日韓刑罰比較考




 放課後の話。

醍醐ソウジ「エヴェリーナさん、端役さん、ちょっとよろしいですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「はい?」
ボルジア家の端役「ん? どうした」
醍醐ソウジ「実は、羽常とカオス君が李氏朝鮮の勉強をインターネットでしている時に、面白いページを見つけたとか言ってるんですよ」
ボルジア家の端役「『面白い』? いわゆるコリアンジョークの類か?」
醍醐ソウジ「いえ、そういうのじゃなくて、当時の資料などが沢山集まった施設のホームページなんだそうです」
エヴェリーナ・ミュンスター「当時の資料ねえ……」
ボルジア家の端役「なるほどな。暇だし、ちょっと見てみるか」


ボルジア家の端役「で、どういうページなんだ?」
神凪羽常「はい、こちらのサイトなんです」
ボルジア家の端役大韓民国の独立記念館?」
エヴェリーナ・ミュンスター「ああ、このサイトね……」
カオス・コントン「うや、御存知なんすか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「全斗煥政権時代に建設が開始された韓国の歴史展示施設で、19世紀後半から20世紀前半の資料が主に展示されているわ。ホームページの案内を読んだところでは、ソウル市内から結構離れているから、日本人観光客がここを訪問するのはかなり珍しそうだわ」
神凪羽常「どこをどう検索したらこのページに辿り着いたのか忘れてしまったんですが……」
ボルジア家の端役「どれぼと面白い資料が出てくるか分からんな。まあ、現在の韓国人が抱く反日感情を事細かに知るには丁度いいだろう」
醍醐ソウジ「そうなんですか?」
ボルジア家の端役「日本の植民地時代という、韓国人の愛国者にとってはあまり触れたくない時代を取り扱うからな、展示内容が日本人にとって面白くないものになることは十分に想像できるだろ?」
カオス・コントン「確かにそうですよねぃ……」

ボルジア家の端役「なるほどな。それじゃ、少し資料を検索してみるとして……【マウス操作中】……おっ、これはなかなか面白そうなページが出てきたぞ」
エヴェリーナ・ミュンスター「へえ〜」
神凪羽常「面白そう……って、これは日本が植民地時代に使っていたという刑罰用の道具じゃないですか」
醍醐ソウジ「これが『面白そう』ですか、うーむ……」
ボルジア家の端役「何を言ってる。こういった資料は、当時の刑事制度を知る上で欠かせない資料だぞ。日本の大学だって、こういった資料を収蔵・展示しているところがあるくらいだしな」
神凪羽常「そうなんですか……」
ボルジア家の端役「とりあえず、物は試しということで、日帝強占時代の笞刑台とやらを拝見するか」

独立記念館オフィシャルサイトでの画像(2005/01/10)

独立記念館オフィシャルサイトでの画像(2005/01/10)

笞刑台

収集方法:複製
資料番号:000376
数量:1
類型:武具類 / 形具類
材質:木材
時代:日帝強占時代
キーワード:朝鮮笞刑令 笞刑

 韓国人の抗日意識を完全に奪い取る目的で、1912年5月8日に「朝鮮笞刑令」を公布し、韓国人に対しひどい笞刑を行った。その時に使用された笞刑台である。日本は、韓国を強制的に併合し、陸海軍大将を朝鮮総督に任命して、武断統治を実施した。各級官公署の官吏たちと、学校の教師にまで制服を着させ、刀をつけさせる強圧的な武断統治を行い、韓国を支配した。

出典:独立記念館(http://www.i815.or.kr/HomepageJP/vrin/detail_info.php?admin_id=5-000376-000

作者注:独立記念館のホームページがリニューアルされたため、URLが画像と異なっています。(2006/01/15)


