桜の葉

執筆者 佐原けいた  月夜の戯れ言


 あるところに、仲の良い双子の姉妹が居ました。
 一卵性双生児としてこの世に生を受けた二人の少女。双子の片割れの名を葉(よう)、もう片方の名を、桜(さくら)と云いました。
 彼女たちは見た目も性格も、生き写したかのようにそっくりで、知人友人はおろか、両親でさえ見分けがつかないという有様でした。
 実は彼女たちには、どちらが誰なのかを簡単に判別できる目印のようなものが存在していたのですが、二人は故意にそれを隠していました。
 よって、どちらが葉でどちらが桜なのか。それを知りうる人間は、この世に本人たちを除いては、誰一人存在しなかったのです。
 共に生き共に過ごし。それこそ同じ生を歩んできたと云っても差し支えない二人の少女。
 そんな二人に、『とある事件』 が降りかかったのは、彼女たちがリリアン女学園の高等部へと進学してから、暫く経った時のことでした。


「そういえばねぇ、私、『お姉さま』 が出来そうなんだけど」
 葉と桜はとても仲良しです。学園内だろうと学園外だろうと、大抵彼女たちは一緒に居ます。
 けれど、属していた部活は異なっていました。
 葉は写生部、桜は石膏デッサン部。
 ──無論今では両部とも存在はしません。分けていても仕方がないと云う事で、今では美術部として統合されています。
「へぇ、すごいね桜ちゃん。もしかして部活の先輩?」
 葉と桜は本当に瓜二つでした。けどそれでは学園生活において色々と不都合が生じると云う事で、簡易的に二人は、『目印』 を作っていました。
 葉は向かって左側に、桜は右側に、リボンで留めた髪房を垂らしていました。
 左が葉で、右が桜。
 結局は、どちらが右でどちらが左かを覚えられない人が多くて、あまり周囲に好評とは言いがたいのが現状でしたが。
「うん。まだロザリオ頂いたわけじゃないんだけど、一応、それらしいことを言われたから。でもその……葉ちゃん、怒ってない?」
 桜は葉を気遣っていました。まるで自分だけが抜け駆けをしたようで、気が咎めたのでしょう。
「そっ、そんなことあるわけないよ。いくら双子だからって、気を遣う時と遣っちゃいけない時があるんだぞっ」
「……葉ちゃん。それ、何だか日本語的に変」
「だからー、私は全然気にしてないってこと。でも、私にも紹介して欲しいかな。その、桜ちゃんの『お姉さま』を」
 すると桜は、にこやかに笑いながら頷きました。
「勿論。私が双子だって言ったら、ぜひ会ってみたい、って言ってくれたし。でもね、取っちゃ駄目だからね? いくら葉ちゃん相手でも、怒るよ」
「大丈夫。そんなことしないよ……多分」
「多分ってなによぉ」
 拗ねてみせる桜に、悪戯っぽい笑顔を浮かべる葉。冗談交じりのじゃれ合うような会話はいつものこと。
 そう、まだこの時二人は、冗談のつもりだったのです。


「あら、まあ……」
 石膏デッサン部での桜の先輩の二年生──海野芙雨(うみの ふう)は、流石に驚きを隠せないようでした。二の句を継げないままに、口は半開きにされたままです。
 そんな様子を見て、葉と桜は笑顔を見せ合います。
 一学年の中では二人の存在は割と有名だったのですが、どうやら二年、三年への浸透率は低いようです。
「ええと……駄目だわ、降参よ。どちらが桜ちゃんで、どちらが葉ちゃんか、私には見分けられないわ」
 ちょっとした悪戯心が顔を覗かせたのか、二人は、互いに髪を留めているリボンを解いていたのです。こうなってしまってはもう、誰にも区別は出来ません。
「ええと、すいません。私が桜で……」
 双子の片割れは、一歩踏み出しながらそう云って、
「私が葉です」
 続いてもう一人が踏み出して名乗る。見た目の仕草や纏う気配も、まったく同じものです。
「まるで桜ちゃんが二人……あら、ごめんなさい。葉ちゃんが二人、といってもいいのでしょうけど」
「いーえー、全然気にしてませんから」
 葉はにこやかに言う。他人のその手の反応は、二人にとっては慣れ親しんだものです。
「それに私、葉じゃないんです」
「え? まさか……それって」
 すると二人は、同時に頭を下げました。
「実は、私が桜で……」
「私が、葉です」
 ちょっとした悪戯の延長戦。二人はなんと、互いに入れ替わって芙雨に挨拶していたのでした。
 そしてまた、笑いあう二人。そんな二人を、眉間を指で押さえ、さも困り果てたような口調で芙雨は言いました。
「……困ったわねえ。これでは、どちらにロザリオを授受していいのやら判らないわ。間違って葉ちゃんに渡しても失礼だし。ごめんなさい桜ちゃん、この話は無かったことに……」
 それを受けて、今しがた葉と云って挨拶をした方が、弾かれたように言いました。
「ええっ、そんな困りますっ……あ」
 この場合、慌てて反応した方が桜と云う事になります。つまり二人は、まだ悪戯を続けていたのでした。
 年の功と言うべきでしょうか。芙雨の方が、この悪戯好きの双子よりも一枚上手だったようです。
「まったくもう、この子は」
「えへへ」
 芙雨はやれやれといった表情で、対して桜は照れたように。
 そんな二人を見て、葉は笑っていました。


