“Trisection”
─ 前108年〜611年





エヴェリーナ・ミュンスター「今までは先史時代を中心とした話をしていたけど、今回は朝鮮人による朝鮮統一の話になるわ」


  〜4〜 高句麗と三韓の成立

フィアーテ・V・S・B「前回の最後に出ていた衛氏朝鮮はどうなったんだ?」
エヴェリーナ・ミュンスター「漢の武帝による攻撃を受けて、紀元前108年に滅亡したわ。この後、漢の武帝はこの地域に楽浪郡をはじめとする4郡を設置し、現在の朝鮮半島の北西部──平壌からソウルに近い地域の支配権を確立したのよ。この地方はその後も漢帝国の一部として存続し、後漢、公孫氏、魏、晋の支配を順に受けたけど、313年からは高句麗の支配下になったわ
奈津嬉公孫氏?」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「遼東半島の辺りにいる、『三国志』シリーズの定番弱小勢力のこと?」
ボルジア家の端役「同じ弱小勢力なら『荊州4バカ君主』のほうが有名だけどな」

荊州4バカ君主(『三国志』シリーズより)

 208年頃のシナリオで、荊州の南部で1都市ずつを所有した状態で登場する君主「韓玄」「金旋」「趙範」「劉度」のこと。君主本人の能力の低さと周辺国が強豪揃いであることから、「4バカ」と呼ばれることがある。

ボルジア家の端役「……それはともかく、公孫氏が遼東半島の辺りにいたというのは正解だな。彼らは、2世紀後半に公孫度が遼東周辺を本拠地に勢力を伸ばし、238年に滅ぼされるまで、遼東半島から朝鮮北西部までを支配下に置いていた。『魏志倭人伝』にも名前の出る帯方郡は、204年に公孫度の長男だった公孫康が、楽浪郡から分離させる形で新設したものだ」
カオス・コントン「どうして魏に潰されたんです?」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「確か、一旦後漢に臣従した後、魏の時代に反旗を翻し、燕王を称したのが原因だったんでしょ?」
ボルジア家の端役「ああ。ただ、この反乱には当時の呉も一枚噛んでいたらしいぞ」
奈津嬉「なるほどなるほど……」
ボルジア家の端役「……で、ここで話がやっと高句麗に繋がるわけだな?」
エヴェリーナ・ミュンスター「そういうことになるわね。というわけで、帯方郡を制圧した高句麗という国のお話に移るわ」
鞍馬彰吾「どんな国でした?」
エヴェリーナ・ミュンスター「ツングース系の民族・扶余族の国家よ。建国者は朱蒙という人物で、この人物には金蛙の卵から生まれたという神話が伝わっているわ」
カオス・コントン「クマさんの次はカエルさんですか?」
刀和祥子朱蒙の父親は天帝の子供、母親は河の神様の娘と伝えられていますからね」
エヴェリーナ・ミュンスター「建国の年代は紀元前37年とされているわ。本当に紀元前37年だったのかどうかは不明だけど、あまり大きな狂いは無いだろうと言われているわ。ほぼ同時期の中国側の史書にも、高句麗建国をうかがわせる記事が掲載されているからね」
フィアーテ・V・S・B「ふむふむ……」
エヴェリーナ・ミュンスター「本拠地は中華人民共和国と北朝鮮の国境となっている鴨緑江の北岸にある卒本城という場所。遼寧省と吉林省の省境近くになるわね」
アークス・アルクスト「ということは、この高句麗という国は中国の国でもあったということなんですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「地理的にはそうなるわね。最近では、このことが原因で、韓国と中国の間で摩擦を引き起こしたんだけど……」
奈津嬉「韓国も色々と大変なんですね……」
エヴェリーナ・ミュンスター「この後の高句麗の歴史を大雑把に説明するわね。最初は卒本城に首都をおいていた高句麗だけど、紀元後3年に吉林省集安市に位置する丸都城に遷都するの。山城だった丸都城のすぐ側には国内城という平城もあったので、国内城のほうを高句麗の新しい首都とすることもあるわ」
奈津嬉【メモを取っている】
エヴェリーナ・ミュンスター「外交面から高句麗の歴史を説明すると、この国の歴史は西側に位置する漢人政権との対決の歴史でもあったの。公孫氏の滅亡後、魏の将軍毋丘倹に首都を攻められるということもあったし、逆に漢人政権の出先機関だった楽浪郡などを滅ぼすことに成功するという成果もあったわ。4世紀後半には一時的に勢力が低迷したけど、391年に即位した広開土王(在位:391〜413)の代になって急激に勢力が広がったわね」
刀和祥子遼東半島へ進出し、百済と日本を破り、新羅を自国への朝貢国にしてしまう……怒涛のような勢いでしたね」
エヴェリーナ・ミュンスター長寿王(在位:413〜491)の時、高句麗は平壌城に遷都するわ。これが427年のことで、この頃が高句麗の絶頂期と呼ぶべき時期になるわね。……では、ここで高句麗の歴史の話は一旦切って、朝鮮半島の南部に目を向けるわね」
カオス・コントン「は〜い」

