[三国志演義] 第一回~第十回


2002.1.1 (Tue)

[三国志演義] 第一回 桃園に宴して三豪傑義を結び、黄巾を斬って英雄始めて功を立つ

後漢末期。黄巾党が蜂起したのでみんなでそれを鎮圧する。

物語ではよく不吉な事件の前兆として、落雷や地震といった自然現象が沸き起こる。ご多分に漏れず本作にもその手のお約束が登場するのだけど、さすが中国、スケールがとんでもなくでかい。雹混じりの雷雨によって数多の家屋が倒壊したり、「大津波がおこって、沿海の住民ことごとく巨浪に巻かれ海に運び去られた」(上 p.3)り、雌鶏が「雄」になったり、もう天変地異が法螺話の域である(ま、じっさい法螺話だけど)。総じて昔の物語は、大袈裟な飾り付けが楽しい。

さて、記念すべき『演義』の第一回である。この回では、劉備・関羽・張飛が義兄弟の契りを結んで兵を挙げ、肩慣らしとばかりに賊の程遠志らをぶち殺す。しかしこの場面、描写がやけにあっさりしていて盛り上がらない。というか、全体的に本作は叙事的な淡々とした筆致で書かれている。余計な描写がないぶんテンポは非常にいいのだけど、慣れるまではそのそっけなさに違和感をおぼえてしまう。逆にいえば余計な描写がないからこそ想像力をかき立てられるわけで、吉川英治ら後世の作家が、自分なりの『三国志』を紡いでいったのも納得できる。いわゆる「二次創作」に近い感覚なのだろう。

(追記)……と思ったら、淡々としていたのは序盤だけだった。反董卓連合軍あたりから場面場面を詳細に描くようになる。

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2002.1.2 (Wed)

[三国志演義] 第二回 張翼徳怒って督郵を鞭うち、何国舅謀って宦官を誅す

諸将の働きによって黄巾の乱は一応の収束をみた。次の敵は国政を壟断する宦官ども。大将軍・何進がそいつらを皆殺しにしようとする。

勲功によって定州のとある県の役職を得た劉備。そこへ督郵(役職名)が颯爽と登場し、賄賂を渡すよう迫ってくる。当然、劉備は要求を拒絶。督郵は劉備にあらぬ罪を着せようとする。そこで張飛はぶち切れですよ。督郵の髪の毛をつかんで引きずり出し、柱に縛って枝で打ちまくる。

この場面は、張飛番長怒りの描写が凄まじくて堪能できる。以下、人づてに督郵の企みを聞いた番長の反応。

張飛は大いに怒り、まるい眼をはりさけんばかりにむき、鋼のような歯をばりばりと噛みならして馬からまろび下りるや、宿舎に突き進み、とめだてする門番をはねとばして奥に駆けこんだ。(上 p.15)

おいおい、「鋼のような歯をばりばりと噛みならして」って……。翻訳の立間祥介氏はかなりノリノリじゃないか? 映像を喚起させる大仰な表現がとてもユーモラスでつい吹きだしてしまう。「馬からまろび下りるや」とか、「宿舎に突き進み」とか、番長は相当頭にキていたのだ。

(追記)「歯をばりばりと噛みならして」については後日談あり。

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2002.1.3 (Thu)

[三国志演義] 第三回 温明殿に議して董卓丁原を叱し、金珠を贈って李粛呂布を説く

何進が計略にはまって殺される。袁紹らが宮中に乱入して宦官どもを誅殺する。呂布が董卓につく。

この回の見所は、陳留王・劉協(後の皇帝)があの肥満体(董卓)を一喝するところだろう。董卓といったら悪逆非道の代名詞であり、デブの外道であり、外見は人相の悪いのイメージがある。そんな人外のものを、年端の行かぬ少年(確か9歳)が一喝するのだから驚く。人間死ぬ気になれば何でもできるということか。この時の態度に感心した董卓が、小帝を廃して劉協を皇帝に据える。ところが、以降の劉協はこれ以上の輝きを見せず。傀儡として、死ぬまで権力者に翻弄され続けることになる。

