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まえすとろ日記へようこそ!

2004/5/27 (Thu)  蕨少年合唱団 その5

当時、蕨少年合唱団の指揮者のヒラカン、西六郷の‘鎌典(カマテン)’、そしてカラヤン、そのくらいしか指揮者の名前を知らなかった私であったから、
「指揮者:山口 貴(やまぐちたかし)」に、合同練習の数百人の中でたった一人、褒められたときには、天にも昇る気持ちだった。

『ベルリオーズ/テ・デウム』
後にも先にもレコード(CD)を含め、これを聴いたのは、クラシックの殿堂である、東京文化会館で歌ったあの時(たしか、小学校5年の時であった)だけである。

ラテン語の詩で、そして編成が大きい(オーケストラ、混声合唱、及び少年(少女)合唱)ため、日本ではまず演奏されない曲であるこの「テ・デウム」を
どんな経緯で我、蕨少年合唱団が参加したは定かでないが、
私にとっては『指揮者になりたい』という気持ちを決定づけた、大変貴重な経験であった。
はっきり言って、日本の子供には難しい歌であった。

「テーデー、テーウーパーチェ、オムニス テーヘラべーネーラートゥ(?)........」
訳も解らなく、とにかく、先生が書いてくれたカナだけを頼りに、必死で、とにかく、必死で覚えた。
‘オーケストラと共演できる’という憧れと興奮も手伝って、学校の勉強もそっちのけで、毎日自宅でも練習した。

そして、本番数日まえの、コーラスの合同練習の日、合唱の通しが終わった私達に、指揮者の山口貴先生がこう言ったのだ。

『本番、自信がある人?!』
勿論、私は迷いもなく、ひときわ大きな声で答えた。

『はーーーい!!!!!!!!』

静まりかえった300人以上の少年(少女)の中で、たった一人の返事だった。

『うわ〜、すごい!!君は将来大物になれる!!!』

山口先生のこの無責任な‘一言’で、私は将来を決めてしまったのだ。
「よし、指揮者になろう!!!」.....と。


前略 山口 貴 様
私は、今、自分の才能に悩み苦しみながら、それでも指揮者を続けています。
憧れのあなたは、今、いかがしていらっしゃいますか......。
2004/5/24 (Mon)  復活!!!

今朝、起きて、ようやく腰が軽く感じた。
まだ、ハリは残るものの、腰を気にせず体を動かすことができる。
この2週間は散々だった。
メールや電話で、たくさんの人から心配とお見舞いの声をうかがった。
「何処で、私が‘ぎっくり腰’をやったことを知ったのだろうか..?」
心配していただいた方に、そんな人もたくさんいた。
「(こんな事を言っては申し訳ないが)たまには、具合も悪くなってみるものだな〜」
たくさんのお見舞いに、(孤独ではないんだ....)と実感した。
本当に、人の温かさに触れた2週間だった。

『さあ、また、明日から、思いっきり振るぞ!!!こうして応援していただいている人のためにも......』
2004/5/22 (Sat)  激痛から鈍痛へ......。

ようやく、腰に回復の兆しが見えてきた。
とにかく、立つより、寝る方が、そして何より座るのが痛い。
この一週間、パソコンに向かうのも辛かった。
ようやく、今日になって、状況が多少良くなり、
痛さも弱まってきたのをいいことに、たまっていた事務仕事をや、メールをうったり、
そして、日記を書いたりと、気が付くと現在、23日(日)の午前2:15......。
さすがに、腰が重く痛い......。
また、ぶり返さないうちに、今日は帰って寝るとしよう。

明日は、なんとオフ!!!
(本当はブラスの指導の仕事だったが、腰痛がひどい時に、キャンセルしてしまったのだ...)
もし、この日記を読んでいたらすみません。

『ご心配かけておりますが、あと少しで回復いたします。』
2004/5/19 (Wed)  まだ、苦しんでいます。

まだ、腰の痛みから解放されず苦しんでいる。
今週末まで、指揮台に立たなくていいのが救いだが.....。
体験した人は分かるだろうが、寝ても痛いし、座っても痛い、ずっと立っている訳にもいかず、かといって(立って)指揮を振るなんてもってのほか!
とにかく、安静しかないのだろうか......。

タイミングが悪く、上の娘が昨日から発熱(高熱)した。
辛いらしく、私に向かって「ね〜、だっこして....」
そりゃ、パパだってそうしたいよ.....でも、腰が.....。


最近、音楽の話題がなく、本来の‘まえすとろ日記’から逸脱しているが、
そういえば、三日前の日曜の本番(合唱)は、意外と上手くいった。
プロの合唱ではないので「声が素敵!」とは言いがたいが、棒に団員が集中してくれて、いい音楽ができたと思う。
お客様の反応もよく、PPで音が鳴り止んで、数秒後に「hoo〜」という大きなため息と、そして熱い拍手がおきた時には、私自身も、結構満足できた。

10年前の私は、本番の演奏はあまり覚えておらず、結構そのつど大満足だったが、しかし、最近は妙に冷静で、終わった後に結構いろいろと気づく(思い出す)ことが多い。
今回の本番でも、歌い手が歌詞をまちがったり、伴奏が落ちたり、ザッツがずれたり、子音(言葉)がずれたり、聞こえずらかったり....歌っている本人達も気がつかないこともたくさん.....)
覚えていることも、指揮者にとって重要で、進歩なのだが、
昔のように、ノー天気で何も覚えていない(とにかく「よかった」)と満足していたときが(後に録音を聴いてがっかりはするのだが)ある意味、懐かしく、幸せだったように思う。
もっと、いい所だけを大事に、そして評価できる指揮者にならなくてはいけない。
上手くいったんだから、もっと合唱団の前で喜ぶべきだった.....。
それが、今回の大きな失敗であった。

そういえば、小さい頃、大人が言っていたっけ....。
「世の中には『知らないほうが幸せ』ということが、たくさんあるんだよ」と....。
2004/5/18 (Tue)  ぎっくり腰......再発......いたたた.......

