(1) 国政段階
 そこでまず国政について考えると,国政選挙の参政権を外国人に与えることは,他国民に我が国の政治の全部又は一部を委ねる結果となるところ,このことは我が国の採用する国民主権原理(前文1項,1条)からして認められるべきではないので,国政に関する参政権は「権利の性質上日本国民のみをその対象としている」権利として,選挙権・被選挙権の双方ともに否定すべきです。
 また憲法が15条1項において「公務員を選定し,及びこれを罷免することは,国民固有の権利である」としていることからしても,そのように考えるのが正しいといえます。
判例も外国人に参議院議員の被選挙権が認められないことは違憲であるとして提起された訴えに対し,保障されていなくても違憲ではないと判断を下しています(最高裁第一小法廷平成5年2月26日判決)。
なお,憲法上保障されていないからといっても,法律上付与することは認められると考えることはできません。国民主権原理に反するからです。

(2) 地方段階
 では,次に地方の参政権はどうでしょうか。ここでは主に憲法93条2項「地方公共団体の長,その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は,その地方公共団体の住民が直接これを選挙する」という規定の「住民」の解釈が問題になります。この点については最高裁平成7年2月28日が次のように述べています。

「主権が「日本国民」に存するものとする憲法前文及び1条の規定に照らせば,憲法の国民主権の原理における国民とは,日本国民すなわち我が国の国籍を有する者を意味することは明らかである。・・・

国民主権の原理及びこれに基づく憲法15条1項の規定の趣旨に鑑み,地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素をなすものであることをも併せ考えると,憲法93条2項にいう「住民」とは,地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解するのが相当であり,右規定は,我が国に在留する外国人に対して,地方公共団体の長,その議会の議員等の選挙の権利を保障したものということはできない。・・・

このように、憲法93条2項は,我が国に在留する外国人に対して地方公共団体における選挙の権利を保障したものとはいえないが,憲法第8章の地方自治に関する規定は,民主主義社会における地方自治の重要性に鑑み,住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は,その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理するという政治形態を憲法上の制度として保障しようとする趣旨に出たものと解されるから,我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて,その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく,法律をもって,地方公共団体の長,その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは,憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である。しかしながら,右のような措置を講ずるか否かは,専ら国の立法政策にかかわる事柄であって,このような措置を講じないからといって違憲の問題を生ずるものではない。」


 この判例は要するに次のような思考をしています。

すなわち,憲法93条2項の「住民」は,我が国が国民主権原理を採用していること,及び地方公共団体が我が国の統治機構の不可欠の要素をなすものであることから考えると,地方公共団体の区域内に住所を有する日本国民を意味するものと解すべきである

したがって,憲法は外国人に対し地方公共団体の長,その議会の議員等に対する選挙権を保障していない

しかし,地方自治の規定は,住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務は,その地方の住民の意思に基づきその区域の地方公共団体が処理すべきであるという政治形態(地方自治におけるこのような要請を住民自治といいます)を憲法上の制度として保障しようとするものである

したがって,法律をもって,地方公共団体の長,その議会の議員等に対する選挙権(ここには被選挙権を含んでいないことに注意を要します。)を付与する措置を講ずることは,憲法上禁止されているものではないと解すべきである

憲法学説上も,この判例をきっかけにして法律で地方選挙権を与えても違憲の問題は生じない,とする立場が通説化し,多くの学者の支持を受けています。今回問題になっている法案もその理論的根拠はこの判例の解釈によっているものと考えられます。


3.平成7年最高裁判決の検討

 そこで,地方参政権を付与する今回の法案を批判するには,まずそのよってたつ平成7年の判決の理論の妥当性を検討することからはじめるのが適当でしょう。この判決に何か問題点はないのでしょうか。

そこで検討すると,先の最高裁判決には論理的な矛盾があるように思えます。 先述したように,判例は我が国が国民主権原理を採用し,地方公共団体が我が国の不可欠の構成要素であることを認めています。 そうであるならば,地方公共団体にも国民主権原理が通用することになり,したがって,外国人に選挙権を付与することは許されない,と解するのが自然ではないでしょうか。

にもかかわらず,この判決は一方で地方公共団体にも国民主権原理が及んでいると解釈しながら,他方で住民自治で国民主権原理をいわば修正し,したがって法律をもって選挙権を付与することは憲法上禁止されていない,と帰結しています。