呂布の裏切りもこの回だ。董卓から黄金・金珠・名馬(赤兎)などを贈られた呂布は、その礼をしようと養父の丁原を殺害する。

といっても、ここで言う見所とはそんな殺伐とした部分ではない。一番の見所は、董卓配下・李粛の説得工作、もっと限定すれば呂布との最初の接触シーンにある。呂布と同郷の李粛は、彼を寝返らせるためにその陣営に赴く。一旦は兵士に遮られるも、呂布の旧友であることを知らせるとあっさり通される。そして、呂布と顔を合わせて最初に言ったセリフが、

「おう弟、その後かわりないか」(上 p.27)

何と、天下の豪傑を「弟」呼ばわり! 大物気取りここに極まり!

しかもこの男、兄貴分を気取ったくせに、第九回であっさり「弟」に処罰されてしまうのだから情けない。

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2002.1.4 (Fri)

[三国志演義] 第四回 漢帝を廃して陳留位に即き、董賊を謀らんとして孟徳刀を献ず

曹操が董卓を暗殺しようとするも失敗。逃げる途中で呂伯奢一家を皆殺しにする。

この回はジェノサイドマニアにとってはたまらない回ではなかろうか。董卓一党による毒殺・絞殺・突き落としの対照として、曹操によるあの有名な「勘違い皆殺し」(陳宮ビックリ!)が挿入される。どちらの行為も「殺し」という意味では共通しているものの、動機が違うので受ける印象は正反対だ。前者が野蛮人による救いようのない悪事なのに対し、後者は大事の前の小事といった英雄らしい所業に映る。どちらかというと、建前があるぶん後者のほうが恐ろしい。人並みの倫理感をもった陳宮は、これを機に曹操と袂を分かつのだった。

話変わって、曹操逃亡の元となった暗殺未遂シーンは、概ね以下の通りである。

横になって壁のほうを向いている董卓。曹操、後ろからぶった斬ろうと七星剣を密かに抜くも、抜いたところを董卓に気づかれる。とっさの判断でその武器を献上する曹操。上手く誤魔化して窮地を脱する。

道具の属性を利用した、攻撃から防御への鮮やかな反転。反転といえば、董卓は鏡を見て抜刀に気づいたのだった。

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2002.1.5 (Sat)

[三国志演義] 第五回 矯の詔発せられて諸鎮曹公に応じ、関兵を破って三英雄呂布と戦う

袁紹を盟主とした反董卓連合軍の結成。そして、虎牢関の戦い。

場所はシ水関。「鶏をさくに何ぞ牛刀を用いんや」(上 p.42)ということで、牛刀(呂布)の代わりに鶏(連合軍)の前に立ちはだかった華雄。まずはウォーミングアップとばかりに鮑忠をぶった斬り、次は李粛(大物気取り)の計略で孫堅軍を敗走させ、追撃して最後は孫堅の将・祖茂を一刀のもとに斬り落とす。恐れおののく連合軍首脳たち。そこへ関羽登場、あっさりと華雄の首を持ち帰ってくる。

かくして関羽の武名が後漢のセレブたちに知られることになったわけだけど、それにしても華雄のかませ犬っぷりが悲しい。というのも、華雄は下の引用のようにやたら強そうに描かれていたのだ。

身の丈九尺、虎の如き体躯狼の如き腰、豹の如くひしゃげた頭に猿の如き肱(上 p.42)

昔の小説は比喩が面白い。人間の容姿はたいてい動物に喩えられる。

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2002.1.6 (Sun)