ぎっくり腰が、再発(悪化)してしまった。
先週のはじめ‘ある動作を’きっかけに、ぎっくり腰をしてしまった。
大事にはしていたものの、痛み止めの薬を飲みのみ、なんとかごまかしながら仕事(指揮)をしていたが、日曜日の本番のあとから、再び悪化してしまった。
薬で痛みを抑えていることも忘れ、いつも通りのパフォーマンス....。
そして、本番を終え、自宅に帰ると、いつもどおり娘達が飛びついて......。
現在、私の腰は悲鳴を上げ、最悪の状態。
こうして、座ってパソコンを打っているのも辛い.....。
こればかりは、同じ経験を持った人にしかわからないだろう。
とにかく、今日は安静に......。

本当に「辛い......」
2004/5/12 (Wed)  いたタタ.........。

朝、目が覚めた.......
.....やはり、だめだった。

指揮者であることを悔やみ、しかしながら、薬剤師を妻にできたことを喜んだ。
(なぜか)家にある、薬のストックの中から、痛み止めを中心に処方してもらい、それを胃の中に押し込んで、合唱のリハーサルに行った。
今週末(日曜日)本番があるので、今日はどうしても休めず、この仕事をしていることを(有休のある仕事だったら.......と)恨みながらも、練習に熱が入る。
「そのうち、薬が効いてくるから」の奥さんの予言どおり、練習も終盤にさしかかると、いよいよ絶好調になってきた。
吹き出る汗は、熱烈な指揮のせいか、それとも、夢中になってとりあえず忘れている‘痛さ’からの冷や汗か....。
しかしながら、いつにも増して元気な自分がいる。
「こんな事なら、午後の仕事もキャンセルしなければよかった」(私は看護学校にも音楽の講義にいっている…これについては、昨日、他の授業の手配をしてもらうため、あらかじめ休講の連絡をしておいた)と思ったのも束の間......
夕方に近づくと、薬の効果もうすれてきたのか、いよいよ辛くなってきた。
‘若い、若い’と思っていても、四十二.....。
体はやはり正直だ.......。

夜、ようやく家路に辿り着いた時の薬剤師(奥さん)の声が、妙に事務的で冷たく感じたのは気のせいだろうか.....。

『とりあえず、薬で痛みを抑えていたのだから当然ですよ......』

(ごもっともデス、はい。.......トホホ....)
2004/5/11 (Tue)  やってしまった......!

8日に別府から戻り、翌日からようやく平常の仕事に戻ったと思いきや.....、

本日、やってしまった.....持病の‘ぎっくり腰’

ちょっと、油断して、屈んで物を運んだその時....。
昼間はそれでも、何とか過ごせたのだが、夜、自宅に帰り、ちょっと横になったのがいけなかった。
起き上がれなくなってしまい.....。

今週は、これといって大きな仕事はなく(通常の仕事のみで)、日曜日に小さい本番(合唱)が1つあるだけだが、何といっても一夜あけた(寝た)明日の朝が怖い。
以前もやっているだけに、その辛さ(痛さ)がわかっており「また、あの思いか...」と思うとぞっとする。
とりあえず、薬も飲んだし、湿布もした。

あとは、明日....。
神様............。
2004/5/8 (Sat)  音楽祭、大成功!!!

5月8日午後、大分空港を経由して、東京に戻ってきた。
昨晩(音楽祭二日目)は、すべてが終了したこともあり、なんと、今朝5時近くまで、みんなで飲んでさわいでいた!!
私を含め、参加者のほとんどが寝不足ではあったが、しかし、その中にも、満ち足りた、自信に満ちあふれた多くの顔が、羽田のロビーにあふれていた。

昨日のコンサートも、勿論、大成功であった。
オーケストラは本当に素晴らしかった。
マエストロ;パッパーノ氏のタクトのもと、本当に素晴らしいパフォーマンスを繰り広げてくれた。
また、アルゲリッチさんのピアノも冴え渡り、ロマンチックなコンチェルトとアンコールで弾いた‘子供の情景’は、観客だけではなく、音楽祭事務局の方々、そして我々の心にも、ねぎらいの優しいメッセージに聴こえた。

この音楽祭は、芸大の関係者(演奏者)だけにではなく、一個人の音楽家である酒井敦にも、大きな勉強をさせてくれた。
世界の、超一流のマエストロ、ピアニストとの出会い....。
正直な所、まだ、そのショックから立ち直ってはいないが、
それでも、その‘才能’と‘世界’にふれたことで、「また明日から....」
そんな気持ちに今はなっている。

ピアニストの伊藤京子先生が、私と同じ年代のマエストロのその才能に落ち込んでいる私に、こんな言葉を投げかけてくださった。

『みんな、そうやって壁にあたり、そして成長していくの。その時は落ち込むこともあるけれど、それは、次の飛躍のための準備ですよ、頑張って!!』

さあ、明日もまた仕事(音楽)。
はやく、‘まえすとろ’が‘マエストロ’と堂々と名乗れるように、努力、努力。

家に帰ると、5日ぶりの二人の娘が飛びついてきて、一人の音楽家からパパに....。
別府に発つ前の日、日めくりのカレンダーに丸印をつけてやり、
「この‘ひ’まで、ママとじいちゃんばあちゃんのいうことをよくきいて、いもうとのめんどうをよくみてね」
といい聞かせた、その上の娘が、恥ずかしそうに差し出す彼女の書いた手紙には、こう書いてあった。

「たくさん おとまりで さびしかったよ パパへ」

(ありがとう、よく頑張ったね!)
2004/5/7 (Fri)  コンチェルトのリハーサル

前日の5月5日、我々は二つの情報に凍りつく思いであった。

「ピアニストのM.アルゲリッチ氏ニューヨーク公演キャンセル...」
そして、
「未だ、飛行機に乗った情報なし....」

5月5日、本来到着している巨匠の姿がない。
音楽祭事務局も、オーケストラも、そして(想像するに)マエストロ:パッパーノ氏も、複雑な気持ちの中、ピアニスト不在のリハーサルを迎えた。

すべてのリハが終わった、夜8時過ぎに、
「アルゲリッチさん、福岡行きの飛行機に乗った」との情報が入り、ようやく我々の夜が静かに更けた。

5月6日、音楽祭当日、アルゲリッチさんの体調を配慮し、本番の数時間前に、初めてのリハ(G.P.)がおこなわれた。
‘東京芸術大学別府アルゲリッチ音楽祭特別オーケストラ’は3回目の共演とはいえ、今年のメンバーとは初めての出会いである。
いくら一流のピアニストとはいえ......それは、不安であった。

アルゲリッチ氏が姿を現す。
ドラマチックな動機とともに、シューマンのコンチェルトが始まった。
そして、美しいあのテーマが.....。

一流ではない!
『M.アルゲリッチは“超”一流であった。』
巨匠との練習に、このリハーサル時間以上のものは不要である。
‘初めての出会い’などと、まったく感じさせない、充実した、
とにかく、「素晴らしい!!」としか言いようがないリハであった。

