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一人の男が空を見上げて立っていた。 空には満点の星がきらめいている。 男は天をにらみつけ、得物、青龍偃月刀をふりあげた。 「でやっーーーー」 ぶーんと空気がうなりを上げる。 男はため息をふうーとついた。 「やはり天は斬れぬか・・・」 関羽にとって天とは何か解らない。 だが、それを斬ることによって夢が叶う。 漠然と彼はそう思っていた・・・ 彼の名は関羽。字は雲長。 赤ら顔の立派な髭を持つ長身の偉丈夫である。 はるか昔、劉備、張飛と桃園にて義兄弟の誓いをして以来、 行動を共にしどんな苦境でも劉備を助けて戦ってきた。 そんな彼も今は曹操の元にいる。 白馬の戦いで先鋒を務め敵将、顔良を斬るという手柄を立てて 許都に凱旋してきたのであった。 与えられた屋敷の庭で、自らの得物、青龍偃月刀を振り上げて 関羽の心は決まっているはずだった。 手柄を立てて曹操には取り立ててもらった恩返しをしたのである。 一刻も早く劉備の元へはせ参じたい・・・。 はせ参じたいはずなのに・・・ − わしには勇気がないのか・・・ − 劉備は今、袁紹の元にいるのだ。 だが、戻るには捕虜になっている劉備の妻子も連れて行かねばならない。 再び関羽は天を見上げため息をついた。 曹操は追手を出すであろう。逃げ切れるだろうか。 関羽は今度は巨大な庭石に向かって青龍偃月刀を振るった。 「でやっ!」 カキン!刃が跳ね返された。 その時、屋敷の中から声がした。 「心に迷いがあるからではないか。」 「文遠。」 関羽が振り向くと屋敷の中から張遼が庭に出てきた。 「強引に上がらせてもらった。貴殿の心の内を聞きたくてな。」 「心の内か・・・」 関羽と張遼は、張遼が呂布の配下でいた頃からの顔見知りだった。 以前にも、白馬の戦で関羽が顔良を斬る手柄を立てる前に、張遼は関羽に 会い話をしていた。 曹操に言われて心の内を聞いてほしいと頼まれたからだ。 関羽はきっぱりとその時に、 「曹公が私を厚遇して下さるのは知っておる。しかし、わしは 劉将軍から厚い恩義を受けており、一緒に死のうと誓った仲だ。 曹公の下に絶対にとどまることはないが、恩返しをしてから 去ろうとおもっておる・・・」 と張遼に話をしていたのだ。 そして、顔良を斬るという手柄を関羽は立てた。 張遼は再び関羽の心を確かめに来たようなのだ。 「わしが去ると言ったら、貴殿は曹公に報告をし、わしを監禁するので あろう。」 張遼は紫の瞳を伏せて、 「確かに、丞相は私の主君だ。しかし、貴殿は私の友でしかない。 報告するのは当然ではないのか。」 「ふん。しかし、わしの気持ちも察してほしい。 わしが劉将軍、桃園の誓いで義兄弟になった兄者の元へ帰りたい気持ちも わかろうが。」 再び関羽は青龍偃月刀を石に向かって振るった。 カキン! 跳ね返される。張遼は関羽を見つめて、 「わからぬな・・・どうして劉備という男にそこまで心酔できるのだ。 私は丞相に心酔しているわけではない。 いや、今まで仕えてきたどの男にも心酔などというものはしたことが ただただ言うがままに従ってきた。」 関羽は張遼のほうに向かって歩いてきて、 「おまえは不幸だな。確かに呂布や董卓なんぞに仕えていれば、 心酔だなんて言葉は出てこぬか。それともその特殊な力ゆえの おまえの稲妻の力で随分と死ぬものたちを見てきた。 恐るべき力よ。」 「あのような力などなくとも、手柄を立ててみせるわ。 丞相は智勇兼備のすばらしきお方だ。私は丞相の元で 「それがおまえの生き方ならわしは何もいうまい。 いう権利もない。」 関羽はくるっと背を向けると、 「早く曹公に報告をし、わしを監禁するがよい。 