さかき歯科クリニック

東京都豊島区有楽町線・副都心線「千川駅前」のさかき歯科クリニック
診療科目 : 一般歯科・矯正歯科・小児歯科・歯科口腔外科
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地域情報

要町・千川は大正から昭和初期にかけて広範に耕地整理が行われたため、地域の大部分には碁盤の目状に生活道路が整備されています。その為、敷地規模が比較的大きな戸建住宅が多く、庭木やガーデニングなどの緑が豊かな住宅街です。

豊島区による千川・要町を含む「豊島区西部地域の現状と特性」によりますと、土地利用の割合は住宅が66%(2000年現在)で、豊島区の中で最も住宅地としての性格が強いようです。区全体では人口よりも昼間人口が多いのですが、この地域では人口が昼間人口を大きく上回っているのも特徴的です。

要町・千川から少々離れますが、椎名町駅や東長崎駅の西武池袋線沿線は活気ある商店街が形成され、また、住宅地の密着した地区にも小規模の商店街が散在しています。どこか懐かしく感じる事が出来る場所ではないでしょうか。日本を代表する画家、文人、漫画家が住み、才能を開花した場所でもあるので、どことなく文化的香りがするかもしれません。
緑豊かな要町通り(池袋駅西口〜環七)の沿道には、広域型の商業施設や事務所ビルなどが立地しはじめており、豊島区の新たなメインストリートとしての街並みが形成されつつあります。

要町

要町〜千川間にある
「熊谷守一美術館」(豊島区千早町)
要町の由来は旧長崎町のほぼ中央部、扇の要の位置にあることから名付けられたと言われています。

要町・長崎周辺は昭和初期にアーティストの為の借家群が出現、「アトリエ村」が形成され始めました。やがて現在の有楽町線・要町駅周辺に、さくらが丘、つつじヶ丘等の集落が形成され、昭和10〜20年頃には、パリ南西部の芸術家居住地にちなみ「池袋モンパルナス」などと呼ばれていました。

今ではその名残は少ないものの、周辺に美術系の学校が存在するあたり、当時の活気が伺えます。

千川

千川駅徒歩5分程の所にある
水道タンク(板橋区大谷口)
千川の由来はかつてこの地に、「千川上水」が流れていたところからきています。

千川上水は、江戸五大水道の一つで、幕府の命により河村瑞軒が設計、多摩郡仙川村の百姓太兵衛、徳兵衛が工事を請け負い、元禄9年(1696)に完成させました。玉川上水を現在の西東京市(旧保谷市)で分水して、巣鴨の溜池まで開き、本郷・湯島・浅草方面 に給水していました。工事にあたった仙川村の太兵衛、徳兵衛に完成の功によって村名の仙川に因んで千川の姓を賜ったことから千川上水と呼ばれたということです。

この「千川上水」、農業用水以外に、産業用水としても利用されるようになりましたが、明治の頃から流域の宅地化が進み、やがて環境の悪化や道路の拡張・新設の必要から、暗渠化の動きが出てきました。それでも大正天皇即位の折には、その記念事業として上水堤沿い約4kmにわたって千数百本の桜が植えられ、東京の桜名所のひとつに数えられるほどでしたが、都市化の波には勝てず、川筋のほとんどが土の下に埋められました。見事だった上水沿いの桜も大部分が枯死してしまい、暗渠化の跡に整備された千川上水緑道(練馬区石神井)にわずかにその名残をとどめています。

小竹向原

小竹向原駅前
小竹向原(駅名)の由来は練馬区小竹町と板橋区向原町からきています。

向原団地や住宅街が広がり、幼稚園や小学校が点在するので子供達の元気な声が聞こえます。また、周辺には日大芸術学部や武蔵野音大、武蔵大(以上練馬区)があり、学生向けのアパートも多く学生街の一角を担っています。
※参考文献 豊島タウンガイド

 
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