■有職故実■ 
 
 
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年 中 行 事

平安の四季の行事
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正月
睦 月

正月 大饗 (だいきょう)
 正月に盛大に行う饗宴のこと。中宮(皇太后・太皇太后)と東宮の行うものを二宮大饗、大臣が行うものを大臣大饗といった。大臣の場合は、大臣に任命されたときにも行われる。


元日〜三日 歯固 (はがため)
 長寿を願って天皇に押し鮎、大根、瓜、猪宍、鹿宍などの食べ物を差し上げる儀式。この時、食品を載せる膳には譲り葉を敷いた。
 

七日 若菜 (わかな)
 山野に若菜を摘み、また、その場で宴を開いたり、和歌を詠んで楽しむ行事。
 若菜には、人の健康を維持し、万病を去り、邪気を除く力があるとされている。現代の七草粥とは別物。当時は、七種の春草の食べられるものを羮にしていただいた。また、この七種の種類も平安時代には確定していない。


上子の日 子の日遊び(ねのひあそび)
 平安時代の中期までは、若菜は正月七日ではなく、正月初子の日に行われていたため、若菜のことを子の日、または子の日遊びと呼んだ。


同七日 白馬節会 (あおうまのせちえ)
 天皇が紫宸殿の南庭で白馬を見て、その後宴を催す。
 白馬とは、葦毛の馬のこと。初めの頃は、青馬(青毛、もしくは青みをおびた灰色の馬)だったが、醍醐天皇のころより葦毛の馬に変わった。ただ、読み方のみそのまま残ったため、白馬を「あおうま」と読む。


九,十,十一日 県召除目 (あがためしのじもく)
 諸国の国司を任命する儀式。別名、春の除目。
 枕に見えるのは、その国司の任を得るために、宮中の女房(帝、中宮(后)、大臣などに接する機会がある)にまで就職活動をする人達の姿。


十五日 七種粥 (ななしゅがゆ)
 正月十五日、米、粟(あわ)、黍子(きび)、ひえ、みの、胡麻、小豆の七種で作った粥を、災禍を免れる願いをこめていただく行事。
 この粥を炊いた木で、子のない婦人のお尻を打てば、子宝に恵まれると言われていた。枕に見えるお尻のたたき合いはこれのこと。望の粥。この場合の望は十五日という意。


三月
弥 生

三日 三月三日の節供 (せっく)
 三月三日の節日に、桃花餅を供物として食すること。現在のように雛人形を飾る習慣はまだない。
 雛祭りは、同じく三月三日の上巳の祓にて、祓えの人形(ひとがた)を水に流した物が、後に立派な人形に変化し、そのまま棄てられるのではなく飾られるようになり、江戸時代にいたって平安時代の宮廷を真似て飾るようになったこと、三月三日に関係なく行われていた平安時代からの女の子の「ひひな遊び」としての人形遊び、江戸幕府が三月三日の節日を五節句として定めてことが重なりあって発展したものと思われる。


上巳の日 上巳祓 (じょうしはらえ)
 三月最初の巳の日に、川・海などの水辺で祓をして、その年の邪気を祓う行事。中国から伝わったものと思われる。息を吹きかけたり、身を撫でたりした衣服や人形(ひとがた)を川や海に流した。後に、三月三日に定まって行われるようになった。


中午の日 石清水臨時祭 (いわしみずりんじさい)
 京都の石清水八幡宮で、ほぼ隔年に行われていたお祭り。石清水八幡宮は放生会が本祭であるので、この祭を臨時祭と呼ぶ。宮中では祭に先立ち試楽があり、当日は舞があった後、勅使が神社に向かい神楽を奉納した。


四月
卯 月

酉の日 賀茂祭 (かものまつり)
 賀茂神社(上社―賀茂別雷神社、下社―賀茂御祖神社)の祭り。
 牛車の簾や冠などに葵をつけたので、『葵祭』と呼ばれるようになる。単に「祭」と言えば、この賀茂祭を指す。
 祭に先立って、齋王(賀茂神社に奉仕する未婚の内親王)が齋院(齋王の住まい)から、賀茂川で御祓に向かう行列、祭当日の齋院より下社・上社に向かう行列を見物した。特に、祭当日の行列は壮麗で贅を尽くしたものであり、行列の通る一条大路には桟敷が立ち並び、貴賤を問わず争うように見物した。
 祭翌日、齋王が往路と道を変え、知足院・雲林院を経て齋院に帰るのを『祭のかえさ』と言い、前日と引き比べて比較的自由な雰囲気で見物した。