 桜と芙雨はもとより、葉も芙雨とはとても気が合うようです。
 当然と言えば当然なのかもしれません。葉と桜は、それこそ異なるのは名前だけなのですから。
 桜と芙雨。そして葉も交えての時間は、とても穏やかで居心地が良くて。
 忘れていたわけでは当然無いのでしょうが、芙雨と桜の姉妹としての契りは、それから数週間がたった今でも、交わされずにいました。
 期限があるわけでも、ほかに特別な理由が在るわけでもありません。契りを結ぶのに急ぐ必要は全く無いのですが。何故でしょうか?
 誰かが、或いは皆が、三人で過ごす時間を惜しんだのでしょうか。理由は定かではありません。
 さりとて、いつまでもいつまでも、棚上げにしておけることでもないのです。
 しかし、桜がロザリオを頂けるようせがむよりも、芙雨が切り出すよりも。なによりも早く、その齟齬は生まれてしまったのでした。


「ねえ、葉ちゃん」
 桜の表情は、いつになく硬いものでした。
 二人は今、葉の部屋に居ました。勿論桜にも自室と呼ぶべき場所はありましたが、主だって二人は、家にいるときには、どちらかの部屋に居ることが多かったようです。
「なあに、桜ちゃん」
 読んでいた本をパタンと閉じて、葉は顔を上げました。勿論彼女は、双子の片割れの声がいつもより固いことに気付いていました。
「何か、私に隠してること、あるんじゃない?」
 やや強めの問いかけに、しかし葉は臆することもなく返します。
「ないよ」
「うそ! 正直に言ってよ。今ならまだ、怒ったりしないから」
「隠してないよ。というか、隠してるつもりは無い、って言った方がいいのかな」

 桜はここ数日違和感を抱いていました。
 自分と芙雨の二人で話している時に感じる、微妙な違和感。ズレ。ちいさなちいさな齟齬。
「葉ちゃんと芙雨さまが仲良くするのは、構わないんだよ? 芙雨さまも、葉ちゃんのことを気に入ってくれてるみたいだし」
「……」
「でもね、本当に葉ちゃんは、『葉』 として芙雨さまと接しているの?」

 二人を見分けるためには、その髪型に頼るしかありません。
 葉は左に、桜は右に髪房を垂らしています。
 しかし、葉が右に髪房を垂らしていたなら。そして本人が『桜』と名乗っていたならば。
 周りの人間たちは、それを信じるより他ないのです。
 そして葉は、桜が懸念した通りに、『桜』として芙雨と接していました。
 始めは勿論葉として接していたのでしょうが……彼女たちは双子です。見た目や性質、そして魂の在り方さえも、似てる、ではなく、『同じ』 なのです。
 桜が気に入ったものは葉も気に入るし、逆もまた然り。同じ人間に惹かれるのは、ある意味必然だったのです。