 しかし,国民主権原理は近代民主主義国家の当然の前提であり,かつ我が国の憲法の基本原理です。のみならず,国民主権原理は憲法改正によっても変改が認められないものであるとされています(憲法改正限界説による)。それだけ重要なものであるということです。

 その原理を下位の原理である住民自治の原理(地方自治は,国民主権原理によって制定された憲法によって認められている制度ですから,地方自治における住民自治の原理が国民主権原理よりも優位の原理であると考えることはできません。)によって修正することを認める本件判決には矛盾があり,妥当でないというべきでしょう。


4.外国人参政権付与賛成論からの反対論に対する主張とこれに対する反論

 さて,外国人参政権付与反対論に対しては,賛成論からいろいろな主張がなされています。一般的にいって,他の立場が不当だから自分の立場は正当である,という論理は成り立ちません。他の立場の不当性はただ,その立場が不当であることを意味するにとどまり,決して自分の立場の正当であることの証明にはならないからです。

しかし,学問を離れ,議論するという観点からすると,他説からの反論に説得的に再反論することができれば,自説の正当性をより鮮明にすることができます。そこで,ここでは賛成論からの反対論に対する主な主張を掲げ,これに対し反論を試みることにします。

主張@歴史的経緯から永住外国人には参政権を付与すべきだ

反論@たとえ歴史的経緯がいかなるものであれ,過去の反省を参政権の付与に結びつける主張は全く論理的でありません。論理ではなく,感情であるというならばうなずけますが,感情論ではそもそも法律解釈に対する批判として不適切です。例えば,この立場は嫌いだからは不当だ,という主張が成り立たないのと同じことです。

主張A国民主権は,君主主権を否定する過程で生まれた原理であり,「自らが住んでいる国や地域の政治は自分たちで決める」という「民主主義の自己決定権」のことを指している。したがって,国民主権を参政権付与の反対論の根拠として用いるのは不適切である。この観点からするならば,外国人に対する参政権の付与はむしろ望ましいことである。

反論A沿革はどうあれ,現在国民主権が「国籍を有する者が政治の最終意思決定権を有する」という原理であるという点についてはあまり争いのあるところではありません。
ただ,争いがないからといって,従来の国民主権原理の解釈が正しいということの根拠にはなりません。
そこで検討すると,本来の意味での沿革が単に君主主権を否定する過程で生まれた原理であるということは否定できないにしても,その原理が,国家が生成され,国民概念が構築される過程で国民を前提とする国民主権概念に変化した,ということも一つの歴史的沿革を示すものといえます。

このようにある制度に二つ以上の沿革が考えられる場合において,そのいずれかの沿革が正当であるというためには,その沿革を現在に通用させるべき正当性があり,かつ,他の沿革はもはや採るべき解釈ではない,という2つの条件を満たす必要があるでしょう。

 これを先の主張についてみると,そのいずれも立証できていないことが明らかです。 たしかに,この主張はその歴史的正「統」性の立証には成功しているといえるでしょう。また,論理的にないとはいえないので,論理的に不当でないことも立証しているといえます。

しかし,これによって,その沿革を現在に通用させるべき正当性が立証されたとはいえません(本来そういう意味なのだから,そのように解釈するのが正しい,という論理は法解釈では成り立ちません。法は社会の移ろいに従って妥当な結論を導き出すために柔軟に解釈される必要があるからです)から,正当性は別個に主張しなければならないところ,先の主張にはこの正当性の観点からの主張が全くありません。

 ひるがえって,国民国家が群立し,それらが政治的・経済的影響力の拡大にしのぎを削り,未だ「世界市民」「地球市民」等国境や国家を取り払い世界的規模でなにごとかを考えようという準備のできていない世界情勢のもとでは,国籍を前提にして国民ひいては国民主権を考える,現在一般的に(おそらく世界的に)通用している国民主権原理は現在も通用させるべき正当性を具備しているといえますし,同様の根拠からこの沿革の解釈を採るべきではない,との主張も説得的ではないと思います。

先の主張は将来世界人類が目指すべき一つの目標としての妥当性を具備しているといえても,現在の厳しい世界状況を前提に現実的に考えると,正当性なかでも具体的妥当性を全く欠く主張である,といわざるを得ません。
以上から国民主権の本来的沿革から考えて,外国人に参政権を認めるべきだ,との主張は妥当ではありません。
                                                       By DUKE