ボルジア家の端役黒塗りの笞刑台?」
エヴェリーナ・ミュンスター「わざわざ黒くする必要なんてあるのかしら?」
醍醐ソウジ「血が飛び散っても跡が目立たないようにする為じゃないですか?」
ボルジア家の端役「ふむ……」
神凪羽常「ところで、台の周囲というか淵に沿って何か書いてありますよ?」
ボルジア家の端役「日本語の文字か。どれどれ……」

笞刑台の拡大写真

カオス・コントン「……………………」
エヴェリーナ・ミュンスター「……………………」
ボルジア家の端役「……………………」
醍醐ソウジ「……………………」
神凪羽常「……………………」
ボルジア家の端役「……………………1つ聞きたいのだが、いいな?」
醍醐ソウジ「はい?」
ボルジア家の端役「図の左下に並んでいる文字、どこをどう読んでも、日本で言うところの二十四節季の一部としか思えないのだが?」
神凪羽常「…………確かにそうですよねえ……」
エヴェリーナ・ミュンスター「しかも、中央部には巨大なくぼみがあって、その中に突起物が立っていて、球面には線がびっしり描き込まれているように見えるんだけど?」
醍醐ソウジ「そうですね……他の見え方はできないですね……」
ボルジア家の端役「だろうな……」
醍醐ソウジ「だとすると、これって……」
ボルジア家の端役笞刑台を展示するべき個所で日時計を展示しているということになるな」
醍醐ソウジ「……………………」
神凪羽常「……これって…………」
エヴェリーナ・ミュンスターデータベースのデータを入れ間違えたか、独立記念館の研究員が漢字を読めずに日時計を笞刑台と誤解してしまったか、それとも初めから確信犯で日時計を笞刑台として公開したか、そのいずれかになるわね」
ボルジア家の端役「そうだな。どの説が正しいにしても、独立記念館にとってはいい恥晒しだろう」
カオス・コントン「……せんせー、新手のコリアンジョークですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「韓国国民の税金で日本人の笑いを取ろうとするとは、なかなかやるわね」
醍醐ソウジ「微妙に違うような気がしますけど……」
神凪羽常「このこと、独立記念館に御注進します?」
ボルジア家の端役「…………いや、しばらくはこのままにしておこう。このミスに独立記念館の人間が何時気付くか、ちょっと調べてみたいしな」
神凪羽常「うわぁ……」
醍醐ソウジ「結構アブないことしてますねぇ……」



ボルジア家の端役「ちなみに、日時計と笞刑台に関する『ミス』を最初に確認したのは、2005年1月10午前4時45分のことだ。独立記念館の職員がこのミスに気付いて修正を行った場合、このページで改めて告知するのでそのつもりでな」



醍醐ソウジ「ええと……さっきの話ですけど、独立記念館に展示してある笞刑台は実は日時計だったってことなんですよね? そしたら、笞刑を執行する時って、どういう風にやってたんです?」
ボルジア家の端役「……それをどうして俺に聞く?」
醍醐ソウジ「え? いや、他に詳しそうな人がいないもんだから……」
ボルジア家の端役「……………………ふん、なるほどな」
醍醐ソウジ「そ、その沈黙は……」
ボルジア家の端役「特に他意は無いぞ。それよりも、今の質問に対する回答だが、簡単に言ってしまうと、木か石の台の上に受刑者を横に寝かせ、その上で執行していたらしい。以前、ニューヨークタイムズ紙が掲載した、植民地時代に行われた『拷問』の写真が、どうやら笞刑の執行時の写真らしいのだ」
カオス・コントン「なるほど……」
神凪羽常「ところで、そもそも『笞刑』って何なのですか?」
ボルジア家の端役「普通はそれを聞くのが先のような気がするが、まあいい。『笞刑』というのは、簡単に言ってしまうと竹製の笞で尻を叩く刑罰だ。李氏朝鮮時代に行われていた刑罰で、大日本帝国が朝鮮を植民地にした後も実施されていた時期がある」
醍醐ソウジ「ふむふむ……」
神凪羽常「痛そうですね……」
エヴェリーナ・ミュンスター「大日本帝国の統治下では、笞刑の執行に関する法律として、朝鮮笞刑令朝鮮笞刑令施行規則が制定されていたわ。条文本体はリンク先で確認してもらうとして、笞刑の実施要綱を簡単に説明すると、以下のようになるわ」