張遼は庭に下りて来ると、関羽が斬ろうとした巨大な石を見つめた。 「この石を斬ることに私が挑戦しても、私に出来るだろうか。」 張遼の言葉に関羽は振り向いた。 「何?」 「貴殿が劉備の元へ帰りたいと叫びつつ、捕まるのではないかとの迷い 張遼は石をじっと見つめながら、 「主君をそこまで心酔できる貴殿がうらやましいのかも知れぬな。 きっと劉備の下で死ぬのなら、貴殿はなんの後悔もない人生を送れる のだろうな。」 そういいながら張遼はかすかに笑った。 「私には劉備のどこがいいのか理解は出来ぬが。」 スッと張遼は庭から出口に向かった。 「文遠?」 「行くがいい。迷うことはない。信じる道を行ってこそ関雲長だ。」 「監禁しないのか。曹公に報告をするのだろう。」 「2日ほど待ってやる。今、行かなければ一生、後悔するぞ。」 そう言うと張遼は庭を出て行った。 関羽は再び巨大な石をにらみつけた。 青龍偃月刀を振り下ろす。 スパン! 真っ二つに石は斬れた。 関羽の心は決まった。 それから2日後、張遼は曹操に報告をした。 側近の者たちは曹操に追手を出すように、言ったが曹操は首を振って、 「関羽は充分、わしの恩義に答えた。追ってはならぬぞ。」 と言い、追手は出さなかった。 しかし、それを不満に思う男がいた。 夏侯惇である。 曹操の従兄弟で、旗揚げ当時から付き従っていた武将である。 隻眼で、気性の荒いことで有名であった。 「ええい。丞相・・・関羽を逃がしたら後にわれらの敵となり災い となるいうことが解らぬのか。わしが行って斬ってくれる。」 そう思うと馬を飛ばし後を追いかけた。 張遼は夏侯惇が馬を飛ばしていったのを見ると、後を追いかけた。 「将軍!どちらへ行かれるのですか!」 「決まっている!関羽を斬る。」 「お待ちください!丞相が追ってはならぬと。 命令違反になりますぞ。」 「うるさい!関羽が災いとなってからでは遅いのだ。 解らぬのか。」 「行くというのなら私がお相手いたします。」 張遼が馬で回り込み夏侯惇をさえぎった。 「ふん。わしの相手になるというのか。文遠! 片腹いたいわ。」 夏侯惇は方天戟、張遼は槍を構え互いに突進した。 ガキッ! と得物がぶつかり合い、火花が飛び散る。 「そもそもわしはおまえが気に食わなかったのだ。 なぜ、力を封じたっ!」 夏侯惇の叫びに張遼も叫ぶ。 「あのような力がなくとも充分お役に立つ自身がある!」 「天下を獲るのにそんな甘いことを言ってどうするのだ。 少しでも巨大な力が我が陣営には必要なのだ。 丞相の天下の為に!力を解放しろ。」 「断る!」 再び得物がぶつかる。 互いに打ち合うこと、数十合にも及んだが、決着がつかない。 夏侯惇が息を荒げながら、 「くっそー。頑固なやつだのう。おかげで今から追ってももう間に 張遼も夏侯惇をにらみつけ、 「続けますかな。将軍?」 「いや、やめだ。」 夏侯惇はあきらめたように、張遼から離れると、 「わしは戻る。とんだ邪魔が入ったものだ。」 そう言うと背を向けて許都に戻って言った。 張遼は夏侯惇の後ろ姿を見送りながら思った。 − なぜ、そこまで主君に心酔することが出来る?わからない。 私の心の行き場はどこにあるのだろうか。 − 張遼は天を見上げた。満天の星が輝いている。 なんだか無性に悲しかった。 同じ頃、関羽も再び星空を見上げていた。 大分、遠くまで逃げてきたので、一休みしていたのだ。 馬車には劉備の夫人たちが身体を休めていた。 青龍偃月刀を天に向かって構える。 − 兄者・・・雲長、兄者の下へ参りますぞ。 天もいつか斬ることが出来よう。 − ブンと天に向かって青龍偃月刀を振り上げた。 天を斬ったようなそんな気がした。
平成14年4月6日 |