[三国志演義] 第六回 金闕を焚いて董卓兇を行ない、玉璽を匿して孫堅約に背く

董卓が都を洛陽から長安に遷す。孫堅が洛陽で伝国の玉璽(王者の印)を拾う。反董卓連合軍の解散。

董卓の鬼畜っぷりが堪能できる長安遷都の回。まずは洛陽の金持ちを皆殺しにして財産を没収、続いて宗廟・宮殿を荒らしつくし、最後は民草の住居まで焼き払う。この悪行にはさしもの始皇帝も及ばないだろう。いったい誰が考えついたのかといえば、それは董卓の腹心・李儒である。この男、『後漢書』では確か献帝の侍従長だったはずだけど、『演義』では大出世して董卓の参謀になっている。というか、一心同体になっている。たとえるなら、の容貌にヒトラーの頭脳みたいな。董卓の悪事は、全て李儒の脳髄から生まれている。

後半では、孫堅が玉璽をパクって和を乱す。玉璽を拾った孫堅はこっそりそれを持ち帰ろうとするのだけど、しかし世の中そうはうまくいかない。軍中にチクリ魔がいたため発覚してしまう。諸侯の居並ぶ席で、袁紹が孫堅のパクりを追及する。一方の孫堅、しらばっくれてこんなことを言う。

「身ども、もしかかる宝を得て手許にかくしておくことあらば、他日良き終わり得られず、刀槍のもとに死なん」(上 p.54)

盗人猛々しいとはこのことである。当然、孫堅のあからさまな嘘に袁紹は激怒。陣中は一触即発の雰囲気になる。しかし、諸侯の仲介で何とか危機を脱し、孫堅は陣を引き払う。

さて、孫堅の態度にご立腹の袁紹は、荊州の劉表に密使を送り、孫堅から玉璽を奪うよう伝える。それを受けた劉表軍は、孫堅軍の帰路に立ちふさがり、孫堅に玉璽を渡すよう通告する。孫堅、またもやしらばっくれる。なら持ち物検査するよ、と劉表。それを聞いた孫堅は、

「貴様、何をたのみにわしを馬鹿にするのか」(上 p.56)

逆ギレしやがった!

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2002.1.7 (Mon)

[三国志演義] 第七回 袁紹盤河に公孫と戦い、孫堅江を越えて劉表を撃つ

孫堅死す。

第六回を読んだ私は孫堅に対し、「痛いところを突かれて逆ギレする人」という歪んだイメージを抱いた。この第七回では、そんな彼が何と非業の死を遂げてしまう。享年三十七歳。早すぎる死だ。キャラが確立したばかりだというのに。これからそのステキぶりを発揮するところだったというのに。思えば、第六回の彼のセリフはこの死の予言だったのだな。「他日良き終わり得られず、刀槍のもとに死なん」とかいうの。玉璽の呪い。

しかし、さすが逆ギレで苦境を乗り切る豪胆な人だけあって、孫堅は死にっぷりもあっぱれだ。いや、たくさんの矢と石を浴びて死んだというのは知っていたけれど、まさか、「脳味噌をふき出して」(上 p.63)死んだとは。一瞬、ギャグかと思った。とんでもない壮絶死じゃないか。ひょっとして、「脳味噌をふき出して」みたいなグロテスクな説明が入っているのは、我らが孫堅だけじゃないか? 海賊退治で名を馳せた孫堅。逆ギレで苦境を乗り切った孫堅。脳味噌吹きだして死んだ孫堅。ともあれ、太く短い人生のお手本なのは確かだ。

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2002.1.8 (Tue)

[三国志演義] 第八回 王司徒巧みに連環の計を使い、董大師大いに鳳儀亭をさわがす

司徒の王允が、董卓と呂布の仲を裂くべく貂蝉を送り込む。

董卓の鬼畜っぷりが堪能できる連環計の回。百人の捕虜たちを宴会に引き出してのショウタイムである。まずは一人の捕虜の手足を切断し、続いて目玉をえぐり出し、最後は舌をひっこ抜く。それだけじゃない。さらに別の捕虜を大鍋でぐつぐつ煮殺している(*1)