オーケストラのこと、その中での自分(ピアノ)の存在、時には主張しそして協調する、テクニック、バランス、音楽性、どれをとっても完璧で、只々、感心と感動するばかりであった。

勿論、本番は書くに及ばず、それはそれは、大成功であった。
そして、異例だが、コンチェルトの後(前半のプロの最後に)のアンコール....。
言葉がなかった......。
‘私の音楽’などと比べるのもおこがましいが、はるかに次元が違った。
育った環境、受けた教育、これまでの経験、そして、才能が.....。

一人の観客としては、最高の一日であった。
しかし、一人の音楽家としては、最悪の気持ちで別府の夜を一人過ごした.....。

5月7日の朝、寝不足のまま、音楽祭二日目を迎える。
2004/5/6 (Thu)  今日は、本番。

別府は今日も快晴!!
ホールの中の催しとはいえ、絶好の音楽祭日和。
昨日までの充実したリハーサルを裏付けるように、いい音楽祭になりそうである。
プログラムは、ベートーヴェン/レオノーレ序曲 第3番、シューマン/ピアノ協奏曲(Pf:M.アルゲリッチ)、マーラ/交響曲第1番。
演奏家にとって、大変ハードなプログラムであるが、本当に楽しみである。
パッパーノ氏のリハーサルぶりは、昨日記した通り素晴らしいものであったが、アルゲリッチさんとの共演もエキサイティングで、演奏家(学生)は勿論のこと、2回の公演(別府市/大分市)のチケットも売り切れで、皆の期待が直に伝わってくるようである。

温泉はまだ堪能していないものの、一昨日の夜は事務局の方の温かいおもてなしで、地元の料理に舌鼓をうった。
(冬の)河豚の時期ではなかったが、この時期は鰈が美味しく、東京では味わえないものであった。
せっかくのゴールデンウィークを家で過ごす家族には申し訳ないと思いながらも、素敵なひと時を過ごさせていただいた。

さあ、今日は本番!!
今朝、ホテルでの学生達の顔色も皆良好。
きっと、いい演奏会になると確信している。

(5月6日 朝、別府のホテルにて)
2004/5/5 (Wed)  ショック.......!!

今朝、天気予報では、東京(埼玉)は曇り時々雨などといっていたが、
別府は今朝から晴れわたり、こちらの晴天を家で休日を過ごす娘達に分けてあげたい。
ホテルの窓から見える山々や海がとても美しい。

昨日は、マエストロ A.パッパーノ氏が到着して、一日中、リハーサルがあった。

「素晴らしい!!」の一言に尽きた。
目からウロコが落ちるとは、この事をいうのかもしれない。
‘ショック’であった。
年齢的には、私と同じ世代(1959年生まれ。私の二歳上)
演奏家に決してプレッシャーをあたえず、それでいて、‘ツボ’をつかみ(捕らえ)的確な指示と演奏家から音楽を引き出し、また、自分の色(音楽)に染めてしまう....。
我々がコツコツと努力して会得してきた‘指揮法’って何だろうと考えさせられた。もちろんめちゃくちゃを振っているのではない。
あの指揮からは充分言いたいこと(やりたい事)は伝わる.....。
‘ショック’であった.......。

芸大の学生も本当によく頑張っている。
素晴らしい、音楽祭になりそうだ。

今日も一日リハーサルがある。

本当に楽しみに、これからホールに向かう。

(5月5日 朝10:00 別府のホテルにて)
2004/5/4 (Tue)  久しぶりの日記

毎日、根気強くこのページを訪れていただいた方、すみません。
そして、お久しぶりです。

5月1日に、大学での大きな演奏会が終わり、
翌日は、昼間、娘達と土いじりをし(これについては後日、日記で...)、
その日の夕方からブラスのリハーサルをし、
そして昨日より、大分県の別府へ来ております。

残念ながら、皆さんのご期待する(別府の)温泉情報などは披露できる見込みはありませんが(相変わらず忙しく....)、楽しい音楽祭情報はご報告できそうです。
5月3日〜8日まで、大学の学生オーケストラが別府アルゲリッチ音楽祭に参加するため、その引率で来ております。
もっとも、リハーサル終了後は、反省会と称した、いわゆる‘飲み会’があるため、どこまで報告できますことか.....。
とにかく、毎日(もしかしたら朝になるかも)できるだけ記すようにしたいと思います。
どうぞ、お楽しみに!!

今日は、この音楽祭のマエストロ、‘アントニオ・パッパーノ氏’が別府入りしてのリハーサルです。私も、楽しみにしております。

(5月4日 朝8:45 別府ホテルにて)
2004/4/29 (Thu)  今日は全国的に祝日だが.......。

今日は全国的に、祝日「みどりの日」
東京はお天気もよく、行楽日和。
もう、この日記にこんなことを書くのはウンザリだが......、
今週は、朝から晩まで大学、その間を縫って自分の仕事を何とかこなしている。
実は、今日もまだ大学で仕事中(夜9:45)

「娘達は、もう寝ただろうか.....」

電話をして元気な声を聞きたいのだが、「パパ....」と泣かれるのが困るので、今日は、一緒に撮った‘プリクラ’の写真でも見ながら、あとひと仕事、するとしよう.....。
2004/4/27 (Tue)  すみません、本日も.......。

すみません。本日も、まだ出先で仕事中。
せっかく、おいでいただいだのに、すみません。
明日は、更新いたしますので、
是非、明日、おいでください。

おやすみなさい。
4月27日(火)21:00
2004/4/24 (Sat)  今日は、久しぶりに事務所に一日おりました。

今日は、久しぶりに事務所で一日中、仕事をした。
レッスンも、まとめて沢山したため、もうクタクタだ。
テンションをバリバリあげて、そのまま午後まで.....
どのお弟子さんも皆、私のオケのリハーサル(1対70のエネルギー)なみのテンションに疲れ気味...。

「すみません、久しぶりの(個人の)ピアノと指揮のレッスンなので、張り切ってしまいました!!」

でも、音楽で疲れるのは、イイね〜!!
何と言っても、爽快感が違う!
また、オーケストラの練習と違い、個人レッスンは、曲の数も多く、沢山の作曲家に出会えるし、本当に楽しかった。
今日、出会った作曲家...。

“バッハ、モーツァルト、ベートーベン、ツェルニー、チャイコフスキー、ドビュッシー、ラヴェル、ショパン”