植民地時代の朝鮮で実施されていた笞刑の内容

●対象者は18歳以上60歳以下の朝鮮人男性のみ(←朝鮮笞刑令第5条・第13条)
3ヶ月以下の懲役・拘留、100円以下の罰金・科料の代替刑として、情状に応じて(罰金・科料の場合、住居不定及び無資産であること)笞刑を課することが可能(←朝鮮笞刑令第1条・第2条)
●100円以下の罰金・科料を完納していない者に対して、情状に応じて笞刑を課することが可能(←朝鮮笞刑令第3条)
●笞刑を課する場合、1日または1円を笞1発と換える。ただし笞は最低5発飛んでくる(←朝鮮笞刑令第4条)
●笞刑は1日に1回まで執行可能。また、1回の執行で振るわれる笞は30発が上限(例えば、笞80発の場合、笞刑の執行が3回に分割される)(←朝鮮笞刑令第7条)
●笞刑の執行は非公開とする(←朝鮮笞刑令第11条)
●笞刑の執行前には医師による診察を行い、健康状態によっては執行を猶予しなければならない(←朝鮮笞刑令施行規則第1条)
●笞刑の執行中、受刑者の心身に異常が生じた場合、笞刑の執行を停止すること(←朝鮮笞刑令施行規則第3条)
笞の長さは1尺8寸(約54.545cm)、厚みは2分5厘(約0.758cm)とする(←朝鮮笞刑令施行規則第11条)

カオス・コントン「女の人には執行されないのですか。なかなか良心的ですね」
エヴェリーナ・ミュンスター「ちなみに、植民地支配下で笞刑が運用されたのは1912年から1920年までの8年間よ。アメリカ人宣教師の働きかけによって廃止されたそうよ」
神凪羽常「これって厳しい刑罰なんでしょうか?」
ボルジア家の端役「どうだろうな。1日30発限定とはいえ笞が飛んでくるわけだから、肉体的な苦痛はそれなりにあるだろう。ただ、朝鮮笞刑令第1条や第2条の規定を読む限りでは、この刑罰は懲役刑や罰金刑の代替としての運用が主目的だったと思われる。このことを考えると、重い刑罰だったのかどうかは甚だ疑問だな」
醍醐ソウジ「でも、上のサイトには『ひどい笞刑』ってありましたよ?」
エヴェリーナ・ミュンスター「確かに厳しいと言えばそうかもしれないわね。でも、彼らの言い分には1つ注意しなければならない点があるの」
醍醐ソウジ「何ですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター李氏朝鮮時代にも笞刑は存在したということね。詳しいことは本編で触れるけど、李氏朝鮮の法律は明や清の法律をベースにしたものとなっていて、明で使われていた笞刑という刑罰もそのまま継承されているの」
醍醐ソウジ「同時代の日本ではどうだったのですか?」
ボルジア家の端役「明治時代では廃止されてしまったが、1742年に制定され天領で適用された公事方御定書では、『敲』という名前で笞刑が運用されていたぞ」
醍醐ソウジ「なるほど……」
エヴェリーナ・ミュンスター「回数は一緒だとしても、その他の点が違っていたら別物になってしまうわ。江戸時代の敲と李氏朝鮮時代の笞刑との違いはざっとこんなものになるわね」