五月
皐 月

五日 端午の節会(たんごのせちえ)
 中国で五月を悪月とし、五日に数々の邪気を払う行事が行われたその風習が日本に伝わったもの。
 邪気を祓う効力があるという菖蒲を屋根に葺き、長寿を祈る薬玉を作って身につけたり、柱にかけ、粽を食べ、また菖蒲の長さを競う根合わせも行われた。天皇は武徳殿で節会を行い、群臣は菖蒲鬘(あやめのかづら)を着けて参列し、女蔵人から薬玉を賜った。
 近世以降、武家行事として、男子の節句となる。


七月
文 月

七日 七夕 (たなばた)
 中国の牽牛織女の説話(いわゆる七夕のお話)にちなんで行われる、星祭りの行事。天皇が神泉苑に行幸し、文人に詩を作らせ、牽牛・織女の2つの星を眺めた。しかし、平安中期には同じく織女星にちなんだ乞巧奠(きこうでん―女性が裁縫の上達を願う祭)の儀と集合し、宮中では清涼殿の東庭に果物・酒・花・金、銀の針・糸・鏡・箏の琴などを並べ、香炉に一晩中空薫物をたき、天皇は庭で星を見た。


九月
長 月

九日 重陽の節会 (ちょうようのせちえ)
 九は陽数の極で、それが2つ重なる九月九日は吉日。
 九月は菊の花を尊重するので、この節会を菊花の宴とも呼んだ。邪気を祓い、長寿を願うために、杯に菊花を浮かべた菊酒を飲む。また、前日の晩に菊の花の上に真綿をかぶせておき、菊の香が移った綿で顔や体を拭うと、老いを拭い去ることが出来るとして、これまた長寿を願った。
 天皇は神泉苑で文人を召し、詩を作らせたが、後に菊酒を賜うだけになった。


十一月
霜 月

下卯・辰の日 新嘗祭 (にいなめさい・しんじょうさい)
 収穫を感謝する祭祀。天皇が神々に新穀を奉じ、自らも食す。新嘗會(しんじょうえ)とも。辰の日の節会を豊明節会(とよのあかりのせちえ)と呼び、豊楽院で盛大な宴が催された。五節舞姫もこの時。
 勤労感謝の日の前々身だが、それはまた別のお話。


下卯〜午の日 大嘗祭 (おおなめさい・だいじょうさい)
 天皇が即位した後に、最初に挙行する大規模な新嘗祭のこと。即位儀礼のひとつではあるが、就任儀礼ではない。即位が七月以前ならばその年、八月以降なら翌年の十一月に行われた。大嘗會(だいじょうえ)とも。
 新嘗祭と同じく、天皇が初めて新穀を天照大神はじめ、天神地祗に献ずる儀式を行う。ただし、新嘗祭の二日に対し、大嘗祭は卯・辰・巳・午の四日間。この場合、最終日の午の日の節会が豊明節会となる。


豊明節会 (とよのあかりのせちえ)
 新嘗祭の翌日の辰の日、大嘗祭の場合は午の日に、臣下を豊楽殿に招いて行った大宴会。天皇が出御する公式なものである。天皇がその年の新穀を天神地祗に奉り、自らも食し、群臣に賜った。白酒(あまざけ)・黒酒(久佐木を焼いた灰とまぜた酒)も賜る。久米舞、古志舞、五節舞が行われた。


五節舞 (ごせちまい)
 豊明節会で行われる、姫の舞。起源は天武天皇が吉野宮に行幸の時、日暮れに琴を弾くと雲の中から天女が現れて舞姫となり、袖を五度翻して舞ったことされる。予行練習として、丑の日の帳台の試み(天皇が常寧殿へこっそり出かけてみるという形式)、寅の日の御前の試み(天皇が清涼殿に舞姫を召す)、卯の日の童女御覧(天皇が舞姫のお付きの童女を御覧になる)があり、本番は辰の日の豊明節会


五節舞姫 (ごせちのまいひめ)
 新嘗祭大嘗祭豊明節会五節舞に出演する舞姫のこと。公卿の娘から二人、受領の娘から二人選ばれた。但し、大嘗祭の時は全部で五人。他にも女御が出すこともある。本番三日前の丑の日に一人が参内、他の物は内々に参上した。豊明節会当日は、故事に習い五度袖を翻して舞った。


下酉の日 賀茂臨時祭 (かものりんじさい)
 賀茂神社(上社―賀茂別雷神社、下社―賀茂御祖神社)の祭り。
 四月の賀茂祭に対して臨時祭というもので、たまに行われるという意味ではない。宇多天皇の世に一,二回行われ、醍醐天皇の昌泰二年(899)より恒例のものとなる。
 祭に先立つ三十日に調楽を定め、祭の一、二日前に試楽があった。調楽とは楽所の場所を決定し、舞人、陪従等が歌舞の練習を行うこと、試楽とは天皇の前での予行練習。
 祭の当日は、使・舞人・陪従に宴を賜う庭座の儀、神社での本番、上社から戻ってから宮中で還立の御神楽が行われた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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