「ふ〜〜っ....」
2004/4/23 (Fri)  本日休業

せっかくおいでいただいたのに....すみません。
現在、24日am.1:05。
まだ、仕事をしております。

今日の‘まえすとろ日記’はお休みいたします。
明日のご来訪を心よりお待ちしております。

今日、訪問していただいた皆様が、よい週末になりますよう、お祈りして........。
2004/4/22 (Thu)  癒されます。

先日、「あまりクラシックのCDは聴かない」と‘まえすとろ日記’に書いたが、例外的に、体も心も疲れた時に聴くCDが数枚ある。
その中でも、特にお気に入りのものは

“フォーレ/レクイエム 作品48”

エマュエル・グリウ゛ィヌ指揮:国立リヨン管弦楽団/同 合唱団のものが断然いい!!
その他の演奏のものも、いくつか聴いてみたが(CDも持っているが)オケの編成(サイズ)も、コーラスも、そしてソリストも、私にはこれが一番心地よく、何より、美しい。
決して‘熱演’してるわけではないのだが(特に宗教曲なので熱演されると困る)、しかし、説得力を持って私にメッセージを伝えてくる。
ある本で「この曲は、フォーレの父親が亡くなった後、作曲された」と書いてあったが、曲自体、決してヒステリックでなく、むしろ聴きて側を慰めてくれる。
また、おまけだが、レクイエムの後に録音されている‘ジャン・ラシーヌ讃歌’も前曲に負けず、本当に美しく、まるで“神の声”に聴こえる。
(二十歳にこの‘ジャン・ラシーヌ’を書くなんて、やはりフォーレは天才だと思う)


しかし、私にとって、このレクイエムをエンドレスで聴いているということは、ストレスを抱えた酒飲みが、今夜も深酒をしていることと同じ状態....。

今日も、この曲を何度聴いただろう.....。
早くこの忙しさから脱したい.....。
今年のゴールデンウイークは全て仕事.....あ〜ぁ.....。
いつになったら休めるだろう.....。
2004/4/21 (Wed)  昔から......。

実は私は、昔からよく日記をつけていた。
古くは、小学校3年生から....。
年の初めに、大人が新しい手帳を買うように、「今年はどんな日記帳にしようか...」などど、それを選ぶことも楽しみの一つだった。
「書け!!」とだれに言われたわけでもないが.....なぜ、書いていたのだろう....。
中学生になると、少々格好をつけ、小説家か作曲家気取りで、インク壺に付けペンで....。
内容は...というと、とんでもなく恥ずかしいものばかり...それでも、かかさず毎日つけていた。
「今日は、何もない日だった。」などという時もあったが....。

‘ありのまま、気楽に’といいながらも、やはり、人に見られる日記はつけずらい。プライベートのことはともかく、少なくとも、他人のことは書けない。
今日も、そういう意味で‘書きにくい日’だ。
(本当は、こんな日は書かなくてもよいのだが、書かなくなるとそのまま....というのが心配で....)

今日も、‘まえすとろ日記’を訪問していただき、ありがとうございました。

明日は、私にとっても、皆さんにとっても、いい日でありますように.....。
2004/4/20 (Tue)  健やかに....幸せに....。

娘が5回目の誕生日を迎えた。
今日まで大病もせず、親が言うのも何だが、わりかし‘いい子’に育っていると思う。

5年前の今日、大学で勤務する私に、病院に付き添う母から「もうすぐ生まれそうだ」という連絡をもらい、「行ってあげなさい」という主任教授の後押しで、ドキドキしながら川口に向かった。
TVドラマでよくある出産のシーンで、タバコをふかしながら待つ、旦那とその義父....
子供の泣き声に「やりました、お義父さん!!」という場面があるが、実際に立ち会ってみると、そんなことにはならない。

「お父さん、到着しました〜っ!!」
看護婦さん達の緊迫した雰囲気に、私の鼓動も早くなる。
立ち会うための白衣と帽子を着せられ、その時を別室で待つ。
たった、10分程度かと思うが、何ともその時間の長かったこと.....。
看護婦さんに呼ばれ、分娩室に....。
「お父さん、汗を拭いてください」
そういわれ、自分の汗を拭うと、
「違います!お母さんのデス!!」

こうなると、男はダラシナイ...。

そして、出産......。
只々、涙がでた。そして、妻をいとおしく思った。
そして、生まれてきた我が子が‘宝物’に見えた。

その娘が5歳。
大切な、大切な命....。
“健やかに”“幸せに” それだけをロウソクの灯りに願った。
2004/4/18 (Sun)  プロの仕事

今日、ホームページのBBSにも書いたが、私は埼玉県の神川町という所から、毎年‘梨’を送ってもらっている。
スーパーで売っている梨とは違い、何と言うか...‘梨の概念’が変わった。

「今年の梨はより良い出来だ!」とか、「今年はいつも通りの出来だ」とか生産者は言うが、
その微妙な味加減は素人の私にあまりよく判らないし、プロの仕事にあたりまえのように、毎年感心していたが、昨年こそは驚いた。
そして「これがプロなんだ!」と感激し、愕然とし、そして反省した。

昨年は、全国的に冷夏だった。
スーパーに並ぶ果物は、例年になくひどい出来で、特に夏の果物のスイカや梨は、試食するに値いしないものであった。
「ああ、今年は神川の梨も....」
その予感を裏付けるかのように、荷物が届いたのは、例年より少し遅れてからだった。

今年は....と思いながらも、娘達の無邪気な催促にダンボールを開けると、その中には、意外にもいつもの姿が....。

味は.....。


大げさに聞こえるかもしれないが、感動した!そして、愕然とした。
「これがプロの仕事か....」

我々もコンディションがいいときには、いい音楽ができる。
テンポ感もいいし、いいテンションで音楽ができ、表現も豊かになる。
しかし、我々も人の子...時には....がある。
仕事が詰まって忙しいとき、体調が悪い時、ストレスがある時、飲みすぎた時.......。
他人には気づかれていないかもしれないが、自分の中では何か違い、時として、録音を聴くと顕著に表れている。

全国的に冷夏で、どの果物も出来が悪く、また、その理由は生産者の責任ではないところにある。
そんな中でも、いつもと変わらないものを提供してくれた神川の生産者に、プロの仕事を(プロの私が)改めて教わった。

常に、どんな条件でも‘いい音楽’‘いい仕事’ができる‘プロ’に私もなりたい。
しかも、それが‘当たり前’のごとく.....。

さあ、明日もいい仕事(音楽)をしよう!!