「……でも、私か桜ちゃんか、なんて芙雨さまには重要なことなのかな? 違うのは桜ちゃんが先に、芙雨さまと知り合った、っていうことだけで……」
「そんなのおかしいよ! 芙雨さまは、私を妹にしてくださるって」
 声を荒げる桜の言葉を遮って、葉はある意味、とても辛辣な言葉を紡ぎます。
「じゃあ聞くけど、私が葉であなたが桜ちゃんだっていう証明は出来るのかな? 私はお父さんとお母さんに『葉』と呼ばれていたから葉なのであって、桜ちゃんも同じだよね。でも、知らないうちに入れ替わってたら? 本当は私が桜で、桜ちゃんが葉なのかもしれない」
 二人の存在そのものを揺り動かしてしまう葉の言葉でした。
 二人が無意識に忌避していたその事実。
 葉は芙雨との関係のためにその事実に目を向け、桜は芙雨のために、その事実から目を背けます。
 葉の言い分は勿論不当極まりないものです。けれどそれは、ある意味桜の言い分でもあるのです。
 もし仮に立場が逆だったら──桜もきっと、同じ事を主張したことでしょう。
 相手を否定することは、自分を否定することと同義。
 結局、二人が悩みぬいた末に出した結論は──。


 数日後、桜と芙雨は姉妹の契りを結びました。芙雨の所有していたロザリオは、桜の首に掛けられたのです。
 まだ誰も登校してないリリアン女学園。澄み切った空気の元、マリア様が見守る前で。
「お受けします」
 芙雨のロザリオを受け取り、桜は微笑みます。
 そこで芙雨は、とある事実に気付きました。
 にこりと微笑む桜の首元、丁度セーラーカラーで隠れるか隠れないかのギリギリの位置。そこに、小さな痣があるのを見つけたのです。小さいが、割合はっきりとしたものでした。
 ですが、元より目立たなかったもの。裸ならばともかく、着衣のままでは、余程近付かなければ視認は難しいものです。
 その上に今では、ロザリオの鎖がそれを隠しています。
 そういえばと、芙雨には思い当たることがありました。
 髪型ではなく、私と葉を見分けるには都合のいい場所があるのだ、と。以前に桜が言っていたのを思い出したのです。
 もしやそれが首もとの痣なのかと芙雨は考えましたが、本人がそれを気にしているのなら、あえて指摘するのも悪いだろうと、芙雨はそれに関しては黙ったままでした。
 ただ、首元に痣のある方が自分の妹なのだと、そう考えることにしたのです。


 袂を別つこととなった双子の少女。
 そして、あたかも代替として生まれたかのような、新しき姉妹の絆。
 しかしその絆が、生まれてひと月と経たずに消え失せてしまうことを、誰が予想したでしょうか。


  
  ◇  ◇  ◇



「どう……かな?」
 個性的な髪型をした少女が、目の前で席に座っているクラスメイトに、いかにもおっかなびっくりといった風に声を掛ける。
 声を掛けられた少女は、手にしていた数枚のコピー用紙を机の上に置くと、いかにも醒め切ったような声色で言った。
「途中まで読ませてもらったけど……これ、きっとこれから芙雨と桜の出来たての姉妹が、何らかの事故に巻き込まれるんでしょう」
「ぎくっ」
「そうね……恐らくは生死に関わる重大な事故。結局二人は、少なくとも桜は結局、命を落とすことになる」
 ぱくぱくと、個性的な髪型の少女は声にならない声を漏らす。何故こいつはそこまで物語の展開を読みきれるのか、ただそれだけの疑問を頭の中で反芻しながら。
「生き残った葉は、形見となってしまった桜のロザリオを身に付けるようになる。そのロザリオのせいで、首元に痣が在るのか無いのか、傍目には判断できなくなる」
 個性的な髪型の少女は、もう言葉もなかった。
「本来スールが居ないのにロザリオを身に付けることは、風紀的には好ましくない。教師かシスターか、或いは友人がそれを指摘すると……」
「指摘すると……?」
 すると、饒舌すぎるクールな少女はやおら立ち上がり、儚げな声色で呟く。
「私が葉なのか桜なのか、教えて下さい。葉ちゃんが死んだのか、それとも桜ちゃんが死んだのか、誰か、教えて下さい……」
「ああああ」
 個性的な髪型の少女は、頭を抱えて教室の床にしゃがみ込んだ。対して、妙な物真似を終えた少女は、無慈悲極まりなく言う。
「でも、このままでは桜組伝説としては収まりが悪いから……そうね、翌年、何らかの理由で二年李組が、二年桜組と改名される。全校の生徒たちが、改名の理由を噂し合った。その中の噂の一つが、桜組に在籍する葉という少女。本当の名を桜と云う……」
 こんなところかしら紫音さん、とクールな少女は、実にそっけなく言った。すると、紫音と呼ばれた少女は、
「不破峰(ふわみね)さん、もしかしてあなた、私のファン?」
「冗談は髪型だけにしておきなさい。私が貴方のファンである可能性は、例えば太陽が西から昇って東に沈む可能性よりも低いわ」
「ちょ、ちょっと傷ついたりして……」