エヴェリーナ・ミュンスター「朝鮮半島の南部──高句麗と中国歴代王朝に占領されていない地域が、俗に言う三韓という地域。この地域は更に──

  ●忠清道・全羅道を中心とする半島南西部の『馬韓』
  ●大邱・慶州など慶尚道東部(半島南東部)に位置する『辰韓』
  ●半島最南部の金海・馬山など慶尚道の南西部を中心とする『弁韓』

──の3つに分かれているわ。この3地域はいずれも連合王国……というか部族の連合体とも言うべき統治システムを取っていたけど、馬韓と辰韓が4世紀になって統一国家へと変化するの」
ヴェルナ・H・エイザー「こうして成立したのが、百済新羅というわけですね?」
エヴェリーナ・ミュンスター「そう。馬韓を統一した百済は346年の近肖古王(在位:346〜375)即位辰韓を統一した新羅は356年の奈勿王(在位:356〜402)即位を以って、それぞれ建国ということになっているわ。ちなみに、韓国の歴史書では、百済・新羅共に紀元前に成立した国家というように書かれているけど、どちらも裏付けとなる資料が乏しいので、両国の紀元前成立説は採用しないことにするわよ。あと、百済の建国時期については、100年くらい前倒しする意見も存在するわね」

高句麗による平壌への遷都(427年)直後の朝鮮半島周辺地図

エヴェリーナ・ミュンスター「当時の新羅は国号を斯盧国としていたけど、便宜的に『新羅』のままで説明を続けるわ」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「ところで、弁韓はどうなったの?」
エヴェリーナ・ミュンスター「いい質問ね。実はこの弁韓の状況なんだけど、日本と韓国の言い分が全く違うのよ」
レキリス・キャソル「では、両国が主張する弁韓に関する知識というものを並べてみましょう」

韓国側の主張

紀元前42年、金官伽耶成立
→5世紀、高句麗の勢力伸張に伴い、金官伽耶が弱体化
→伽耶地方に属していた各国による連盟の再編が進行、内陸部の国を中心に大伽耶連盟王国が成立
→532年、新羅が金官伽耶を併合
→562年、新羅が大伽耶連盟王国を併合
日本側の主張

狗邪韓国(加羅)を倭国の北限とするとの記述あり(←『魏志倭人伝』)
→任那の宮家滅亡(←『日本書紀』)
 倭は渡海し、百済・新羅を服従させる(←『広開土王碑』)
 高句麗軍による南下、この際新羅領内で倭軍と交戦しこれを撃破(←広開土王碑
→5世紀後半、日本が中国の南朝から新羅・任那などにおける軍事権を承認される(←『宋書倭国伝』)
→新羅が6世紀に任那を併合する

鞍馬彰吾「ポイントは、5世紀に日本の影響力が朝鮮半島に及んでいたかどうかといったところですね」
エヴェリーナ・ミュンスター「日本側の話に登場する任那日本府というのは、日本(大和朝廷)の任那における外交施設にして軍事的拠点、とでも考えてもらえればいいわね。現代のイメージで言うと、アメリカ大使館の隣に米軍基地があるような感じかしら?」
鞍馬彰吾「任那日本府の存在を『植民地政府』のように捉える学説もありますけど?」
エヴェリーナ・ミュンスター「このテキストの作者はその説を採用しないことにしているらしいわ。今のところ、任那日本府の存在を裏付ける遺構が朝鮮半島最南部で見つかっていないからね」
アークス・アルクスト「では、どちらかの説が間違っているということになりそうですけど……」
刀和祥子「そうですね……現在私達が聞いている限りでは、日本側の主張のほうが世界的には正しいと認知されているようです」
奈津嬉「根拠はあるのでしょうか?」
刀和祥子「山ほどある……と言って説明を切ってもいいのですが、それではあまり意味が無いので、箇条書きにして説明しますね」
レキリス・キャソル「了解致しました」