(そのためには、少しお酒を飲む機会を減らそうか...私の場合、それよりも甘いものを減らしたほうが......)
2004/4/12 (Mon)  今日の1枚は....。

昨日、私がブラスの指導に行っている先生から、こんな質問をされた。
「先生はオーケストラの曲を演奏する時、誰の演奏を参考にしますか....?」

そういえば、私はあまりクラシック、特にオーケストラの曲は聴かない。
‘参考’というより‘影響’されてしまうからだ。
譜面を見て、「プレイヤーがどう演奏しているのだろう」と疑問に思った時や、自分の演奏に行き詰まって何かアイデアがほしい時は、巨匠の演奏を参考にはするが、
(演奏会はよく行くが)何回も繰り返し聴ける(つい、聴いてしまう)CDは、近くに置かないようにしている。
(それよりも、譜面からできるだけ自分の音楽を作ることを懸命にする)

「それなら、普段どんな音楽を聴いているか...」

クラシックなら断然ピアノ曲が多い。中学生の時に自らの技術不足で断念してしまったが‘ピアニストになりたい’という夢があっただけに、過去もよく聴いたし、今も多く聴いている。
最近の若いピアニストより(ケンプ、バックハウス、ルービンシュタインなどの)‘過去に巨匠’が専門だが...。(若い演奏家を聴かないのは、自分と歳の近い彼等へのヒガミか...)
それと、歌もの...。特に男性歌手、フィッシャー=ディースカウ、シュライヤー、古くはヴンダーリッヒなどのリート歌手が大好きだ。
変わったところで、ロス・インカス(フォルクローレ)やグレンミラー、チャックベリーから玉置浩二まで.....。一流の演奏ならどんなジャンルでも聴く。
ちなみに、今、日記を記しながら聴いている音楽は.......
...............坂本龍一のピアノ......本当に美しく最高です!!!

(皆さんのお気に入りのCDをBBSで教えてください)
2004/4/10 (Sat)  温泉に行きた〜い!!

新学期に向けて、大学も事務所も忙しく、今は指揮(音楽)をするのと、喫茶店でほんのひとときの譜読み(作曲家との対話)が、息抜きの毎日。
しかし、体と心は正直で、もう‘くたくた’で、2日間、仕事以外でパソコンに向かう気力もなかった。
とにかく今の私は、無理やりでもOffを作って、いつ温泉にいけるだろうか....そればかり考えている。

私の家では、まだ娘が小さいため、なかなか遠くの旅行は行けない。
旅行(温泉)というと、必ず‘鬼怒川温泉’
なんといっても(箱根と)鬼怒川は、JRではないので(東武特急と小田急)運賃が安い!!
そして、何より、東武特急のスペーシアには個室がある。
JRのように目が飛び出るほど高額ではなく、大人4人(+子供2人まで充分OK)でのれば、ぜんぜん割安。子供が騒ごうとも、大酒を飲んで騒ごうともお構いなし!
列車の中から宴会もでき、多少お金が余分にかかっても、充分楽しめる最高の場所である。
「あぁ、浅草を出て、隅田川を眺めながらビールが飲みたい!!」

どこかにOffが取れる場所(日)がないかな〜っ!!
2004/4/7 (Wed)  新学期を前に.....。

「風が桜の花びらを散らす
  春がそれだけ弱まってくる
 ひとひら、ひとひら、舞い落ちる度に
 人は、見えない時間につつまれている」

私の大好きな歌(心の四季…「風が」)の一節のように、
季節の移り変わりは、本当に早い.....、特に春は....。

いよいよ新学期である。
娘の保育園も、先日、進級式なるものをおこなった。
私も明日が、大学の‘科’のオリエンテーションだ。
中学校の教員時代が長かったので(今もある意味、教員時代だが..)
むしろ正月より、この4月の方がいっそう気持ちが新たになる。

今年度も充実した年度になりますように...。

〜学生時代、“コール・ユー”と称した合唱団を作り、
 この「心の四季」や「海の詩」「蔵王」などを
 歌っていた頃が、なつかしい。
 見えない時間につつまれ、‘今’が‘遠くの過去’になってしまった...。
2004/4/5 (Mon)  蕨少年合唱団 その4

小学生のうちから‘ピアノを習い、週2〜4回合唱団に通い、週1回お習字を習い’
それだけ聞いても「さぞかし..」という感じがするが、私も人の子、遊び盛りの普通の子...。
....やはりよくサボった。

「学校(幼稚園)から帰ったらすぐにピアノの練習をすること!」
そんな母との約束ではじめたピアノだったが、‘漫画サザエさん’の‘カツオくん’のように、
学校から帰ると母に見つからないように、ろくにピアノの練習もせず、グローブ片手に家の窓から脱け出したことも.....。
また、お習字も道具を持って家を出たのはよいが、教室にも行かず、
一緒に通っていた友達と、近くの文房具屋の店先にある10円ゲームに没頭していたこともある。

そして忘れられない、4年生の夏.....。
張り切って合唱団に入ったにもかかわらず、私の通っていた小学校から、私一人ということもあり、5ヶ月目に入ると、少しつまらなくなって....。
ましてや、夏休みに入ると、開放感も手伝って、合唱祭の本番をサボって(たしか本番会場は大宮市民会館だったと思う)、当時オープンしたばかりの‘上尾の水上公園’に出かけたのだ。
言うまでもなく、その日は大いに楽しんだ。
波のプール、(当時は珍しかった)流れるプール、そして大型ウォータースライダーなどの興奮もさめやらず、帰りの大宮始発の電車に乗り込んで発車を待っていたその時であった。

その車両近くの階段から、お揃いの‘紺のネクタイ、紺の半ズボン’‘グレーの帽子’をかぶった子供達の集団が....。
.......本番を終えた“蕨少年合唱団”だった......
そして、私の乗っている電車、しかも、同じ車両に乗り込んできた。

電車が発車してからというもの、反対側の窓の外を向き、決して後ろを振り返らず、着くまでのあの20分間は、どれほど長く感じたことだったか....。
しかし、そんな私の努力(?)の甲斐もなく、先生を含め、全員にその姿を見られることに.....。
なんといっても、降車駅(蕨駅)が一緒なのだから....。
当時の私に「ひと駅、乗り越して...」などという知恵もなく.....。

なんとも気まずい中、翌週、足取りも重く合唱の練習に行った私に、普段は厳しい“ヒラカン(先生)”が、意外にも、優しく私の頭を撫でてくれた。
あの、先生の手の本当に暖かかったこと....。

気まずさとともに、あの先生の優しさと手の温もりは、一生忘れることのできない、私の“蕨少年合唱団での思い出”である。
2004/4/3 (Sat)  乗り越し注意!!