項目李氏朝鮮江戸幕府朝鮮総督府時代
対象者 不明
※姦通罪を犯した女性に適用
農民以下の成人男性 18歳以上60歳以下の朝鮮人男性
笞のサイズ 長さ3尺5寸(約106.06cm)
厚み2分7厘(約0.82cm)
長さ1尺9寸(約57.576cm)
周3寸(約9.091cm)
※図絵等から棒状と推測される
長さ1尺8寸(約54.545cm)
厚み2分5厘(約0.758cm)
回数 10〜100 50(軽敲)または100(重敲) 5〜
※1回の執行での上限は30
手加減 (不明) 老人・病人の場合、
手加減されることがある
健康状態によっては
猶予されることがある
叩く部位 (不明) 肩から臀部にかけての背中側
※背骨に対する叩きは禁止されている
臀部
公開 公開 非公開
※獄舎内の庭で実施されたため、
別の囚人は刑を目の当たりにする
非公開
廃止 (併合時まで存続) (明治政府統治下の1872年に廃止) 1920年

※江戸幕府での笞刑については、佐久間長敬(幕末の南町奉行所吟味与力)の残した資料による

カオス・コントン「姦通罪で百叩きというのは、結構残酷じゃないですか」
醍醐ソウジ「李氏朝鮮時代の運用状況については、どこから資料を手に入れたのですか?」
ボルジア家の端役「李氏朝鮮での笞刑に関するインターネット上の日本語資料は、中川八洋氏の著作『歴史を偽造する韓国』からの引用と、李氏朝鮮時代に朝鮮を旅行するという珍しい経験をした欧米人の残した記事によるところが大きい。欲を言えば、1905年に朝鮮(大韓帝国)で制定された『刑法大全』の条文も資料として使いたかったのだが、当の『刑法大全』の条文が見つからなかった」
神凪羽常「韓国語の資料がもっと見つかればいいですね……」
エヴェリーナ・ミュンスター「李氏朝鮮の笞刑は、結構激しいものだったと言われているわ。詳細は水戸のぢぢ様の記事に譲るけど、日露戦争当時朝鮮を訪問しを目撃したアーソン・グレブストによると、『(笞刑を受けた後の)囚人の体はもはや人間のそれでなく、ただの血だらけの肉塊にすぎなかった』んだとか」
カオス・コントン「……せんせー、それって『死んでる』って言いません?」
エヴェリーナ・ミュンスター「この囚人は生きていたけど、その後ずるずると引き摺られて手近な牢屋に放り込まれたとあるわね」
醍醐ソウジ「うーん……」
神凪羽常「怖いですね……」
カオス・コントン「くわばらくわばら……」

神凪羽常「他の刑罰はどうだったのですか?」
ボルジア家の端役「他の刑罰か……。そうだな、これも江戸時代と李氏朝鮮の比較として話を進めるか」
醍醐ソウジ「はい」
ボルジア家の端役「江戸時代の刑罰が具体的に法制化されたのは、何度も名前が出ている公事方御定書でのことだ。この中では、『敲』の他に次のような刑罰が規定されている」