●広開土王碑の碑文が捏造されていないことが中国側の研究者によって証明されている
【噴水台】広開土大王碑

(前略)

 その悔やまれる空白の中で、高くそびえる宝物が、広開土(クァンゲト)大王碑だ。
 高句麗(コグリョ)王の気性を示すかのように、満州平野に高くそびえるこの碑石は、西暦414年に立てられ、2階建て住宅ほどの高さ(6.39メートル)で重さ37トンの自然石の4面に、全部で1775字の漢字が美しい隷書で刻まれている。
 『三国史記』最古本より、少なくとも800年以上前の記録だ。当時の高句麗人の手で立てられ、刻まれたオリジナルである故、それ自体が歴史だ。文書による記録が絶対的に不足する韓国において、古代の金石文は重要であり、広開土大王碑はその中でも白眉だといえる。
 問題は、広開土王碑が石灰を塗られ、一部が壊されたという点だ。一部からは「1900年前後の時期に、日本帝国時代のスパイが、任那日本府説を裏づけるため、わざと石灰を塗布した」という主張も出た。
 しかし1984年、中国人学者らの精密調査の結果、19世紀末に中国人の拓本技術者が便宜上石灰を塗ったというのが、定説として固まりつつある。

(後略)

出典:中央日報2002年10月1日付コラム(http://japanese.joins.com/html/2002/1001/20021001221506100.html

●日本側の主張は日本・中国両方の史書によって裏付けられているが、韓国の主張を裏付けるのは朝鮮の史書のみ

●韓国南部に前方後円墳が確認されている

歴史専門チャンネルのヒストリーチャンネルは、日本及び中国の言い分を支持している


フィアーテ・V・S・B「前方後円墳が朝鮮半島に存在するという話、あまり聞いたことが無いぞ」
エヴェリーナ・ミュンスター「朝鮮半島の南西部──かつて百済が支配していた地域で、5世紀から6世紀にかけて作られた前方後円墳と思しき墳墓がいくつか見つかっているのよ。前方後円墳の製作時期は日本のほうが古いと言われているから、このことを根拠の1つにして、『当時の百済は日本から文化を輸入していた』と主張する人も少なくないわね」
アークス・アルクスト「それはともかく、ヒストリーチャンネルを持ち出すのは微妙に間違ってませんか?」
刀和祥子「学術的な裏付けではないけど、世界が日本と韓国のどちらの言い分を信用しているのかを暗示していると思いませんか?」
アークス・アルクスト「うーむ……」

