想い出の鉄道写真

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偶然にも引き出しの中から出てきたネガフィルムは少年時代に胸ときめかせて撮った鉄道写真。子供がモノクロ・ハーフサイズでとらえた写真ですので、写真としては ??? ですが、昭和40年代にちょっとだけタイムスリップしてみたいと思います。

総武線沿線風景

昭和40年代までの総武線(新宿〜千葉)には、蒸気機関車あり、気動車ありと鉄道車両の宝庫でした。

 

千葉行き101系通勤電車を C58 型蒸気機関車牽引の貨物列車が追い越します。多分新小岩あたりであったと思います。定かではありませんが・・・・・

こんな風景が日常見られたのでしょう。今は、蒸気機関車も貨物列車も101系通勤電車も見ることはできません。

駅の風景もガラっと変わったものと思います。後方に見える跨線橋に当時が偲ばれます。

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田町電車区

品川・田町間に都心一等地に広大な電車の車庫があります。当時は東京鉄道管理局田町電車区と呼ばれ、東海道線を行き交う様々な電車を見ることができました。

 

田町電車区で休憩する153系急行型電車

東海道本線の急行に使用されていましたが、113系にまざって各駅停車にも使用されていました。急行型のため1両の前後両端に2ドアでしたので、ホームで待つ時に1両3ドアの113系と乗車位置が異なり面食らったりしたのも遠い想い出になってしまいました。

東京から大阪まで走る臨時急行にも使用されていました。この車両の椅子で大阪まで出張したサラリーマンもいたのか、電車も人も高度成長のバイタリティーにあふれていたのでしょう。

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4っつドア、時々3っつドアの現在の東海道線とは隔世の感あり。

東京機関区

田町電車区の田町駅よりのはずれに東京機関区がありました。今では見ることができなくなったブルートレインを牽引する機関車が休息をとっています。
昭和40年代は、当時の新型機関車EF65を筆頭に旧型機関車の代表EF58型など様々な機関車を見ることができました。
ブルートレインもまだまだ健在であった当事、EF65のヘッドマークも『あさかぜ』、『さくら』、『富士』、『はやぶさ』、『みずほ』などオールスター揃い踏みでした。

 

当事の華は、天皇陛下お召し列車機EF58-61です。

ピカピカに輝く渋い色の車体が今でも印象に残っています。機関車に、わびさびといったものを感じたりもしました。

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今は無き東京機関区とそこに集った機関車達、つわもの共が夢の後。

国府津 根府川 の風景

東海道線国府津駅から御殿場線に乗り換えです。昭和40年代まで、御殿場線にはD52型蒸気機関車が牽引する客車が走っていました。
首都圏で蒸気機関車が見られる貴重な路線。D52の雄姿をシャッターにおさめながら、東海道線の各電車もしっかりキャッチです。
根府川橋梁は昔も今も絶景撮影スポット。できればカラーで撮りたかった所ですが、子供のぶんざいでは白黒がよろしいようで !!
根府川の風景は今でも変わりません。何かホッとします。

 

国府津駅のD52蒸気機関車牽引列車発車シーンです。

まっすぐに昇る煙は、これからの山道勾配への力を蓄えているからでしょうか。運か良いとD52の重連も見られました。

駅の風景も、どこかノスタルジックでのんびりしています。

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>> 国府津 御殿場線 の写真集へ 2006617日追加)

新鶴見操車場

横須賀線や湘南新宿ラインの新川崎駅周辺にはJR貨物の機関車が集結していますが、昭和40年代までは、首都圏の貨物をあずかる広大な操車場がありました。
今では当事のにぎわい・繁忙・激務ぶりを偲ぶよすがもありません。電気機関車、ディーゼル機関車に加えて首都圏で残された数少ない蒸気機関車が活躍していました。
夜遅くなると蒸気機関車の汽笛が多摩川を渡り大田区や世田谷区まで聞こえることもあり、秋の夜長などは、独特の響きが郷愁を誘いました。
当事は現在の横須賀線・湘南新宿ラインが、川と新見操車場を結ぶ品鶴線(ひんかくせん)と呼ばれる貨物専用の路線だったのです。
余り天気が良くない日だったのか、薄暗いぼ〜とした写真で申し訳ありませんが、少しでも当時を思い起こすことができればと思います。