公事方御定書によって規定された江戸時代(天領)での刑罰

正刑
呵責叱り叱責の上で釈放
急度叱り
押込10日以上100日以内の自宅監禁措置
軽敲箒尻で背中を叩く(50回)
重敲箒尻で背中を叩く(100回)
過怠末居50日または100日の禁固?
女性・15歳未満の男性に対して行われる敲の代替刑
追放所払現居住地からの追放
江戸払【江戸】江戸+品川・板橋・千住・本所・深川・四谷の大木戸以内からの追放
洛中洛外払【京都】洛中・洛外からの追放
大坂三郷払【大坂】大坂の三郷(北組、南組、天満組)からの追放
奈良及居村払【奈良】居村及び奈良町からの追放
長崎払【長崎】長崎市中からの追放
江戸十里四方追放【江戸】日本橋より四方5里外からの追放
山城国中追放【京都】山城国内全域らの追放
摂河両国追放【大坂】摂津・河内両国の全域
大和国中追放【奈良】大和国内全域からの追放
長崎及郷中追放【長崎】居村及び長崎市中からの追放
軽追放(武士)江戸十里四方・京・大坂・日光・日光街道・東海道筋からの追放
+不動産没収
軽追放(武士以外)江戸十里四方・犯罪国・現居住国からの追放
+不動産没収
※年貢未納時は動産も没収
中追放(武士)下野・武蔵・甲斐・駿河・山城・摂津・和泉・肥前・東海道筋・日光道中・木曽路・犯罪国・現居住国からの追放
+不動産没収
中追放(武士以外)江戸十里四方・犯罪国・現居住国からの追放
+不動産没収
※年貢未納時は動産も没収
重追放(武士)関八州・甲斐・駿河・山城・摂津・和泉・大和・肥前・東海道筋・木曽路・犯罪国・現居住国からの追放
+動産・不動産没収
※京都奉行所管轄の場合、追放対象国に丹波・河内・近江が加えられる
重追放(武士以外)江戸十里四方・犯罪国・現居住国からの追放
+不動産没収
※年貢未納時は動産も没収
遠島伊豆七島(江戸)または壱岐・隠岐・天草・薩摩五島(西国)への追放
+動産・不動産没収
死刑下手人斬首刑
※遺体は様斬(試し斬り)には使用されず、遺族による遺体引き取り・埋葬が可能
死罪斬首刑+財産没収?
※遺族による遺体引き取りは不可(本項は以下5種の死刑に共通)
※遺体が様斬(試し斬り)に使用される
獄門斬首刑+首晒し(3日間)+財産没収?
※強盗殺人など重度の殺人などに対する刑罰
火罪市中引き廻し+火刑+財産没収
※放火犯に対する刑罰
市中引き廻し+磔台で槍により刺殺+遺体放置(3日間)+財産没収
鋸挽市中引き廻し+鋸で首を挽く(2日間)+磔+遺体放置(3日間)+財産没収
※鋸挽きは希望者に対して認められていたが、実際に首が挽かれた例はほぼ皆無
属刑
本刑執行前に市中を引き廻し、遺体を死後3日間放置する
入墨腕・顔などに入墨を入れる
※盗犯に対する刑罰
闕所動産・不動産を没収
非人手下非人手下または非人籍への編入
閏刑(武士)
逼塞遠慮30日間の自宅監禁(昼間の出入り禁止)
慎遠慮50日間の自宅監禁(昼間の出入り禁止)
閉門50日間または100日間の自宅監禁
蟄居蟄居自宅内の一室に監禁
隠居隠居し、その扶持を子孫に渡す
永蟄居自宅内の一室に終身監禁
改易士族からの除籍+扶持没収
他家での無期禁固
永預他家での終身禁固、ただし赦免無し
切腹所定の作法に則り割腹
死罪正刑の死罪を適用
閏刑(庶民)
科料罰金、銭3貫〜5貫/銭10貫/財産相応の区分あり
※未納時には手鎖が科せられる
閉戸商店の営業停止処分、20日間/30日間/100日間の区分あり
手鎖手錠をかける、30日間/50日間/100日間の区別あり
閏刑(僧侶)
市中で3日間緊縛状態のまま晒し、その後本寺に身柄引渡し
追院退院官住職を解職の上で強制退院+同一寺への復帰禁止
追院
一派構現在所属する一派からの追放
※同一宗・他派への転向は可能
一宗構現在所属する宗旨からの追放
※宗旨替えは可能
閏刑(夫人)
剃髪頭髪を剃った上で親族に身柄を預ける
本籍を除いた上で遊郭等で働かせる