 ここはリリアン女学園高等部、二年桜組の教室のとある一角。
 来たる文化祭に向けての準備──桜組伝説という冊子をつくり、それを店に置くという。その準備に皆余念がないらしく、教室内は妙なテンションに包まれていた。
 桜組伝説と云うのは、『何故、二学年にだけ桜組が存在するのか』 ということに関する物語、詩歌、論文などを皆から募集して、一冊の本に纏めたもの。そのタイトルのことを云う。
 教室内を見回せば、机に向かいノートに何かを綴っている者、或いは資料だろうか、分厚い本を紐解いている者など、各々精が出るようだ。

 そんな中で、紫音が不破峰に差し出したのは、数日前に桜組伝説に関する作品を募ってから、提出された第一号に当たる。
 ちなみに不破峰というのは、桜組伝説を提案した文芸部の少女のことである。

「そうねぇ……紫音さんの書かれたお話、お話の展開は見え見えね。双子ネタってことだけで、オチまで読める人も居ると思う」
「……すんません」
「別に批難してる訳じゃないわ。多分他の方はまだ、構想すらロクに練れてない事でしょう。そんな中で、紫音さんだけがこれだけ早く仕上げたという点に関しては、素直に評価したいわね」
 どうやら不破峰は、紫音の作品をどう扱うか、計りかねている様である。確かに問題点の多い作品ではあるのだが──。
「ようし、決めた」
「なにをー?」
 紫音は、折角書いたお話にダメ出しを喰らいまくって消沈している。
「これ、タイトルは?」
「さ、桜の葉……」
 べたべたね、と不破峰は溜め息をつく。何故だか知らないが、紫音はとても悲しくなった。
 だがしかし、不破峰が続けて言ったことは、そんな紫音を仰天させるに相応しいものだった。
「──では、紫音さんの書かれたこの、『桜の葉』 を、作品例として皆に公開します」
「ええっ!?」
「貴方に拒否権はありません」
「あるよっ。どうして私だけが作品晒さなきゃいけないわけ? しまいにゃ怒るぞ、こらーっ」
 がなりたてる紫音。しかし不破峰は表情一つ変えない。まるで人形みたいだと紫音は思う。
「安心して。ちゃんとこの作品も収録するから」
「そういう問題じゃないってばさ」
「まあまあ、そう尖がらないで。いいじゃない。内容はともかく、貴方筆は早そうだし。一人一作品と決めてるわけじゃないのだから、幾つでも書いて下さればよろしいわ。貴方は、それなりに文章を書き慣れているのでしょう?」
「……」
 そう指摘されて見れば、確かに紫音には思い当たることがある。
 不破峰は文芸部だから、文章の読み書きには慣れ親しんだものだし。当の紫音に至っては──。
 やがて紫音はしぶしぶと頷いた。
「ありがとう。紫音さんが居てくれて、よかったわ」
 にっこりと不破峰は笑う。それはこの、クールなクラスメイトにしては有り得ないほどに可愛らしいものだった。不覚にも紫音は胸を高鳴らせてしまう。
「い、いいえ、こちらこそ」
「じゃ、紫音さんのノルマは短編三つ。これでいいわね?」
 たおやかな笑みとはうって変わり、今度は能面のままに言い放つ。
「……」
「何なら長編三つでも、構わないけれど」
「短編三つ!」
 肩を怒らせる紫音。しかし不破峰はどこまでもクールである。全く、あの笑顔にひと時でも飲まれてしまった自分が恨めしい。
 紫音はどすどすと、淑女らしからぬ音を響かせて自分の席へと戻っていく。
 そんな紫音の背を見つめる不破峰の視線は、幾分柔らかなものであった。


 かくして、ようやく彼女にとっての桜組伝説は、幕を開けたのである。

 


戻る