最近、寝不足が続き、昨日は日記をオヤスミしてしまった。

一昨日寝たのが(翌朝、つまり昨日の朝)5時、その前が3時半、その前はたしか4時....完全に寝不足である。
しかも毎朝、常に7時には、容赦なく娘達に起こされる。
(最近の彼女達は‘過激’ダ!!)
さすがに、昨日は仕事帰りの電車を2つほど乗り越した。

乗り越しといえば、過去に2度ほど、決定的な乗り越しをした。
1度は、私がよく仕事で行く埼玉県本庄......
当時はまだ‘特急あさま’が走っていた。
特急にもかかわらず、全国的に有名なAという名物政治家が、熊谷と高崎の間、Aの地元‘深谷’を停車駅にしてしまったのだ。
そのおかげか、そのついで...というわけではないだろうが、隣駅の本庄にも停車する‘あさま’が出現した。
しかしこの列車は、私にとって結構重宝だった。
‘各駅停車のような特急’に乗る人もあまりいなく、毎回、確実に座席をGetできたし、大宮からの50分で行けることは、私にとって快適で便利で魅力的であった。

その日は朝早い、また、冬の寒い日で、座席もなんともポカポカしていた.......。
ふっと、気がつくと、窓越しには美しい山脈(やまなみ)が......碓氷峠もとっくに越えて.....

そこは冬の‘軽井沢’だった.....。
「やってしまったっ!!」と思ったが、もう後の祭り.....。

2回目は‘熊谷’....。
少しでも早く着きたくて、大宮から新幹線に.....
すでにホームには発車ベルが鳴り響き、あわてて飛び乗る。
座席にすわるものの、何となく車内の様子が違う。
「あれ、そういえば、赤いライン(長野新幹線)が入っていたかな....?」
1本早い新幹線に乗ってしまったのだ。
「まあ、いいや、時間はぜんぜん間に合うし、高崎で引き返そう.....」
そう思ったのも束の間、軽快な音楽とともに車内の案内放送が....。

「♪〜本日は、長野新幹線にご乗車いただき誠にありがとうございました(あ〜っ、やっぱり、間違えたか....まあ、しょうがない...)。」
「次の停車駅は、“上田、上田です”」
.........愕然とした.....(エッ...“ウエダ”っテドコ.....)....

‘固まった’というのは、あの時を言うのであろう。それでも車掌さんが検札に来て、事情を話すと気の毒がって、乗り越しの分はタダにしてくれた。
しかし、よっぽど私を信頼していないとみえ、「上田で降りないで、終点の長野まで行き、階段を上がり隣のホームの新幹線に乗り....イイですか、隣のホームですよ、トナリ..!!!」と、クドクドと何度も説明されてしまった....。

それらがあってから、私は以下の2点に気をつけている。
「電車の中、特に特急や新幹線では、決して‘寝ない’」
それと、
「あさま1号(東京→上野→大宮→→上田→長野)には絶対乗らない!!」
2004/4/1 (Thu)  我が家の一大事!!

昨日は、旧奏楽堂で演奏会があった。
演奏会では指揮を振らなかったが、本番では、小林研一郎先生と一緒におしゃべり(司会)をし、(台本のないおしゃべりに、多少スリリングで、久しぶりに緊張もしたが)本当に楽しいひとときだった。
オーケストラは、芸大の学生オーケストラだったが、本当に素晴らしく、(おしゃべりのため)ステージ上で聴いていたのだが、鳥肌が立つ思いだった。
‘若い才能’は本当に素晴らしい!!!(勿論、それを引き出す指揮者も素晴らしかったが)

それはそうと、その日の朝、大変な事件がおこった。
娘の保育園の(2年間)担任だった先生が、この度、移動で変わるのだ。
朝、下の娘を送りに行った際、先生から「お父さん、私、今日で移動なの....」と声をかけられた。
しばらく絶句だった....。本当にショックだった.....。
その帰り道、(風邪で保育園を休み家にいる)娘になんて話そうか.....
そればかり考えた。
家に着き、10時からの合唱の指導に出かけるほんの少しの間だったが、娘に丁寧に言ってきかせた。
(娘も、その先生が大好きだったので)大きな目からポロポロと涙をこぼしながら、それでも静かに私の話しを聞いてくれた。
その、意地らしい姿を見て、私も....。

本当に素敵な先生だった!!
お世辞にも、若い先生とは言いがたいが...(失礼!)..、
子供に対し、本当にやさしく、常に全力で、
いつも子供の目線でものを見て、一人ひとりの子供の話を真剣に聞き、
その視線の前には、いつも真剣な眼差しをおくる子供達がいた。
3歳児(年少)のクラスとはいえ、クラスのカラーがあらゆる場面(行事)に見られ、
まとまりのある、そして、やさしく、また時には子供達が(いい意味で)互いに厳しく、本当に素敵なクラスを作ってくれた、‘尊敬に値する先生’だった。

そんな、素敵な先生だっただけに、我が家では久しぶりの‘一大事’であった。
聞くところによると、今度は指導的な立場へのご栄転ということなので(本当に残念ではあるが)素直に喜びたいとは思うが.....。

人に(人生に)とって‘素敵な出会い’こそ、重要であると常々思う。
娘にとって、幼児期のたった2年の出会いだったが、本当に幸せな時間だったと思う。
自我の出る、また性格の決まる大切な時期(2〜4歳)だったので、よりそう感じる。

「将来、娘はどこまで記憶しているかわかりませんが、先生との出会いは、彼女にとってとても大切で、彼女の中にきっといつまでも残ると思いますし、何より、私達親は一生忘れることはありません。」
「先生、本当に、本当にありがとうございました。」

昨日、演奏会の打ち上げで遅くなりわからなかったが、
奥さんが、夕方、下の娘を迎えに行ったときに初めて‘そのこと’を知り、
大泣きして帰ってきたことを、今朝出掛けに母から聞いた...........。
2004/3/30 (Tue)  尊敬