そんななか、われらが董大師は何をやっていたかというと、恐るべきことに彼はもりもり飯を食っていたのだ。「ぐへへ、これならご飯十杯はいけるぜ」と言わんばかりに牛飲馬食している。始皇帝など目ではない。これはとんでもないスナッフ趣味だ。

董卓の横暴を見かねた司徒・王允は、女を用いた連環の計で呂布の反乱を誘う。今も昔も男同士の連帯を壊すのは女ということか。物語はいつもの野郎臭いトーンから一転して華やかに。男女の甘いロマンス。二人の間を往復する女。ここだけファムファタル。女に騙されて主君を裏切る呂布に死亡フラグが立った。

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*1: 煮殺しといえば、横山光輝の漫画『項羽と劉邦』を思い出す。

2002.1.9 (Wed)

[三国志演義] 第九回 暴兇を除いて呂布司徒を助け、長安を犯して李カク賈クに聴く

董卓死す。

董卓が人間蝋燭(江戸川乱歩の小説みたいだ)になる回。女に狂った呂布は、王允による董卓暗殺計画に加担する。勅使でもって董卓をおびき寄せ、無防備になったところを刺殺である。赤兎馬に釣られて丁原を裏切った呂布は、今度は女に釣られて董卓を裏切った。

なお、特筆すべきことに董卓の首をかききったのはあの李粛(大物気取り)である。なぜ李粛が大物気取りなのかは第三回を参照してもらうとして、この男はちと調子良すぎだ。計画の段階で、呂布に「協力するのか」と問いつめられるのだけど、それをこいつは 、「かねてからあの逆賊を除こうと思っていた」(上 p.75)と臆面もなく同調するのである。まるで漢朝の忠臣のような言い草。本当は董卓が出世させてくれないのを恨んでいただけなのに。

しかし、そんな忠臣気取りも、勝ち馬に乗った直後に下手をうって命を落とすことになる。董卓の残党と合戦して大敗した李粛は、命からがら呂布のもとに辿り着く。ところが、

「貴様、われらの鋭気を挫くとは何事だ」(上 p.79)

と一喝され、あっさりと処刑されてしまう。大物気取りの悲惨な末路。最後は「弟」呼ばわりしていた呂布の逆鱗に触れて、この世を去ったのだった。

前回から今回にかけて、李儒がなにげに凄いことをやらかしている。第八回の終わりで董卓は、慌ただしく駆け込んできた一人の男とぶつかって吹っ飛ばされる。第九回で男の正体が判明するのだけど、それが誰あろうあの李儒なのだった。あり得ねえ。一般人がみたいなのを吹っ飛ばすなんてあり得ねえ。李儒はもっぱら頭脳労働担当だったけれど、実はもの凄い武勇の持ち主だったのかもしれない。第四回で何太后を突き落としたのも彼だったし。

その李儒も、この回で董卓と運命を同じくした。

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2002.1.10 (Thu)

[三国志演義] 第十回 王室に勤めんとして馬騰義兵を挙げ、父の讐を報ぜんとして曹操師を興す

西では馬騰の息子・馬超が大活躍し、東では陶謙の配下が曹操の父を殺害する。

曹操の鬼畜っぷりに戦慄するための回。父親を殺された曹操が激怒し、陶謙の勢力下にある領民たちを虐殺していく(その数、十万)。この回の陶謙は救いようがなく、黄巾賊出身の安い人材を使ったツケが回ってきたというか、ヌけた配置をした責任をとらされたというか、とにかくかなりの無能ぶりを晒している。財宝に目が眩むような激安人間を警護に使うなんてどうかしていると思うけれど、まあこれは結果論なのだろうな。後からなら何とでも言える。

芋蔓式人材登用術もこの回だ。荀彧が程イクを推薦し、程イクが郭嘉を推薦し、郭嘉が劉曄を推薦し、劉曄が満寵と呂虔を推薦し……といった具合。今風に言えば、お友達紹介制度か。こうして曹操陣営は厚くなっていくのだった。

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