奈津嬉「この3つの国はどんな体制だったんですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「統治体制? 大雑把に言ってしまうと、貴族の発言力が強い不完全な中央集権国家といった辺りかしら。高句麗・百済・新羅の3カ国全てに、有力貴族による合議体が設置されていて、国政に対して一定の発言力を有していたのよ。朝鮮半島で本格的な中央集権体制が確立されるのは、新羅が朝鮮半島を統一した後だと思っていいわね」
ヴェルナ・H・エイザー「日本で言うところの『冠位十二階』のようなものはあったんですか?」
カオス・コントン「『かんいじゅうにかい』?」
ヴェルナ・H・エイザー服の色で貴族や官僚の地位を識別する制度のことですよぉ。覚えてないんですかぁ?」
カオス・コントン「う……忘れてました……」
エヴェリーナ・ミュンスター「十二階じゃないけど、類似のシステムは3カ国全てにあったわよ。韓国の国史教科書によると、高句麗では10余り、百済では16、新羅では17の階級が作られていたんだそうよ」
ヴェルナ・H・エイザー「なるほど……」
エヴェリーナ・ミュンスター「それと、この3カ国のことを語る上で欠かせないのは中国からの文化的影響ね。特にこの時期には、中国から宗教が3つ朝鮮半島に伝わっているわ」
フィアーテ・V・S・B「中国から?」
鞍馬彰吾「1つは多分仏教だと思うのですが、残り2つは何なんでしょうか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「1個は仏教で当たってるわ。で、残り2つは儒教道教よ」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「道教はともかく、儒教を宗教扱いするのはまずくないかしら?」
エヴェリーナ・ミュンスター「このテキストの作者は儒教も宗教の一種として判断しているし、儒教は仏教・道教と並んで中国三大宗教の1つに数えられているから、儒教を宗教扱いしても問題無いんじゃないのかしら? ……で、話を本筋に戻すけど、中国から伝わった3宗教の由来とかは、インド史や中国史で触れるべき事柄になるから、この授業での詳しい説明は必要無いと思うわ」
奈津嬉「各宗教が伝わったのは何時なんですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「儒教については正確な年代が分かっていないけど、最も早い説を採用すると紀元後1世紀と言われているわね。仏教については比較的正確な年代が残っていて、高句麗は372年、百済が384年、新羅は5世紀のことね。一方、道教が伝えられたのは高句麗と百済の2カ国だけで、このうち高句麗に道教が伝来されたのが624年
ボルジア家の端役「もっとも、公式な伝来年より以前に、民間ベースでそれぞれの宗教が伝来していた可能性は否定できないがな」
エヴェリーナ・ミュンスター「当時の宗教を語る上で忘れてはならないのは仏教の存在ね。高句麗・百済・新羅のいずれの国も仏教を国教に選び、儒教の政治的な影響力を削いでいるのよ
ボルジア家の端役「朝鮮半島が儒学に毒されていない、ある意味古き良き時代だな」
鞍馬彰吾「そういえば、日本では552年に仏教が伝来しましたけど、仏教を伝えたのはどの国の人達なんですか?」
刀和祥子日本に仏教を伝えたのは百済の人達です。日本と最も関係の深かった百済は、中国から日本への文化伝来の中継役のような存在となっていたんです。ただ、彼らの行為をどのように評価するかは国によって意見が分かれてまして……」
鞍馬彰吾「朝鮮半島の人達は自分達の祖先の行為が日本の文化向上に貢献したと思っていますよね?」
刀和祥子「はい。日本でもそう考える人は多いのですが、前方後円墳など日本から百済に対して文化が輸出されたケースも存在することから、百済の役割をただのストローのようなものと判断する人もいますね。世界史コンテンツですと、『美味しんぼの嘘を暴け7』で、この『百済ストロー説』とも呼ぶべき意見が展開されていますね」
フィアーテ・V・S・B「このテキストの作者自身はどう思ってるんだ?」
エヴェリーナ・ミュンスター「あまり深く考えたことは無いらしいわね。ストローだろうが教化だろうが、百済の人が日本に中国の文物を伝えたという客観的事実が修正されるわけじゃないんだし」
アークス・アルクスト「歴史教育というものも難しいんですね……」


  〜5〜 三国の激闘(修正:2005/01/29)

エヴェリーナ・ミュンスター「じゃあ、ここでメインの講師を祥子さんに代わってもらうわ」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「あら? もう話が変わるの?」
エヴェリーナ・ミュンスター「そうね。ここからは朝鮮半島の三国と中国・日本の関係を説明した上で、新羅による朝鮮半島統一まで一気に話を進めてもらうわ」
刀和祥子「分かりました」

刀和祥子「では、早速4世紀から7世紀にかけての極東アジア情勢の説明に入りたいと思います。ただ、4世紀から5世紀にかけての極東アジア情勢については資料が少ないという問題があります。特に、当時の朝鮮半島情勢に重要な影響を与えた日本における4世紀・5世紀の資料があまりに少ないことが災いし、誰も正確なことが分からないという状態にあります。ですので、ここから先の説明には、広開土王碑・『日本書紀』・『梁書』・『宋書』の記述だけでなく、作者自身の想像も含まれます
フィアーテ・V・S・B「一種の脳内補完か?」
刀和祥子脳内補完でもしないと説明できないんですよ。あと、当時の日本と朝鮮半島の関係には1つ謎が残されているんです」
奈津嬉「何でしょう?」
刀和祥子広開土王碑や『宋書』などに顔を出す『倭』のことが、大和朝廷と同一の政府のことを指しているかどうかという疑問が存在します。とりあえず、このテキストでは、『倭』=大和朝廷と解釈して話を進めますが、『倭』と大和朝廷の関係に謎が残されていることは頭の中に常に入れておいてください」
カオス・コントン「うぃ」