出典:横倉辰次『江戸牢獄・拷問実記』などを元に作者が編集

カオス・コントン「……………………」
神凪羽常「死刑になる条件はどのくらいだったのですか?」
ボルジア家の端役10両盗んだら即死罪
醍醐ソウジ「うわっ、きついですね」
カオス・コントン「……………………」
ボルジア家の端役「ただし、『奉行所のほうで盗んだ金額をわざと過小判断して死刑判決を回避したことがある』という話を聞いたことがあるので、10両きっかり盗んで死罪になるかどうかは断言できないぞ」
エヴェリーナ・ミュンスター「窃盗に対する刑罰が重いのは、日本が農業国だったことが影響していると言われているわね」
カオス・コントン「……………………」
ボルジア家の端役「……おい、どうした?」
カオス・コントン「……………………はっ!? い、いや、ちょっと考え事をしてたものでして……」【アセアセ】
神凪羽常「処刑の様子で妄想してたんですか?」
カオス・コントン「それは無いですっ! 俺には流血趣味は無いです! 別の妄想をしてただけですから」
エヴェリーナ・ミュンスター「……市中引き廻しや晒で妄想してたの?」
カオス・コントン「うっ…………ちちち、違いますよっ」【アセアセ】
神凪羽常「ところで、『手鎖』って何なんですか?」
エヴェリーナ・ミュンスターこんな拘束具ね。手を前にして腕組みしたような格好で、二の腕にガチャンとはめるのよ。これをはめられている間は、日常生活が事実上不可能になってしまうわね」
カオス・コントン「……………………」
ボルジア家の端役「……今度も妄想中か?」
カオス・コントン「ぎくっ……ま、まあ……いいじゃないですか、ねぇ」【アセアセ】
エヴェリーナ・ミュンスター「ウフフ♪ 素直でいいわね」
醍醐ソウジ「……じゃあ、李氏朝鮮での刑罰はどうなっていたのですか?」
ボルジア家の端役「こちらについては資料があまり集まらなかったので、日本と比較してテーブルは小さくなるが、ざっとこんなものだ」

李氏朝鮮での代表的な刑罰

笞刑笞で囚人を叩く
杖刑杖で囚人を叩く
※後に笞刑へ吸収される形で廃止される
徒刑懲役刑
流刑追放刑
(北東部に囚人を流し、一定地域内に閉じ込める)
死刑絞首刑、斬首刑など

ボルジア家の端役「李氏朝鮮での刑罰を語る上で特徴的と言えるのが、懲役刑と絞首刑の存在だ。まず懲役刑だが、江戸時代の日本には人足寄場が存在したが、この施設は刑務所というよりも前科者向けの職業訓練施設として考えた方がいいだろう。そのことを考えると、李氏朝鮮の刑法で懲役刑が存在する点は、その優劣は別にしてなかなか面白いだろ?」
醍醐ソウジ「『優劣は別』?」
ボルジア家の端役徒刑で科せられている労働の中身が分からなかった
醍醐ソウジ「なるほど……」
エヴェリーナ・ミュンスター「李氏朝鮮で懲役刑が存在していたというのは、好意的にも悪意的にも解釈できるわね。『人々の手に職を付けることによって社会復帰と犯罪防止を目指す、王道政治の精神の表れ』とも『労働を刑罰に盛り込むことは、李氏朝鮮時代の労働蔑視を端的に示すものである』とも言えるわけだし」
ボルジア家の端役「それは考え過ぎだろ。……あと、絞首刑のほうだが、これは我々が知っている一般的な絞首刑だけでなく、横たえられた囚人の首に紐を巻き付けて殺すという方法の絞首刑も行われていた」
醍醐ソウジ「ふむふむ……」
神凪羽常「植民地時代の刑罰はどうなったんですか?」
ボルジア家の端役植民地統治下における朝鮮での刑罰は、選択刑として笞刑が加わっている点を除けば、日本の刑法と大体同じと考えてもらっていいだろう」

朝鮮刑事令(明治45年制令第11号/明治45年3月18日公布、同4月1日施行)