このまえすとろ日記をつけるため、子供達が寝静まった後、自宅のダイニングのテーブルでパソコンに向かうのが私の日課となった。
最近、その傍らで、私の奥さんが、SakaiMusicWorldのホームページのイラストを描くため、真っ白な紙に向かい、次々と可愛い楽器を持ったキャラクターを生み出している。
時折、「ギターって、弦何本?」とか、「サックスって、どうやって構えるの?」などど問いかけながら....。
(音楽家の奥さんだが、恐ろしく何も知らない......)
以前、SakaiMusicWorldのBBSにも書き込んだことがあるが、一時は美術に進もうと考えただけあって、彼女の描くイラストは本当に素晴らしい。
上手いとか、下手とかではなく(彼女に言わすと普通のことだそうだが)、
キャラクターの片足をちょっと上げて、靴の裏を見せたり、
犬のオデコにクルリンと髪の毛(?)を1本を入れたり、
彼女の言う、その‘普通のこと’が、凡人の私の発想にはない。
なるほど、その線を1本、その飾り1つ入れることで、動きがでたり、立体的になったり、可愛らしくなったりするのだが、
いざ自分で描くとなると、それが生み出せない。

「よし、7種類できた!!」
そんな張り切った声に、「明日も仕事だよ....」と嬉しくも少し心配である。

只々、感謝、感謝.....。
2004/3/29 (Mon)  蕨少年合唱団 その3

毎週、火曜日/土曜日/
隔週、木曜日(ソプラノとメゾ/アルトと交互に)/日曜日
多い時は週4回、少ないときでも2回。
なかなか厳しい練習であった。
私は4年生からの入団だったが、普通は3年生から。
つまり退団までの4年間、多くの時間この合唱団とともに過ごす。

私は、日曜日(午前)の練習が大好きだった。
練習のない週は寝坊の朝だが、この日ばかりは7時に起き、9時からの練習に備える。
相変わらず練習は厳しいものの、その日の最後は必ず、「音楽時計」という歌を歌って終わる。
誰の作曲かは記憶にないが、あの旋律、サビにある「URI-UーRI-URI-UーRI-URI〜」というフレーズからすると、多分ヨーロッパの歌だったように思う。
入りたての(当時ソプラノだった)私は、あまり上手く歌えなかったが、周りの先輩の、ボーイソプラノ特有の澄んだ美しい声の中にいさせてもらえるだけで幸せであり、
暖かい春の日曜日などは、頭の中で繰り返し美しい歌声が響き、なんとも言えず満たされた気持ちで、家路に着いた。

私の、少年時代の貴重な経験であった。
2004/3/28 (Sun)  『心の耳』

今日、オケのリハーサルで改めて“楽聖の声”を聴くことができた。
L.v.Beethoven/Symphonie Nr.6 そう、いわゆる『田園』である。
「何を今更。」と思うかもしれないが、やはりこの作品は素晴らしい。

私が初めて手に入れたレコード盤もこの曲であった。
もっとも、そのLPは、片面が「英雄」もう片面が「田園」の超豪華(?)版で、特に田園は、無理に片面に録音したため、3楽章以降はTempoが速すぎ、それはそれは悲惨な(演奏の)ものだった。
それでも、クラリネットやフルートを使った鳥たちの描写や、弦楽器の風や木々の声に、当時の私は夢中で何度も聴いた。

しかし、最近私は、これらの自然を生み出したこの曲(響き)は、むしろ聴覚が衰えた彼の実際の耳で聴いたものではなく、楽聖の『心の耳』で聴き、感じ、想像し、そしてそれを五線紙に描き出したものではないかと考えるようになった。
いや、そう考えないと、あのあまりにも美しい、あの夢のある風景、そして森の声、風の歌が、描けるはずがないと...。
やはり楽聖ベートーヴェンには、神の声、妖精の歌が聴こえたのだろうか。

しかしベートーヴェンは素晴らしい。あの名曲『運命(第5番)』と『田園』を同時進行で作曲するなんて...(同じ時期に作曲したため、初演時は運命が6番、田園が5番であったようだが)

やはり彼は、『楽聖』なのだと、今日、再び痛感した。
2004/3/27 (Sat)  蕨少年合唱団 その2

「明日(28日)は沖縄を除いて全国的に晴天!お花見日和です!!」
今夜の天気予報の全国のお天気マークとともに、ブラウン管からその声が聞こえた。
「明日の沖縄は、雨か........」

1972年、日本に沖縄が返還されたその年に、東日本合唱連盟の(たしか6つの)合唱団(西六郷少年少女合唱団/東京荒川少年少女合唱隊/藤枝少年少女合唱団/つつじヶ丘少年少女合唱団/滝野川少年少女合唱団/蕨少年合唱団)が、
その記念公演で、前年まで‘アメリカ’だったその地に演奏旅行に出かけた。
言うまでもなく、厳しい日々の練習(その様子は後に少しずつ書いていきたいが)は勿論のこと、東京オリンピックセンター(今もあるのだろうか?)で合宿までして、沖縄の難しい歌と、(当時メゾソプラノだった)難しいパートの音とりに苦労しながらも、何とか遠征の3日前の練習日までこぎつけた。
「♪あけゆく きよき うなばらの〜」と軽快に沖縄県歌をうたい始めたその時だった。そのさわやかな南国の旋律をよそに、体に悪寒がはしった。
それでも、その日は無事練習を終え、3日後の出発の確認や注意事項をわくわくした思いできき、いよいよ本番モードに入ったその夜............

熱を出した...........。

他の誰よりも努力して、難しい(まだソプラノから移ったばかりの慣れない)メゾのパートも、その暗譜も、「他の人よりも自分のほうが歌える」と自信と確信をもったその夜のことだった。
..........結局、不参加.............

初めての飛行機も、初めての(帰りの)船の旅も、初めてのホテル宿泊も、そして初めての沖縄もすべて叶わぬこととなってしまった。
(小学生の)当時の私に「体調管理ができなかったから」と言うのはちょっと気の毒であろう。
むしろ、1週間の公演に緊張し、張り切りすぎた結果なのだから......。

それ以来、どうも私は沖縄に縁がない。どうしても行く機会に恵まれないのだ。
家族や、友達同士の旅行も、仕事も、九州までで、その先がないのだ。
あの青い海、青い空、美しい花々、美しい沖縄、
それらは、公演後、先生がお土産にくれた沢山の絵葉書と、写真やテレビでしか見たことがない。

だれか、僕に‘沖縄の仕事’をください!!
沖縄なら、多少ギャラが悪くても、喜んで行くのに...。

......でも、張り切るのだけはやめよう。
    また、熱を出すといけないから....。
2004/3/26 (Fri)  お兄ちゃんだったら........。

昨日は、大学でコンサートがあった。
「日韓国際交流ガラコンサート」
前半はW.A.Mozart“Le Nozze di Figaro”(フィガロの結婚)、
後半はVerdiとPucciniのオペラ、
プログラムも音楽も、とても楽しめるコンサートだった。
また、学生(院生)といえども、才能あるソリスト達に、驚きと感動を覚えた。
本当に素晴らしかった!!!