刀和祥子「……では、説明に戻りますけど、先程から話が出ているのでもう御存知だと思いますが、朝鮮半島を最終的に統一したのは新羅です。ただし、実は、新羅は朝鮮半島で分立していた三国の中では比較的弱い国だったんです」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「そうだったの?」
刀和祥子「はい。最初に朝鮮半島で勢力を拡大したのは百済です。百済の絶頂期は4世紀後半でして、この時には漢城──現在のソウルを首都と定め、現在の大韓民国の西部をほぼ完全に手中に収めるなど隆盛を誇っていました。371年には、高句麗軍を平壌で破り、高句麗国王を敗死させています」
カオス・コントン「おおう、凄いですねぇ」
刀和祥子「韓国の歴史教科書によれば、この他にも『山東半島などにも進出していた』と書いてありますが、これが商船団の派遣を意味しているのか、軍事的制圧のことを意味しているのか、国史教科書でははっきりとは触れられていませんでした」
鞍馬彰吾「うーん……」
フィアーテ・V・S・B「脳内仮想戦記にネタを提供しそうな話だな」
刀和祥子「百済の外交姿勢を大雑把に言ってしまうと、中国南朝及び日本との友好関係を維持するというものでした。372年に百済から日本に贈られた七支刀は、両国の友好関係を端的に示すものでしょう。ただ、日本との同盟関係が対等なものであったのかどうかは微妙でして、百済が日本に臣従していた時期もあるようです。広開土王碑には、『辛卯の年(391年)に海を渡り百済などを打ち破って臣下とした』という内容のことが書かれています」
カオス・コントン「七支刀……強かったですねぃ……」
刀和祥子「ゲームの話が微妙に混ざったような気がしますが、それは無視しますね。さて、百済の次に朝鮮半島で勢力を伸ばしたのは、実は三国ではなく日本(大和朝廷)でした。百済との同盟関係は先程説明した通りですが、日本はこの他にも朝鮮半島に勢力を築いています。任那には任那日本府という日本の出先機関がありました。また、広開土王碑によると、4世紀末に日本が新羅に侵入し、新羅が高句麗の広開土王に対して救援要請を出したことも記されています」
アークス・アルクスト「豊臣秀吉よりも1200年くらい先に朝鮮半島に派兵していたわけですか?」
刀和祥子「そんなところでしょうね。そして、4世紀末から5世紀初頭にかけて、日本やその同盟国である百済と、広開土王率いる高句麗が、朝鮮半島の支配権を巡って争います。この一連の戦いは広開土王碑に記されており、396年から407年にわたって断続的に行われたのですが、この戦いは高句麗側の優勢のうちに幕を下ろしました。高句麗が最初目指していた日本と百済の同盟断絶には必ずしも成功しませんでしたが、新羅から日本の勢力を追い出し、新羅を朝貢国とすることには成功しています」
ヴェルナ・H・エイザー「百済と日本の同盟はどうなったんですかぁ?」
刀和祥子「広開土王碑の記述によると、高句麗は396年に百済を臣従させたが、399年には再び日本との関係を復活させたとありますね」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「結構複雑なのね……」
刀和祥子「そして、広開土王の代と、その次に即位した長寿王の時期に高句麗の領土が広がったのは説明した通りです。高句麗の勢力拡大によって国力を失ったのが百済でして、百済は漢城からの遷都を余儀無くされています。上の地図では熊津に都を置いている百済ですが、その後さらに南へ都を移しています」
アークス・アルクスト「高句麗の対中国外交はどんなものだったんですか?」
刀和祥子高句麗は北朝・南朝の両方と関係を維持していました。当時中国は南北に分裂していましたから、高句麗としてはその状態を維持することが外交戦略上求められていたのです。中国が統一されたら、その強大な軍事力が自分達に向けられることは嫌でも想像できますからね」
鞍馬彰吾「結構上手い立ち回り方ですね」
刀和祥子「こうして5世紀に圧倒的な力を誇った高句麗ですが、このままこの国が朝鮮半島を統一することはありませんでした」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「どうしてだったの? 普通だと、このまま勢い良く南進しそうなものなのに……」
刀和祥子百済と新羅が同盟を結び、高句麗に対抗したからなんです」
フィアーテ・V・S・B「この対高句麗同盟には日本は加わっていなかったのか?」
刀和祥子「そうみたいですね。これはテキストの作者の想像になるんですけど、新羅と日本の関係が良好ではなかったため、百済〜日本・新羅〜百済という2国間同盟は成立しても、新羅〜日本の同盟は成立しなかったんじゃないでしょうか」
フィアーテ・V・S・B「なるほど……」
刀和祥子「この後、6世紀に入って新羅が急激に力を伸ばします。智証王(在位:500〜514)の時代に中央集権化に成功した新羅は、智証王の子に当たる法興王(在位:514〜540)の時代に任那に進出、532年にはその一部の占領に成功します。そして、新羅は法興王の子にあたる真興王(在位:540〜576)の時代に領土を大きく広げ、朝鮮半島東部と漢城周辺を自国の支配化に組み込みます。任那が完全に新羅領となったのも真興王の時代ですね。これによって、新羅はようやく中国との外交窓口を確保することに成功し、以降新羅は中国北朝・隋・唐の朝貢国として中国と同盟を結んでいきます」