第一条 刑事ニ関スル事項ハ本令其ノ他ノ法令ニ特別ノ規定アル場合ヲ除クノ外左ノ法律ニ依ル
 一 刑法
 二 刑法施行法
 三 爆発物取締規則
 四 明治二十二年法律第三十四号
 五 通貨及証券模造取締法
 六 明治三十八年法律第六十六号
 七 印紙犯罪処罰法
 八 明治二十三年法律第百一号
 九 海底電信線保護万国聯合条約罰則
 十 刑事訴訟法
 十一 普通治罪法陸軍治罪法海軍治罪法交渉ノ件処分法
 十二 外国裁判所ノ嘱託ニ因ル共助法

(後略)

出典:朝鮮刑事令(http://www.geocities.jp/nakanolib/etc/colony/srm45-11.htm

ボルジア家の端役「あと、刑罰で忘れてはならないのは連座制の問題だな。李氏朝鮮も江戸時代の日本も、国家反逆罪クラスの重犯罪に対しては連座制を適用した記録が残っている。江戸時代に発生した事件で、連座制が適用されたものの中で最も有名なのが慶安事件こと由比正雪の乱だな」

慶安事件/由比正雪の乱

 1651年7月(西暦9月)、軍師・由井正雪と槍術師範・丸橋忠弥らが主謀者となり、江戸幕府の転覆を図ろうとした事件。事件の背景には、幕府が長年進めてきた大名統制政策による浪人の急増など社会的不安が存在すると言われている(事件当時、浪人の人数は最高40万人だったと推測されている)。また、幕府が各藩に対して浪人の登用を厳しく制限するよう命じたり、浪人の江戸・京都居住に制限を加えたりする(正規の手続きを経ずに居住していることが発覚した場合には死刑)など、幕府の浪人政策が苛烈だったことも事件の原因として存在する。ただし、同年4月20日(西暦6月8日)に江戸幕府第3代将軍・徳川家光48歳の若さで死去し、後を継ぐ徳川家綱が子供であり征夷大将軍即位前だった(即位は同年8月8日)ことから、この事件に対しては「政局収拾の為に幕府が情報を故意に誇張しているのではないか」「実は冤罪ではいか」という声も聞かれている(作者は幕府転覆の陰謀が実在したとの立場に立っている)。
 反乱計画は1651年7月29日(西暦9月13日)に、江戸・駿府・京都・大坂の4都市で同時に武装蜂起するという大掛かりなものであった。特に江戸では、小石川硝煙蔵に放火するなどして江戸市中を火の海にした後、徳川頼宣(当時の紀州藩主)の登城と称して江戸城に侵入するなど、大掛かりな計画が立てられていた。一連の計画に参加する浪人の数は1500人に達していたと言われている。日本で計画された諸々の政府転覆計画の中では大規模なものであった。反乱計画の存在が幕府に知らされたのは1651年7月23日(西暦9月7日/反乱決行の僅か6日前)。幕府は直ちに行動を起こし、通報当日のうちに首謀者の1人だった丸橋忠弥を逮捕した。由井正雪は7月26日(西暦9月10日)に駿府で自害。こうして、江戸幕府は間一髪のところで反乱の阻止に成功する。
 この反乱計画に関与したと見なされて死刑となった者の数は、丸橋忠弥をはじめ100人を上回る。その中には、反乱計画そのものに関与した人間だけでなく、その親類縁者も含まれていた。由井正雪の場合、彼の妻・父・母・弟・叔父・叔父の子供・甥などが、また丸橋忠弥の場合、丸橋忠弥本人だけでなく兄・母・召使いが処刑されている。その他の反乱関係者の中にも、本人だけでなく親族までもが刑場の露と消えた者が存在する。
 この事件の後、幕府は大名改易の一大原因となっていた末期養子の禁を解くなど、本格的な浪人対策に乗り出している。