私はオペラを見るのは大好きなのだが、実際自分でやる(指揮する)のはあまり得意ではない。
....というより、オペラはある意味、シンフォニーをやるより難しいと思っている。
若い学生や、大学を出たての指揮者が、(手っ取り早く)オペラを指揮しているが(アマチュアを中心にわりと仕事がある)、
一人ひとり才能と個性のある歌手を相手に、その音楽家の音楽性とキャラクターを最大限引き出すのは、
よっぽど指揮者側にたくさんの(音楽の)‘ヒキダシ’と、それを表現する指揮のテクニックがないとできないと思う。
いまの私には、まだまだ難しい(勉強中の)ことである。
(あの、小沢征爾さんだって、オペラを振るようになったのも、結構歳をとってからである)

そして私の、もうひとつの難関が、『語学』だ......。

私が中学生になって、初めての英語の試験....。
初めで簡単な内容だったが、先生から渡された‘98点’の答案は天にも昇るほど嬉しかった。
しかし、その先生の口から出た言葉は....「お兄ちゃんなら100点だったよ!!」の一言.....。
私の3つ上の(どちらかというと優秀な)兄に例えた、皮肉だった。
まだ、小学校を出たばかりの幼い私には、‘その先生’と‘語学(英語)’を遠ざけるには充分すぎる、強烈な、厳しい、そして忘れられない一言だった。

そういえば、やはり1年生の時の父親参観(今でいう両親学級)で、国語の先生に、父親の見てる前で、返答に戸惑った私に「お兄ちゃんは、文法は朝飯前だったよ!」といわれたのを記憶している。それらのことがあったせいか、どうも語学は苦手だ。
(念のため......私は兄と、当時も今もとても仲がよい)
まあ結局、本人の努力次第だったのだろうが.....。

今、私が上手くなりたいこと.....
それは、パソコンと語学(独語)。
今、本気で会話学校へ通おうかと悩んでいる。
2004/3/24 (Wed)  今週は激務週......

今、大学は‘春休み’にもかかわらず2つの演奏会があるため、毎日行っています.
本来私は非常勤の立場なので、授業期間外は休みのハズですが、
御家の一大事となると、‘いざ鎌倉’ならぬ「いざ“上野”」という事で駆けつけなければならないのです.
幸い(?)な事に、ここ二、三日、雨が降り,また寒い日は続いたので、上野公園のお花見の人出は極めて少なく,仕事帰りに宴の楽しげな声は聞こえませんが,
これがシーズン真っ盛りになると、あの賑やかで楽しげな声が,疲れた体に響き,また、空きっ腹に応え,なかなか辛いものがあります.
3月中は‘大学に行き,合間を縫うように自分の仕事をする’そんな日々が続きます.

『明日も帰りが遅くなるんだろうな〜....』
2004/3/21 (Sun)  休日を満喫!!

‘本当に久しぶりの、日曜日のOff。’
お天気に誘われ、家族で上野公園に花見に行ってきました。

往きは日暮里で電車を降り、谷中霊園のさくら通りを歩き(残念ながらまだ一分咲き)、
言問通りを横切り、桃林堂で和菓子とお抹茶を一服いただき、
休日の芸大に寄り、娘達と日本(大学)で冬を越した‘かる鴨’を眺め、
旧奏楽堂の横を抜け、上野公園へ....。

昨日、寒かったせいか、桜もまだ三分咲きでしたが、
晴天の休日に、人出も多くとても賑やかでした。
楽しみにしていた屋台(味は残念ながら..)もたくさん出店しており、
本当にイイ花見でした。

今日一日は、仕事も音楽も忘れ(そう言いながら大学に寄ってしまった私って....)、
家族と娘と過ごし、大いにリフレッシュいたしました。
『また、明日から頑張ろう!』
そんな気持ちになった、有意義な一日でした。

「皆さん、上野の桜は今週末(27・28日)頃が見ごろです!!!」
2004/3/20 (Sat)  空からの贈り物

『♪ぼたん雪が、くるくる舞いながら落ちてくる。
  弟は口をあけて飛び回っている。
  あれが桜の花なら、
  私花の中に寝て、歌をうたいたい。
  ぼたん雪が、くるくる舞いながら落ちてくる。』

そんな詩が“マリちゃんの歩いた夢”という合唱曲にあった。

数日前、音楽仲間と、「今年は雪がないね〜」などと話していたのを
神様に聞かれてしまっていたようで、思わぬ、季節はずれの雪になった。

朝、出掛けに傘を外し、天を見上げてみる。
無数な冬の妖精たちが、美しく、そして優雅に舞い降りてくる。
隣で、私を見送りに外に出た娘たちが、‘やはり’口をあけて飛び回っている。(どうして子供は皆‘そう’するのだろう)

本当に、本当に美しい、空からの贈り物だった。

明日は久しぶりのOFF.
娘たちと今度は、桜でも見に行こうか.....。
2004/3/18 (Thu)  蕨少年合唱団 その1

小学校4年生になったある日のこと、
「合唱団の入団のお誘い」なるプリントがクラスに配られた。
(決して天使の声を持っていた訳ではないが)歌の大好きだった私は、小学校の音楽の先生の勧めと、(ハイドンやベートーヴェン、シューベルトがそうだったように)音楽家になるための絶対条件のような使命を感じて、迷わずその翌日に、そこに入団した。

“ヒラカン”
その合唱団の指揮者は、団員の皆からそう呼ばれていた。
その先生の‘姓’と‘名’の一字ずつをとって、団員の誰が名づけたか知らないが、私が入団する14年前(私は14期生だった)から、‘そう’呼ばれていたらしい。

『蕨少年合唱団』
この合唱団こそが後の私に大きな影響を与えてくれた、そして「指揮者になりたい」という夢の扉を開けてくれた場所であった。

パレストリーナやペルゴレージの美しいハーモニーも、ウィーン少年合唱団やパリ木の十字架合唱団の崇高な歌声も、ラテン語や日本語の持つ音楽の中での言葉の美しさも、そして、“オンガ(苦)ク”から“音楽”にかわった時の感動も....、すべて、この合唱団と“ヒラカン”から教わった。

時折、この合唱団の思い出を綴ってみたいと思う。
.....また、今度、近いうちに......。