真興王による新羅の領土拡張

刀和祥子「あまり上手じゃない地図ですが、この地図で6世紀後半の朝鮮半島情勢は理解してもらえると思います。ちなみに、橙色で表記されている領土が、真興王の代に新羅が征服した領土です。北東部の一部領土は後の代に失っていますが、彼の代に行われた外征によって、新羅の領土が劇的に増えたことは事実です」
ヴェルナ・H・エイザー「……あれぇ?」
カオス・コントン「うぃ? どうしたんすか?」
ヴェルナ・H・エイザー「2つ気になることがあるんですけどぉ……」
エヴェリーナ・ミュンスター「何かしら?」
ヴェルナ・H・エイザー「1つ目ですけどぉ、任那にあった日本の出先機関とかはどうなったんですかぁ? 新羅に潰されそうになったのなら、それを防ぐ為に朝鮮に兵を出そうとしても良さそうなんですけど、何かやったんですかぁ?」
エヴェリーナ・ミュンスター「結論から言うと、無理だったのよ。532年に新羅が任那の一部を占領した時から見て少し前に、日本で戦乱が起こっていたの。……覚えていないかしら?」
ヴェルナ・H・エイザー「うーん……」
グレイシア・ネウ・カーネリアス「ひょっとして……磐井の乱のこと?」
エヴェリーナ・ミュンスター「そう。当時、日本(大和朝廷)は、新羅が任那への軍事的野心を抱いていることを察知していて、それに対抗する為に遠征軍の派兵を進めていたところだったの。ところが、筑紫国造として九州北部を支配していた磐井が527年(作者注:528年の説もあり)に反乱を起こし、新羅に渡ろうとしていた遠征軍の行く手を阻んでしまったのよ。反乱自体は528年に鎮圧されたんだけど、磐井が起こした反乱のせいで、結果的に任那救援作戦は頓挫してしまい、新羅による任那攻略を許す結果となったのよ」
フィアーテ・V・S・B「その反乱……ひっとして、新羅も一枚噛んでないか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「思いっきり深く関わっているわね。『日本書紀』の記録によると、最初磐井は反乱を起こすかどうか迷っていたらしいわ。ところが、磐井が新羅から賄賂を贈られ、倭(大和朝廷)軍を妨害するよう依頼されたことがきっかけとなって、磐井がノリノリになって反乱に踏み切ったというのよ」
鞍馬彰吾「つまり、日本からの援軍を防ぎ任那攻略を簡単にする為に、新羅は磐井に反乱を起こすよう仕向けたというわけですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「他に考えられないわね」
ヴェルナ・H・エイザー「じゃあ、2つ目なんですけどぉ、百済と新羅って同盟国だったはずじゃないですかぁ。百済の旧領だったソウル周辺を勝手に分捕って良かったんですかぁ?」
刀和祥子「そんなわけありません。当然、このことによって百済と新羅の同盟は御破算になってしまいました」
カオス・コントン「あらら……」