 

バックで有蓋貨物・車掌車や自動車輸送車を牽引して行き先別に振り分ける大正生まれの9600型機関車です。

懸命な働きぶりが印象的でした。まだまだ若いものには負けないベテランの味をかもし出しています。

後方の給水塔や、更に奥に見える蒸気機関車の煙に、当事の活況が偲ばれます。

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東京駅の日常風景

昭和40年代の東京駅プラットホームで見られた日常風景です。
日々繰り返されていた風景ですが、今あらためて見ると、昔日の感があります。
まだ、東海道線と横須賀線が同じ線路を走っていました。横須賀線・総武快速線の東京地下駅はありません。横須賀線の東戸塚駅もまだありませんし、東海道線の横浜の次は大船でした。(横須賀線は横浜を出発すると保土ヶ谷、戸塚、大船の順で停車しました。)
夜のとばりが下りる頃ともなると、ブルートレインの出発ラッシュです。あさかぜ、さくら、富士、はやぶさ、みずほ・・・・・。

 

東京駅ホームで出発準備中の横須賀線70系電車。2枚窓の先頭車両が印象的でした。

ホームそのものの風景は、今とそんなに変わりません。

この頃は、まだクーラーが有る電車は多くありませんでしたが、それでも我慢できたのですから、やはり地球は温暖化しているのでしょうね。

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ありし日の常磐線

常磐線、当時の平(現在のいわき)以北が電化前の写真です。
C57、C61、C62が牽引する旅客列車が行き交い、D51が或る時は重連で貨物列車を力強く先導していました。特に寝台特急ゆうずるの先頭を飾るC62の雄姿が人気でした。
平には扇形機関庫があり、入庫する大型蒸気機関車が水と石炭を補給し、休む間もなくで方向転換して、次の任務に向かっていました。
さすが、東北本線と並ぶ幹線です。スーパーひたちやフレッシュひたちが走り抜ける現在の常磐線からは、とても想像できない貴重な風景をこの目で見られたことが信じられません。

 

 

(現在のいわき) の扇形機関庫です。

C57、C62、D51がしばしの休憩をとっています。

目も前には転車台があり、蒸気機関車ならではの方向転換の風景がみられました。それにしても、上野駅からそれ程遠くない所にある、蒸気機関車の宝庫でした。

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高崎駅の風景

上野から高崎線に乗り高崎駅へ、当時は115系各駅停車でした。高崎は、日本海への旅をいざなう上越線と軽井沢・佐久・信州長野を結ぶ信越本線の分岐点で、更には、八高線、両毛線、長野原線(現在の吾妻線)、上信電鉄が加わり昔も今も交通の要衝です。当時(昭和40年代)は、上越新幹線も長野新幹線も無く、上野を起点として日本海沿岸へ向かう列車が頻繁に行き交い活況を呈していました。
上越線経由では、有名な清水トンネルを抜けて雪国新潟へ、信越本線経由では、横川からの急勾配を登り軽井沢へと抜けて行きます。鉄道ファンにとっても様々な列車をウォッチできる重要なポイントでした。
撮影の合間に食べた『だるま弁当』は、今も昔も変わらぬ味で旅を演出しています。

 

ホームで出発を待つキハ11型気動車と
高崎〜横川間の区間運転待機中の旧型国電です。

多分、八高線のキハ11型気動車と思われます。

この気動車の奥には、旧型客車がチラッと写っています。

チョットのどかな夏の高崎駅です。

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これからも追加して行きます。乞うご期待。

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