エヴェリーナ・ミュンスター「誰か上手くドラマ化してくれないかしら? 緊迫感のある燃え燃えなストーリーになりそうね」
カオス・コントン『萌え』のほうは無いんですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「この事件じゃ無理ね」
カオス・コントン「がーん……」
醍醐ソウジ「李氏朝鮮の連座制はどうだったんですか?」
ボルジア家の端役「李氏朝鮮での連座制適用については、本編を進めればそのうち実例が出てくるだろうから説明は省くぞ。ちなみに、日本で連座制の廃止が行われたのは公事方御定書が制定された1742年のことだ。一方、李氏朝鮮での連座制廃止は1894年のことだが、この時に連座制廃止に踏み切ったのは、当時日本の支持を得ていた朝鮮国内の改革派だった」
神凪羽常「もしも、改革派による革命政権ができいなかったとしたら……」
ボルジア家の端役「李氏朝鮮の連座制はもう少し長続きしていそうだな」
神凪羽常「李氏朝鮮の連座制が早く無くなったのも、ある意味日本の『おかげ』なんでしょうね……」
醍醐ソウジ「今までの話をまとめて考えると、朝鮮半島の刑罰は、日本のおかげで全体的に改善されたと考えていいわけですね?」
ボルジア家の端役「まあ、そんなところだな」



ボルジア家の端役「笞刑の話が出てきたので、余談ついでに江戸時代の刑罰について、いくつかおまけの話をしておくか」
醍醐ソウジ「どういう話ですか?」
ボルジア家の端役「江戸時代の敲だが、泣き叫ぶと軽く打たれるだけで済むことが多いという話が残っている」

 因に曰く、総体に大声を揚げて泣き叫ぶ徒は、打役は自然と軽く打つという。これ反して、黙し堪える者程、強打する気味あり。故に囚人等は常に言う、打たれる時は大声を発して泣くにしかずと。

出典:横倉辰次『江戸牢獄・拷問実記』にて引用されていた佐久間長敬の文書

醍醐ソウジ「手加減してもらう為のハウツーも知られていたんですね」
ボルジア家の端役「それから、敲では、受刑者の体調・年齢に配慮して、叩く際に勢いを弱めるなど手加減することはあった。ただし、叩く回数は1回たりとも間違えることができないものだった。佐久間長敬の記録によると、叩く回数を1〜2回間違えただけで、担当者が進退伺を提出するような大問題になってしまったこともあるらしい」
神凪羽常「厳格だったんですね……」
ボルジア家の端役「あと、これは完全な余談になるのだが、『土壇場』という単語は江戸時代の死刑制度が由来となっているぞ」
醍醐ソウジ「そうだったんですか?」
ボルジア家の端役斬首の執行を行う場所のことを『土壇場』と呼んでいたのだ。あと、他には『様斬を行う際に死体を横たえておく台』という説がある。どちらにせよ、死刑制度に由来がある単語であることには変わり無い」
醍醐ソウジ「なるほど……」



ボルジア家の端役「さて、日本と李氏朝鮮の刑罰に関する説明はこんなもので大丈夫かな?」
神凪羽常「はい」
醍醐ソウジ「色々ありますけど、大雑把なところは理解できました。朝鮮よりも日本のほうの資料が多いような気がしますけど」
エヴェリーナ・ミュンスター「それは仕方無いわね。韓国語での資料が見つからなかったんだから」
カオス・コントン「うにゃー……覚えることが色々ありすぎます……」
ボルジア家の端役「まだ話は半分しか終わってないぞ」
醍醐ソウジ「は?」
神凪羽常「え?」
カオス・コントン「へ?」
ボルジア家の端役「次は拷問の比較だ。今度は実験台……じゃなくてモデルが必要になるかもしれないぞ」
カオス・コントン【無言で立ち去ろうとする】
エヴェリーナ・ミュンスター「せっかくだし、カオス君も一緒に勉強しましょうね〜♪」【襟首を捕まえる】
カオス・コントン「うにゃー!?」




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