  〜6〜 隋帝国の影

刀和祥子「こんな状態が続く中、西暦589年になって東アジア全体のパワーバランスを一挙に塗り替える事件が起こります。これによって、朝鮮半島における三国の戦いにも影響が現れます」
ヴェルナ・H・エイザー「西暦589年……ああ、隋による中国統一ですねぇ」
刀和祥子「はい。西暦581年に北周の皇帝からの禅譲を受けて皇帝となった楊堅(文帝、在位581〜604)は、国号を隋と変えた後、589年に最後の南朝だった陳を征服し、4世紀から続いていた中国の分裂状況に終止符を打つことに成功します。文帝の代には、この他に目立った外征は行われなかったのですが、604年に即位した楊広こと煬帝(在位604〜618)は積極的に外征を始めるようになります。その対象国となったのが、今の北朝鮮からかつて『満州』と呼ばれていた地域までを支配する大国・高句麗でした」
奈津嬉「でも、どうして高句麗を?」
刀和祥子「直接の動機は隋にとっての安全保障の確保だと思いますね。当時、隋の真北には突厥という勢力の大きな遊牧民族がいまして、彼らと高句麗が同盟を結んで隋に攻め込むようなことがあると、隋はかなり危険な状態に置かれることになったんです」
アークス・アルクスト「隋は突厥相手には何もしなかったのですか?」
刀和祥子「そんなことはありません。隋の文帝が突厥の内部分裂を成功させ、隋の時代には突厥の勢力が東西に分裂していたのです。このうち、東突厥のほうは隋に臣従していたのですが、これで文帝・煬帝をはじめとする隋の人々が安心できるわけじゃありません。いつ自分達を裏切って南下を始めるか分からないですからね。となると、隋が取るべき手はかなり限られてきます」
ヴェルナ・H・エイザー「高句麗を朝貢国として無理矢理臣従させるか、高句麗を潰してしまうか……」
フィアーテ・V・S・B「どちらにせよ、高句麗と戦って勝たないと無理な話だな」
刀和祥子「大体そんなところですね。他に考えられるとすれば、中華文明圏の宗主としての意地みたいなものがあったことくらいでしょうね」
鞍馬彰吾「朝貢国であるべき高句麗が、自分に対して中指を立てているという現状が我慢ならない……ということですか?」
刀和祥子「そうでしょうね。こうして、6世紀末から7世紀に掛けて、隋が高句麗に対する遠征を数回行います。このことが朝鮮半島での三国の戦いに影響を与えることになるのです……が、ページサイズの都合もありますし、今回の授業はここで終わりにしましょう。次回は、隋の煬帝が1回目の高句麗遠征を実行する611年からの歴史を勉強しますね」





2005年1月30日付追記

鞍馬彰吾「ところで、1つ聞きたいんですけど……」
エヴェリーナ・ミュンスター「何かしら?」
鞍馬彰吾「どうして、新羅による朝鮮半島の記録を二分割したのですか? 元々は、このページの中で新羅の朝鮮統一まで話を一気に進めていたはずですよ?」
エヴェリーナ・ミュンスター「確かにそうだったわね。でも、後の時代の記録をまとめている途中で、いくつか気付いたことがあったの。そのせいで、過去に公開済みだった記事を修正する羽目に陥ったんだけど」
鞍馬彰吾「何があったのですか?」
エヴェリーナ・ミュンスター「高句麗滅亡(668年)から渤海の前身となる『震』という国の建国(698年)までには30年間のタイムラグがあるんだけど、この間に発生した事件の説明を行う為には、高句麗の滅亡から話を繋げたほうが都合がいいと分かったのよ。事実、朝鮮半島情勢が落ち着き、話の区切りをつけるのに丁度良い時期を迎えるのは、震が渤海と改称し唐の冊封体制に組み込まれた713年のことだしね」
鞍馬彰吾「なるほど……」
エヴェリーナ・ミュンスター「本当は別の理由もあったんだけどね」
鞍馬彰吾「え?」
エヴェリーナ・ミュンスター「次の授業で取り上げる7世紀の戦争だけど、調べれば調べるほど色々と面白い話がごろごろと出てくるのよ。これなら、1回分の授業枠を確保するだけの価値はあると思ったわけよ。最初は劇形式での記事作成も考えていたわ
鞍馬彰吾「どうして劇にならなかったんです?」
エヴェリーナ・ミュンスター「作者の時間が無かったから」
鞍馬彰吾「……ダメじゃないですか」
エヴェリーナ・ミュンスター朝鮮史を題材にして、政治的に中立で面白い劇を作ることができるのって、実はこの時代だけなのよ。だから、暇があったら劇にしたかったんだけどね……」




目次 / 前の時代へ / 後の時代へ



Copyright (c) APRIL FOOL all rights reserved.